09

 それから夜明けまではほとんど眠ることができなかった。なにしろねえさんの様子がいつになくおかしくて、寝るどころではなかったのだ。普段てきぱきしているねえさんが、晴の寝顔をぼんやり見ながらぶつぶつひとり言を言うだけの人になってしまって、おれは少なからずショックを受けた。兄が死んだときだって、ねえさんはこんな風になったかどうか。

 ただ、自分よりも取り乱した相手を見ているうちに、思いがけず気持ちが落ち着いてきたのも事実だ。おれはまず晴の掛け布団をひっくり返して、裏になっていた白い面を表にした。晴の全身を覆うようにかけ直したが、暑くて剥いでしまうかもしれないと思った。幸い晴はよく眠っていて、おれに布団を剥がれたりしても、口元をむにゃむにゃ動かしただけだった。

 それが終わると、おれはねえさんに声をかけた。

「大丈夫?」

「うん」

 ねえさんはそう答えたが、ちっとも大丈夫そうには見えなかった。

「何とかなるよ、きっと」

 おれは心にもないことを言った。ねえさんもきっとそう思っただろう。晴の枕元に座ったままぽつりと「全部無駄になっちゃうのかな」と呟いた。

「こんなすぐに見つかると思わなかった。いろんなことやってきたのに――どうしよう。とにかく夜は駄目、動いちゃ……朝になったらどうしよう、とにかく阿久津さんに連絡して」

「大丈夫かな、阿久津さんで」

 思わず普段言わないようなことが口からぽろっと出てしまったのは、おれ自身相応のショックを受けていたからだろう。おれがそう言うなり、ねえさんは眉を吊り上げてこっちを見た。

「じゃあほかにどうしろっていうの!?」

 聞いたことのないような、まるで悲鳴みたいな声だった。おれは思わずたじろいだ。ねえさんはすぐに我に返ったらしく、口元を両手で覆うと「ごめん」と言った。

「ごめんね、きっちゃん。私も正直、どうかなと思う。阿久津さんが自分で言ってた通り、ちょっと問題を先送りしてるだけ――でもほかにいないじゃない」

「うん。おれも変なこと言ってごめん」

「うん」

 それからおれたちは、身を寄せ合って夜明けを待った。日が昇るまでの数時間は死ぬほど長かった。


「きっちゃん、だいじょうぶ? かぜひいた?」

 いつもと同じように機嫌よく起き出した晴は、おれを見るなり心配そうに顔を覗き込んできた。「かぜひいた?」などと聞くからには、それなりの顔色をしていたのだろう。

「大丈夫だよ。ごめんな、晴」

「ごめんじゃないでしょ! ありがとうでしょ」

 叱られてしまった。心配してもらったら礼を言えということらしい。おれはつい「ごめんごめん」と言い、慌てて「ありがとう」と付け加えた。晴は満足げにニコニコ笑った。

 やっぱり晴に、兄と同じ道を歩んでほしくないと思った。

 朝食をとっていると、おれのスマートフォンが鳴った。夜が明けた後、おれは阿久津さんにメールを送っていたのだ。これから出勤だろうから連絡は夜までとれないかもしれないと思っていたのだが、どうやら事態を重く見てくれたらしい。申し訳ないと同時に、ほっとしてもいた。やっぱりおれも、何だかんだ阿久津さんをアテにしているのだ。

『とりあえずうちに来て。わたしも何ができるわけじゃないけど、その方がいいと思う』

「阿久津さん、仕事は?」

『今日は休んじゃう。心配しないで。繁忙期じゃないし有給余ってるから。ていうかうち部屋余ってるから、なんなら荷物まとめて来てもいいよ』

 いやさすがにそこまで――と昨日までなら断っただろうけど、おれは速攻でお言葉に甘えることに決めた。この際気を遣っている場合ではないと思った。


 おれたちは見つかって、追いつかれたのだ。

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