第2話友人

 その後、僕は真梨香さんに言われるまま、計四人の女子学生の記憶を吸い上げた。

 ふたりめまではまだよかった。

 今までにも経験がある。

 でも三人目から辛くなり、四人目となると気持ち悪さにふらふらになり、歩くのもやっとになってしまった。


「仮眠室まで送っていくから」


 真梨香さんの肩を借り、僕は廊下を歩いて行った。

 四人から吸い上げた記憶はすべて共通していた。

 ――外が騒がしかった。

 ――事故でもあったのかな。

 ――大学病院に運び込まれたらしいよ。

 そんな雑談を交わしながらすっかり暗くなった庭を歩いていた四人は、茂みから突如現れた白い不気味な影に驚きその場にへたり込む。

 鋭い牙をむき襲い掛かってきた牙は、後ずさる女性たちを見て追いかけはしなかった。

 何とか動けるようになった女性たちは走ってその場から逃げ出した。

 ……って、何だよこの記憶。

 化け物? 妖怪? そんなのいるかよ?

 いるわけがない。でも四人が同じ幻覚を見るなんてありえねえよなあ……

 なんなんだよ、この記憶は……


「とりあえず、落ち着いたら話聞かせてね、紫音君」


「え……? あぁ……でも真梨香さん」


 言いかけて僕は口を閉ざす。

 制服警官とすれ違い、僕は不思議に思った。

 警察が病棟に何の用だろうか?

 何かあったのか?

 あぁ、そう言えば彼女たちの記憶の中に、事故がどうのって話があったっけ。で、ここにけが人が運ばれたとか……

 ってことは、その事故の事情聴取か何かだろうか?

 まあいいや、そんなことは。

 階段を下り関係者以外立ち入り禁止の区画に入り僕は口を開いた。


「あの記憶、何なんですか?」


「何って見たんでしょ、紫音君。彼女たちが見たものを」


 見た。というか、吸い上げた。

 だから彼女たちはもう、自分たちが何を見たのか覚えていないはずだ。

 もしかしたら何かのきっかけで思い出すかもしれない。

 でも、僕が知る限りそう言う事例は今の所聞かない。

 そして僕はその吸い上げた記憶を忘れ去る。

 しょせん人の記憶だから、いつまでも覚えていられない。

 僕が生きるために必要のない記憶だからだ。

 僕は、真梨香さんに支えられながらいつも使っている仮眠室に連れて行かれ、ベッドに横たわる。

 この力を使うといつもこうなってしまう。

 吸い上げた記憶は僕の中でぐるぐると回り、恐怖が僕の心を支配する。


「落ち着いたら教えて。話聞くから」


「わかりました」


 真梨香さんが仮眠室を出ていくのが聞こえ、僕は大きく息をつく。

 これが僕のアルバイト。

 真梨香さんが記憶を消す必要であると判断した患者がいる場合のみ呼び出され、僕は求めに従いその人たちの悲しみや苦しみの記憶を消す。

 殺人事件の目撃者。事故の被害者。たいていが重大事件にかかわった人たちだ。

 目の前で恋人が自殺した人もいたように思う。

 何人もの記憶を、僕は吸い上げてきた。

 でも僕はどの記憶も覚えていない。

 その日の内か、数日で忘れ去る。

 だから僕は、この仕事を続けられる。

 時給はいいし、おかげで僕が目指す医学部への入学資金や講習資金を稼ぐことができている。

 精神的にはきついし、時には吐くこともあるけれどこれは僕にしかできないことだ。

 友人の臨には色々と言われるけれど。

 でも、今日のはきつい。

 四人もの記憶を一日で吸い上げたのは初めてだ。

 これ、今日、帰れるだろうか。

 自信ねえな……

 彼女らの感じた恐怖が、僕の中にずっと滞留している。

 あの化け物はいったい何なんだろうか?

 何かも動物……だよな?

 たくさんの記憶を消してきたけど、あんな化け物の記憶は……初めて、だよな。たぶん。

 僕は寝返りを打ち、吸い上げた記憶の事を考えた。

 この大学の構内に化け物がいる?

