UNDER LOWLESS

玖柳龍華

なんとなく目を覚ました。

うっすらと目を開くと天井がよく見えた。もう外が明るい。

ブラインドから入り込む明るい日差しから逃れるために壁際へと寝返りを打ち、瞼を閉じる。明るいのは煩わしいが眠気を誘う暖かい日差しが程よく心地よく、徐々に意識が薄くなる。

それでもすぐに寝付くことはできず、低迷している意識は部屋の外から聞こえる音をかすかに拾ってくる。音だけで何をしているのかは流石に分からないが、毎日聴いている音なのでなんとなく察しはつく。

壁を挟んでいるためノイズのように聞こえてくるテレビの音。恐らくは水を流しているであろう音。歩くと少しだけ軋む床。それと活動的な足音。


央雅は閉じていた目を最低限開けて、枕の隣に置いていたケータイに光を灯す。


10時24分。

起きるように強いる人物も予定もないが、央雅は横たえていた重い体を渋々起こした。


下肢にブランケットをかけたまま、一つ大きくあくびをする。

涙を拭わずに、そのまま動けずにいると、鼻孔を微かにくすぐられた。

美味そうな匂いがする。けれど、どうも朝は活動的になれない。腹の虫も同じらしく鳴く素振りすら見せない。


寝癖のついた頭を適当に手で掻き、ブランケットを退ける。

壁越しの音も香りも、別に起きるように催促しているわけではない。それを作り出した人物も特別それを望んでいるようではなさそうだが央雅は渋々立ち上がった。

馴染んだ室内をよろめきながら扉まで向かい、壁を伝いながら廊下に出る。


「相変わらず眠そうなアホヅラしてるなぁ」


先にリビングに出てきていた涼雅が楽しそうに笑いながらそう言ったが、今は応えるだけの気力がない。

匂いの元は並べられた朝食だ。

ダイニングがないのでそれらはキッチンと直結しているリビングに並べられている。


壁際に置かれた小さめの薄型テレビにはアナウンサーがなにかのニュースを読み上げている。テレビのサイズは覚えていない。

それに向き合うように1人がけソファーが2人分置かれている。その間に置かれたローテーブルの上に皿が二つ並べられていた。


央雅は未だに半分ほどしか開かない目のまま右側のソファーにどさりと腰を落とす。


並べられていたのはパスタだった。

トマトソースでパスタが赤くなっているわけではない。どちらかといえばパスタ本来の色に近い。

央雅は片目を擦ってから更に手を伸ばす。その縁にはフォークが添えられていた。


皿を顔の位置まで持ち上げる。カルボナーラのようだ。

フォークをパスタに絡めようとすると名前を呼ばれたので、首だけそちらに向ける。


「お皿も向けて」


言われるがままに皿を差し出す。

涼雅はその上に卵を乗せた。妙に凝るやつだからおそらく半熟だ。

央雅が寝ぼけた顔のまま相手を見上げると、「嫌いじゃないだろ?」と満足げな笑みを添えられた。朝だというのになんでこんなにも活発なのか。

テレビからも笑い声がいくつも聞こえてくる。

画面に見たことあるような男がアップで映される。その男が何かを言うと、また周囲に笑いが起きた。何か面白いことを言ったらしい。

央雅はフォークを左手に握り、それに麺を絡めず直接口に運び入れた。


「箸にしてあげようかー?」


からかうような声が後ろから飛んできたので、フォークを皿の上に乗せてから同じ手を頭の上まで持ち上げ、そのまま頭部を指すように親指を下に向けた。


テレビと同じような愉快そうな笑い声がキッチンの方に遠ざかっていく。

それを聞きながら央雅は顔をしかめながらパスタを雑に口に運び咀嚼する。


「今日なんか予定ある?」


再びキッチンから出てきた涼雅はローテーブルにコップを二つ乗せた。

右側にシルバーを。左側にブラックを。

央雅は再びフォークを皿に乗せ、黒のコップの縁に口をつけて口の中のものを喉奥に流し込む。


「別に」


空になった口で応える。寝起きの嗄れた声に涼雅が小さく笑う。


「じゃあ食器洗いよろしく」


しかめっ面を左側に向けると、相手もこちらがを見ていた。


「いいじゃんそれぐらい。ここ最近オフなかったから洗濯物とかたまってんの知ってんだろ? 山になってて邪魔じゃん。どうにかしねぇとさ」


それを言われると耳がいたい。

ここに住んでいるのは自分とこいつだけだ。自分がやらなければ相手がやる。他はいない。気を使うような相手ではないし全てを任せっぱなしにしても罪悪感のようなものは湧かないが、自分が駄目人間へと堕落しそうだという危機感が最後の砦だった。


これ以上駄目人間になるのは良くない。それぐらいの意識はある。


央雅は顔をしかめながらも文句を言わずにテレビの方に向き直った。

それなりに付き合いがある涼雅は、それが了承を意味することを分かっている。


「他にも買い出しとかしときたいし。あ、昼飯どうする?」

「サボらず作れ」

「そりゃ作りますとも。ちげーよ、何食いたいって話」

「なんでもいいわ」


興味なさそうに答えると、涼雅は「えー」と不満を口にした。


「なんでもいいとか言って好き嫌いするじゃんお前」


そう言いながら涼雅は必要以上にパスタの絡んだフォークをくるくると回転させる。

央雅はテレビを見ながらずるずるとパスタを啜る。


なんでもいいというのは何を出されても食べるという意味ではなく、食う食わないはこっちで決めるから好きなものを作ってろという意味なのだが、まぁ説明したところで分かってもらえるわけもない。

