13

 先代が帰って間もなく、兄から連絡があった。

『飯くった?』

 言われて初めて、昼食時をとっくに過ぎていたことに気づいた。そのことを認識した途端にお腹が空いてきた。

『まだ』

『適当に買ってく』

「ちゅうことは樹生いつき、結構近くにいるんでないけ」

 メッセージの内容を教えると、父は呆れたようにそう言った。「実花子が連絡とってからすぐ飛び出したにしても早いなぁ」

 それから二十分ほどして、スーパーで買ったらしき弁当を提げ、フラワーアレンジメントを持った兄が帰宅した。

「あそこ花屋も入ってるから、花買ってきたわ」

 ピンクのバラとカーネーションが主役の、籠に盛られたものだ。かわいいけど、どう見ても仏花ではない。

「いいじゃん、母さんこういうやつの方が好きやろ。籠に入っとるから花瓶もいらんし」

「あー、お父さん一度怒られたやつ」

「誰が活けるて思うとるがー」

 兄は母の口真似をしながら雑に靴を脱ぐ。父が「あのときの花束はいただきものや。不可抗力」と苦笑いする。

「母さんは?」

「こっちの客間」

 兄はずかずかと客間に入り、母の枕元に花籠を置くといきなり顔の布をめくった。

 なんの予告もなく、当然のように行われた行動だった。わたしはさっきの天袋を見て(閉まっているな)などと思っていたところだったので、兄のそういう動きは完全にノーマークだった。ぎょっとして、文字通りその場で跳び上がりそうになった。でも、このときはそれでよかったのだと思う。兄がいなかったら、わたしは母の顔をずっと見られないままだったかもしれない。

 本当に眠っているような顔をしている母の顔を、兄は唇をきつく結んでじっと見つめていたが、やがて布を元に戻し、こちらを向いた。

「じゃあ、飯にしよか」

 この人のこういうところが時々嫌いで、時々羨ましいとか凄いとか思うのだ――と、我が兄ながら思う。


 買ってきてもらった弁当や総菜をダイニングテーブルの上に並べると、かりそめでも団欒が戻ってきたような気がした。

「そういえば樹生、母さんの幽霊が家の中におるんだ。見かけても驚くなよ」

 父が何気ないような口調で兄に注意した。兄は「驚くなちゅうてもなぁ」と言いながら白米をかき込んでいる。

「母さん、なんで幽霊になんかなってんの?」

「何か伝えたいことがあるんでないけ。何を言いたいのかようわからんのが難点やけど」

「ふーん」と言いながらお茶を一口飲み、「二階のオレの部屋にウィジャボードあるぞ」と当たり前みたいに付け加えた。

「何やそれ」

「父さん知らんか。降霊術で使う道具」

「お兄ちゃん、何でそんなもの持ってるの?」

 驚いて尋ねると、兄は「ボドゲ部の先輩にもらった。高校のとき」と平気な顔で答える。たぶんパーティーグッズとして手に入れたのだろう。決して悪い案ではないかもしれない、と思った。確かそれは死者と会話するための道具のはずだ。ただ――

「お兄ちゃんさ、それアルファベットが並んでるやつだよね?」

「うん……あっ、ダメだなこれ。母さん英語苦手だもん」

 兄はあっけらかんと笑った。

「そりゃだめだ」と父も同意する。「おサヨさんもわからんやろうな」

「確かに……あんまり期待できないね」

 先代ご住職の、さらにお祖父さんと同じ時代か、下手したらそれよりも昔の人だ。アルファベットを使う機会なんてあったかどうか。

「おサヨさんて誰?」

 兄が怪訝な顔で尋ねる。父が「本家のご先祖様や」と答えた。

「その人なんか関係あんの? ていうかふたりさ、なんかオレの知らない情報持ってるだろ。飯食ったらそれ一通り書き出そうぜ。オレも知りたい」

 そう言うと、兄は昼食の残りを猛然と平らげ始めた。


 リビングのテーブルに白紙のプリント用紙を置いて、わかっていることを書き出していった。兄は合間に「まじか」とか「知らんかった」とか言いながら、ボールペンをどんどん走らせていく。

「・山から来て本家の周りをぐるぐる回るやつと、本家の当主を早死にさせてるものは別←大事

 ・ぐるぐる回るほう→文坂サヨ

  本家の嫁だったらしい。アルビノ、汚れてるけど美人、困ってそう

  山の中に墓があるらしい

  先代住職の祖父の夢に出てきたらしい

  子ども殺し(未遂?)の濡れ衣を着せられたらしい

  〇〇市にも来た。母さんと何か話したらしい

 ・文坂哲(元分家の後継ぎ)←サヨのことを知ってたらしい。急死

 ・本家の当主を早死にさせるもの←代々の当主に乗り移り続けている。今は晴についてる

  自分に関する情報をぼやけさせる力を持っている?

  今遠くに行ってるので、その力が弱くなっている?

  遊んでるらしい?」

 ここまで書き出して、兄は顔を上げた。

「あってる? ほかに何かある?」

「あと母さんのことかなぁ」

 父が話を続ける。

 わたしはそれを聞きながら、コピー用紙に兄の角ばった字が増えていくのを見つめていた。

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