 もしそうなら今までに目撃情報とかあるだろう。

 でも僕はそう言う話を聞いたことがない。

 じゃあいったい何なんだよ。わかんねえな……

 その時、ばちばち、という音が聞こえたような気がして、僕は扉の方を見つめた。

 これはあいつが来たってことだろう。

 想像通り、現れたのは眼鏡を掛けた、癖のある焦げ茶色の髪の友人、臨だった。

 こいつは電撃を操る能力者だ。

 さっきの音は、この部屋の電子錠を壊す音だろう。

 ってなんで壊すんだろうな、こいつ。


「臨」


「やあ、紫音。やっぱりここで寝てると思った」


 言いながら、彼は微笑みベッドに近づくと、床に座り込んで僕の顔を見つめた。


「だったら鍵、壊すなよ。また怒られるぜ?」


「だって、皆忙しそうで、鍵、借りられなかったんだよ」


 僕はこの部屋に入るためのIDを持っているが臨は部外者なので持っていない。だから事務所の誰かからいつもIDを借りるか通りすがりの人に開けてもらうしかないんだが、めんどくさがりの臨は、その力を使って無理矢理電子錠を開けてしまう。

 そして真梨香さんに怒られるのが常だった。


「僕は関係ないからな」


「俺は君を迎えに来てあげたんだけど?」


「別に、頼んでねえし」


「そう? 絶対動けなくなっていると思ってわざわざタクシー使ってここまで来たのに。今夜、うちに来る約束でしょ?」


 確かに、臨の家に行く約束になっている。

 でもそれは、臨が休んでいた日の勉強を僕が教えることになったからだ。

 臨はモデルの仕事をしている。

 背も高いし見た目が良いからそれは納得できるが、その仕事の関係で学校を休むことがある。

 基本学校が休みの日しか仕事をいれないようにしているらしいけど、そうもいかないことがあるらしく。

 それで僕がこいつに勉強を教える羽目になったわけだけど。


「っていうかお前が学校休まなきゃいいだけじゃねえか。それにお前、別に僕が教えなくたって教科書見ればわかるだろ?」


「あはは、まあそうかもしれないけど」


 否定しねえのかよ。

 ……今夜こいつの家に行くのやめるかな。

 臨は家を離れてひとり暮らしをしている。

 血の繋がらない父親と妹がいて、それで家を出た、らしい。

 ひとりで生きて行けるだけの収入を得ているため困ってはいないみたいだけど。

 

「でも約束は約束でしょ? 紫音だって乗り気だったじゃないか」


 まあ、確かにそうだけど。

 友達の家に泊まるのは特別な感じがする。

 臨の家には何回も泊まりに行ってるけど。


「まあ、親には泊まり行くっていっちゃってるから行くけどさ、まだ僕は動けねえぞ」


「別にいいよ。それで今日はいつになく顔色悪いけど大丈夫?」


 言いながら、臨は僕の頬に触れる。

 手が温かい。っていうか、俺が冷たいのかもしれない。

 実際臨は首を傾げて、心配そうな顔になる。


「こんな暑いのに、顔、冷たすぎない?」


「そうだな……今日は、力使いすぎたからだと思うぜ」


「使いすぎたってどういうこと」


「四人の記憶を吸い上げた」


 僕が言うと、臨は呆れた顔をする。


「四人て、初めて聞いたよ。この仕事を始めて一年ちょっとだよね? いつもはひとりかふたりじゃない。なんで今日はそんな大人数の記憶を消すことになったの」


 そう言われるとどう説明したらいいのか迷う。

 化け物の記憶を消したって言って、こいつ信じるか?

 ……信じるか。臨が僕を疑うわけがないから。

 僕は今日吸い上げた記憶について喋ろうとしたときだった。


「ちょっと、臨君! また壊したのね、電子錠! いったいいくらかかると思ってるの!」


 声を張り上げ入ってきた真梨香さんは、仁王立ちになり僕らを見下ろす。

 臨は真梨香さんを見上げて言った。


「ちゃんと弁償しますから大丈夫ですよ」


「そう言う問題じゃないの! なんで壊すの! もう、いい加減にしなさいよ」


 臨がこの部屋の電子錠を壊したのは何度目だっけ。

 三回か、四回か。もしかしたらそれ以上かもしれない。

 

「ちょうどいいわ、臨君、紫音君。ふたりにアルバイトしてもらうからそのつもりでいてよね」


 アルバイト?

 僕にいったいこれ以上何をしろって言うんだよ?

 げんなりする僕とは対照的に、臨は嬉しそうな声音で言った。


「喜んでやりますよ」


 これはもう逃げられない。

 そう思い僕は心の中でため息をついた。

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