第14話 枕を濡らす

当然のことであるかのように、あくまでスマートに声をかけた。


「見るからに気持ちよさそうです……でも恥ずかしい」


 モジモジと体を揺らした。

 焦るな、落ち着け俺。


「俺なんてずっと丸出しなんだけどな」


「たしかに……私のせいなのに、ここで恥ずかしがっては失礼ですよね」


「いや、今更責めたかったわけじゃない。俺らは仲間だろ?」


「はい! 勿論です」


「それなら違う世界に突然召喚された俺の、元いた世界の文化を取り入れてくれてもいいんじゃないか?」


「その通りです……今まで気づかずむしろすみませんでした」


 シュンっとアイオンがうなだれる。ゆっくりと服に手をかけたが、決心がつかず恥ずかしがっている。

 流石に罪悪感が湧いてきた。 


「お湯に入浴剤を入れる方法もあってな。たとえば、発汗が進む作用のある何かをいれて、お湯を濁らせたら少しは恥ずかしくなるんじゃないか?」


 アイオンはパーっと笑顔になり、また何か魔法を発動した。お湯が白く濁り、良い香りがしてくる。これはこれでいいもんだ。


「目を瞑ってて下さい」


「おう」


 俺は素直に目を瞑る。一緒に入れるだけでも今日は合格ラインだ。 

 アイオンの装備する神衣が、衣擦れの音と共に、俺の背後に落ちた。 


 ちゃぽん。 


 お湯に足をつける音がする。温度を確認し、ゆっくりとお湯に溶け込む。

 水位が上昇し、神殿にお湯が溢れ出る。

 今にも心臓が弾け飛びそうだ。童貞心を磨き上げた俺には、目開けてるより効果はバツグンだった。


「な、なんですかこれ、気持ちよすぎます……あ、もう目を開けていいですよ」


 緊張と興奮の最中ゆっくりと瞼を開くと、そこには現実とは思えない景色が広がっていた。

 大穴となった天井から、月に似た大小二つの天体の光が差し込み、アイオンを照らす。 

 その周りにある、幾千の星々が宇宙空間で瞬き、美しさを競い合う。

 しかし、その全ての星々もアイオンの前では引き立て役にすぎない。

 地球のハリウッドスターが束になっても敵わない、究極の美を体現した文字通りの女神が、同じ湯舟に浸かり体を火照ほてらせていた。


「あんまり見ないで下さい、まだ恥ずかしいです」


 アイオンは視線を横に逸らす。白濁したお湯で体の細部は見えないが、水が滴るデコルテから続くきめ細やかな曲線は、水面に浮かび形を誇示していた。


「綺麗だ」


 もはやエロさを越えて、芸術だった。

 俺は推しに悶えるオタクのように語彙力を失う。


「本当ですね、天井の穴から見える夜空が素晴らしいです。こんなにゆったりとした気持ちになれたの、いつぶりかなあ」


 アイオンはお湯をパシャパシャと自らの体にかける。


「そうだな」


 綺麗なのはアータよ! と心のデヴィ夫人を口に出す余力もなく、ただ湯煙を纏う美女に見惚れていた。 


「ねえ、ちょっと見過ぎです。もー」


 そういってアイオンは膝を曲げたまま、湯船の中を対面した位置から、俺のすぐ隣に移動した。


「こっち向かないで下さいね」


 そう言いながら、俺に向かって小さく手でお湯をかけてきた。

 こいつ…! わざとやっているのか?

 俺が童貞じゃなかったら、もう200回は襲っているところだ。


「初めてだから恥ずかしいんです。すみません」


 俺が押し黙っていると、不機嫌になったのかと勘繰ったのか、気を遣ってきた。

 違う、そんなつもりはなかった。俺は急いで口火を切る。


「いずれ慣れるさ。そうだ、岩がゴツゴツしてると痛いだろ。腕使うか?」


「いいんですか? ではお言葉に甘えて」


 岩の上に伸ばした俺の腕に、女神は後頭部を預け星を見上げた。


「本当に綺麗。私こんなに幸せでいいのかしら」


 アイオンは星に見惚れて呟く。俺は信じられなかった。胸を揉んでいる時より、幸せだったからだ。 

 だから俺は童貞なのか? 

 それとも俺は本当にこの女神のことを……

 いや、ダメだ。

 前世で何度も失敗したパターンだ。

 見返りはその場で貰え。じゃないなら利用されるだけだ。

 あの涙も、言葉も、この態度も、全部嘘かもしれない。 

 どんなに信じたくても、今まで俺を裏切ってきた女の姿が浮かんでは、その信用を否定してしまう。

 特に、保険金目当てで俺を殺した元妻。

 俺は彼女の全てを信じ、愛していた。だから、ヘマをしたんだ。


 女の言葉と態度を信じるな。

 神に誓ったことを忘れるな。

 今世では必ず、幸せになってやる。 


「守さん?」


 アイオンが心配そうに声をかけてきた。険しい顔をしていたのかもしれない。


「あ、いや。なんでもないんだ。俺もあまりに幸せでね、逆に怖くなってた」


「守さんも同じ気持ちだなんて、嬉しい。私の勇者様が守さんで、本当に良かったです」


 アイオンの方を見ていないのは、言いつけを守っているからじゃない。見れなかった。全然、同じ気持ちなんかじゃないんだ。

 これ以上アイオンの言葉は聞きたくない。

 心が耐えられない。


「そうだな。のぼせちゃうから、先に出る。お休み」 


 俺はアイオンに一つ笑顔を向けて、預けられていた後頭部を軽く撫で、露天風呂を上がった。 

 アイオンはすかさず魔法で俺の体の水気をとってくれた。 


「おやすみなさい」


 まだ堪能したいんだろう。はじめての露天風呂だ、感動もひとしおに違いない。俺は振り向かず、手だけ振って寝室に向かった。


 俺は、本当に幸せになれるんだろうか。

 このまま誰も信じられないまま、死んでいくのだろうか。

 さっきまでの幸せが反動となって、疑念が押し寄せた。

 俺をこんな風にした全ての女達を、絶対に許さない。でも、復讐することもできない。

 どうすればいい。どうしたらアイオンを信じられるんだ。

 彼女の言うことが全て真実だとしたら、俺は間違いなくクソ野郎だ。


 小さく声をあげて、バレないように惨めに泣いた。

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