10
幸い晴は「阿久津さんちに泊まる」と言うと喜んだし、ねえさんもおれの独断を支持してくれた。元々荷物は少ない。食事を終えるとおれたちは早々に荷造りをし、必要なものを端から車に積み込んだ。
晴は白いパーカーを着、頭にかぶったフードを「あついー」と言って外しては、そのたびにねえさんに注意されていた。朝になったからだろう、ねえさんは夜中よりもかなり落ち着いてきたようで、いつものてきぱきした調子が戻りつつあった。
阿久津さんの家に着いたのは、朝の八時ちょうどだった。古い家だからだろう、玄関にはインターホンではなく、いかにも「呼び鈴」という感じのボタンが取り付けられている。おれは少しどきどきしながらそれを押した。もしも阿久津さんが出てこなかったらどうしよう――という不安に駆られていた。
「あくつちゃーん」
今一つ状況がわかっていないのだろう、晴がぎょっとするほど朗らかに呼びかけ、ねえさんが慌てて「しっ」と囁いた。「あれ」が活動するのは夜、それも深夜とわかってはいるが、それでも用心するに越したことはない。
家の中からパタパタと音がして、曇りガラスの向こうに人影が見えたと思ったら、引き戸がガラガラと開いた。曇りガラスの向こうから、まだすっぴんらしい阿久津さんが顔を出した。
「よかった、晴ちゃんたち。早く入って」
「阿久津さん、車そこでいいですか」
「全然だいじょぶ。聖くんも入りな」
俺たちは慌ただしく阿久津さんの家に上がり込んだ。
阿久津さんはおれたちを、いつもご祈祷をする部屋に通した。四隅に大きなお札が貼られており、何が書かれているのかはわからないが物々しい雰囲気を漂わせていた。入り口には盛り塩が置かれている。白い平皿の上に、リキュールグラスで作ったようなきれいな三角錐ができていた。
「晴ちゃん、なるべくこの中で過ごすようにしてね」
「うん。これぬいでいい?」
「暑いの? タオルでもかぶってたらどうかな」
ねえさんがそう提案したが、晴は「あつい……」と不満そうな顔をした。おれは荷物の中から白い手ぬぐいを出して、「いいからかぶっとけ」と言いながら晴にほっかむりをさせた。
「何それ?」
阿久津さんが不思議そうに尋ねる。
「なんかその、うちに因縁のあるやつなんですけど、白いものが見えにくいらしいんすよね。明るいのが苦手というか」
「ふぅん。それで晴ちゃん、よく白い服着てたんだね」
阿久津さんは「かわいいからかぶっててよ」と言って晴の頭をなでた。
「あくつちゃん、これすき?」
「うん、好きだなぁ」
「じゃあ、ちょっとね」
晴は阿久津さんに甘い。ねえさんがほっとため息をついて「まったく、阿久津さんがいてくれてありがたいね」と呟いた。おれもうなずいた。これだけでも移動してきた甲斐があったような気がする。
とにかく、今までよりも少しだけ安全なところへの避難は済んだ。問題はこれからだ。
今はよくても、夜は必ずやってくる。阿久津さんは「問題をちょっと遠ざける」ことはできても、根本的な解決はできないという。
おそらく、阿久津さん自身がそのことを一番理解しているのだろう。真剣な顔つきで何事か考えている様子だったが、意を決したように「聖くん」とおれに声をかけてきた。
「ちょっといいかな。頼みがあるの」
おれは「何でも言ってください」と応えた。このときは本当に、自分にできることならなんでもやってやろうと思っていた。
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