09

「きっちゃん、どうした?」

 晴に突然声をかけられて、飛び上がりそうになった。

 志朗さんの自宅兼事務所の応接室である。といっても今、その面影は少ない。ひっくり返っていたテーブルは片付けられ、ソファは壁際に寄せられて、代わりに布団が二組敷かれている。さっき黒木さんが近くのショッピングセンターかどこかから買ってきてくれたものだ。その布団の上に座ってぼーっとしていたところを、晴に見咎められたのだった。

 晴自身は布団の上をごろごろ転がったりして忙しない。普段通りの無邪気な晴だ。おれはまだ晴に何も教えていない。

 おれが晴を連れ出し、本家が空になっている間、分家に何が起こっていたのか――正直、知らずにいたかった。でもいずれそのままではいられなかったことで、だから今聞いておいてよかったのかもしれない。それでも飲み込めないものは飲み込めない。さっきから延々と、頭の中を処理しきれない情報が駆け巡っている。

 分家の人間はすでに全員亡くなっている、と志朗さんは言った。

 叔父も叔母もいとこたちも、みんな死んでしまったのだと。


 どうしてそんなことになったのか、詳細は知らない。聞けていないし、志朗さんも詳しいことは知らないらしい。

 ただ、おれたちが初めて彼の元を訪れたとき、すぐに「無理です」と言われた理由はわかった。志朗さんは分家に頼まれて、すでに文坂の家を訪れていた。判断はそのときのものだったのだ。

 その後も、分家のことは気にしていたらしい。心当たりの筋も当たってくれたらしい。それでもどうにもならなかったと言われた。もしも何かやりようがあったのなら、ここまでの被害は出ていないはずだ。

「だから文坂さんや阿久津さんには悪いけど、本当に大したことはできないんですよ」

 志朗さんにそう言われた直後、おれは分家の人たちと今更ながら連絡をとろうとした。まず分家の固定電話に電話をかけたが、誰も出なかった。連絡先のわかる人たちに片っ端からコンタクトをとろうとしたが、誰からも応答はない。アカウントがわかっているいとこたちのSNSもチェックしてみたが更新はなかった。従兄の樹生くんのアカウントには新しい投稿がされていたが、それはごく親しい間柄であるという人物が「このアカウントの持ち主が亡くなりました」とフォロワーに報せているものだった。

 気が付くとスマートフォンを持つ手がばかみたいに震えていて、操作がまるでおぼつかない。と、突然その手を、スマホごと覆うように掴まれた。それは言うまでもなく志朗さんで、

「もうやめましょう」

 そう言われてしまった。

 画面の中から現実へと戻ったおれの頭の中で、ようやくひとつの事実がはっきりと姿を現しつつあった。こんなに人が死んだことはないはずだ。本家の長男が大人しくあの家で育って子供を作って死んでいさえすれば、「お山は怒らなかった」のだ。

 みんなが死んだのは、おれたちが本家を飛び出したせいだ。


 そのことがわかってしまった以上、とても普段通りではいられなかった。


「きっちゃん、つかれてるなー」

 ごろごろ転がった晴が、おれの対面に胡坐をかいて座っている志朗さんにぶち当たった。ぶつかってきた晴の背中をぽんぽん叩きながら、志朗さんも「そだねぇ」とのどかな声で言う。

「きっちゃんなー。ごはん、あんまりたべてないもんね」

「ねー」

 などと話しながら、晴は志朗さんの脚の間に座ってしまう。

 晴が志朗さんに懐いているせいか、それともおれが予想以上に沈んでいるせいなのか、さっきから阿久津さんらしき幽霊はずっと静かだ。おれは、阿久津さんのことをねえさんのようにはっきり見ることも、声を聞くこともできない。だからポルターガイストの有無で機嫌を伺うしかない。こんな風に静かにされると、かえって不安だ。

「あのね晴くん、ちょっとそこどいてもらっていい?」

「いいよー」

 志朗さんは晴を一度脚の間からどかすと おれとの間、敷かれた布団の上に、持っていた巻物をさっと広げた。

 何も書かれていない。真っ白な巻物だ。

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