16
それは確かに実花ちゃんの声だった。一瞬普通に彼女がうちを訪ねてきたんじゃないかと思ったし、そうだったらいいのにと願ってすらいた。
分家の人たちは、志朗さんや病院のおばさんが言うには全員もう死んでいるという。実際、実花ちゃんたちとは連絡がとれていない。でも――亡くなったことをちゃんと確認したわけじゃない。遺体を見たわけでもなければ葬儀に参列したわけでもない。外にいるのは本物の、生きている実花ちゃんかもしれない。
もしも晴が腰にくっついていなかったら、おれはすぐに玄関に駆けつけて戸を開けたかもしれない。でも動けずにいる間に、おれはその声をだんだん「おかしい」と思い始めてしまう。
「聖くん、開けてー」
実花ちゃんの声は、さっきから「聖くん」と「開けて」を繰り返すだけだ。ブレーカーが落ちてチャイムが鳴らないから呼びかけているのだろうが、それにしたってちっとも実花ちゃんらしくない。
おれが知ってる実花ちゃんなら、たぶん「実花子です! こんばんはー! 聖くん帰ってきてるの? 晴くんは?」とか、もっとでかい声であれこれ言いながら合間にドンドン引き戸を叩くだろう。あまりに一本調子だ。
「聖くん、開けて」
カタカタと引き戸が鳴る。やっぱりおかしい。こんな深夜に来るのも、頑なに開けてもらうのを待っているのもおかしい。合い鍵を使うなり、寝室の方に回ろうとするなりするのが自然だ、と思う。
(でも、どうする? 本当に実花ちゃんだったら?)
いっそ玄関を開けてしまいたい、何がいるのか確認したいという衝動が胸に湧き上がった。おれの心を読んだみたいに、晴がさらに強く抱きついてきた。
「きっちゃん、あけちゃだめ」
実花ちゃんの声が、はた、と止んだ。
ひた、ずっ、ひた、ずっ、ひた、ずっ――家の周りを這いまわる音が、かすかに耳に届く。分家の人たちは間違ってもあれに出くわさないように、「夜に本家の周囲にいてはいけない」ということを徹底していたはずだ。やっぱりおかしい。
「聖くん」
表から昭叔父の声がした。「開けてくれんか」
「聖くん」
「聖くーん」
「開けて」
葉子叔母の声が、樹生くんの声が、崇叔父や新くんたちの声が聞こえる。
ガタガタと戸が揺れた。
おれは晴を抱え上げ、叫び出したくなるのを堪えて暗い廊下を走った。
玄関から離れたい。あれ以上皆の声を聞いていられない。とにかく自室へと急いだ。
どんどん玄関から離れているはずなのに、声が追いかけてくる。
「聖くーん、開けてよぉ」
「開けてぇ」
絶対に開けたら駄目だ。
あれは話しかけたり、戸を開けたりしたらいけないものだ――昔からずっと言われてきたんだから、分家の人たちだってあんなことを言うはずがない。開けに戻ったりなんかしちゃ駄目だ。それより早く部屋に戻って、手紙を読まなければ。明かりが消える一瞬前、目に入った文面をちゃんと確認しなければ。部屋に行けばスマートフォンがあるから灯りが確保できる。もしかしたら、黒木さんや志朗さんとも連絡がとれるようになっているかもしれない。
晴がおれの肩に顔を埋めて震えている。
部屋の襖は半開きになっていた。晴が開けっ放しにしてきたのだろう。手をかけて襖を開け放った先に、おれはありえないものを見た。足が滑ってその場に尻餅をつき、震動が脳天まで響いた。
視線の先にある布団の中に、晴がいた。
さっき布団に運んで寝かしつけたままの姿で、目を閉じて眠っている。
「きっちゃん」
おれに抱きついている晴が、耳元で囁いた。
あのとき。明かりが消える一瞬前、手紙に書いてあった文字が目に入った。それをどう理解したらいいのかわからなくて、もう一度確認しようと思っていた。その一文が脳裏をよぎる。
『俄かには信じられないでしょうが昨日とうとう実花子のところに晴君が来たようです』
おれの首に巻きついている細い腕に、ぎゅっと力がこもった。
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