ごくりと嚥下する。


「外食いにいく?」

「何食う気だよ」

「久しぶりにあのラーメンでもいいし、いつもの定食屋でもいいし。なんなら開拓してもいいし」

「決まってねぇのかよ」

「決めるのも楽しみの一つでしょ。それをめんどくさがっちゃうとか、心が荒んでんぞー」

「言ってろ」


央雅は空になった皿をテーブルの上に置いた。テーブルと皿、皿とフォークがそれぞれ音を立てる。


「まぁそう言わないでさ、せっかくのオフだし謳歌しとこうっていう提案。悪い話じゃないだろ?」

「……」


少し考える。

確かに、久しぶりに何もない日だ。まだ昼前だし今から予定と立てても十分に間に合う。


思考しながら狭い室内に目を配らす。

目についたのはテレビとは反対側の壁際に置かれているポールハンガーだった。そこにかけられているのはタオルやパーカー、そしてライダース。それぞれ二人分ある。


自分の休養も良いが、バイクのメンテナンスをしてもいいかもしれない。


「……」


涼雅は綺麗にパスタをまとめながら、となりの様子を見て口角を柔らかく持ち上げる。

相変わらずつまらなそうな鉄仮面だけれど、先程まで無気力に伏せ気味だった目が少し大きくなる。今日するべきことを見つけ、ようやく目が覚めたのだろう。


そういえば、結局昼飯はどうすることになったんだっけ。

それを確認しようとしたところで、ノックする音がした。


2人似たような目つきでずっと後方にある玄関の方に目を向ける。

ここを訪ねてくる客人は皆無に等しい。


職業柄よく顔を合わせる人物にも住処を教えたことはない。


だが、見ず知らずの人物に住処を特定されることは、恐ろしながらも珍しい話ではない。


敵か。味方か。

多いにあり得るのは前者だ。


涼雅は手にしていた食器をテーブルに戻す。その反対側では音がした方を凝視しながらも、テレビのリモコンを探り、素早く電源を切った。


可能性が高いのは前者だが、まだ後者の可能性も否定しきれない。


涼雅は隣に目配せをする。

央雅はまず首だけを涼雅に向け、遅れて目を素早く向ける。


ノック直後より、幾分か双方の目つきが大人しくなる。

敵ならばとっくに次の行動に移っているはずだ。


客か?

央雅のつり上がった目がそう尋ねてきたので、涼雅は静かに首を横に振る。

だがそんな予定は入っていない。


2人警戒したまま顔を見合わせていると、再びノックする音がして弾かれるようにまたドアの方を見つめる。

だがその音は先程よりも切羽詰まっているようだった。

今度は間を空けずに、何度もノックが繰り返される。激しく呼び立てる割に、なぜかその音は慎ましい。ただただ音だけが繰り返される。


涼雅はゆっくりと腰を上げた。

そのまま足音を出さずに玄関へ向かう。


涼雅がリビングを出たあたりで央雅も腰を上げた。

少し姿勢を低くして足音を殺しながらも前進する涼雅をリビング入り口で見届ける。


その間もノックは鳴り止まない。


異常なまでの呼び出しだが、尋ね方は正常だ。

もしかしたらただ急ぎのようなのかも知れない。


玄関の直前で考えを曲げた涼雅は「はいはーい、今開けますよー」と人当たりの良い声を出す。


そしてドアを開けた。


涼雅の目線には何もない。

少し下げるとようやく音の主を捉えた。


「へ」


姿を見て、気の抜ける声が鼻を抜けるように出た。

その声を聞きつけた央雅は足音を隠さずに玄関に近付き、正面を陣取っていた涼雅を横に突き飛ばす。


そこにいたのは少女だった。

普通の様子ではなくどこか怯えた様子ではあるが少女だった。


央雅は涼雅の腰に容赦無く蹴りを入れる。


「イッタ!」

「女漁りは構わねぇけど連れてくるなつったよな?」


凄むと涼雅は素早く両手を上にあげて「違う」を連呼しながら素早く首を横に振る。


「あ? 知り合いじゃねーのかよ」

「知り合いじゃないよ! 初見さん!」

「……」


嘘をついているようには見えない。だが、それ以外に人が尋ねてくる理由が見当たらない。


央雅はもう一度少女の姿を確認する。

黒く長い髪を垂らしている。だが手入れはどうも行き届いていないようだ。

服は上下軽装備で、足は膝の少し上から靴があるくるぶし付近まで晒されている。露出している肌はところどろこ傷だらけだ。


上はただでさえ短めのズボンの半分を隠すほどの丈がある。その服の上にぶかぶかの上着を羽織っている。

そして縦にすると肩から太ももまで隠れる大きさのバックをすがるように抱えていた。


力強く抱えられているため、バックの中のものの輪郭が少しだけ浮き出ている。けれどそれが何なのかは見当がつかない。


見るからに怪しい少女だ。

それをどうするかは央雅の判断するところではない。

それに。


「お嬢さん、お困りですか?」


片膝をつき、少女に手を差し伸べる同居人に白けた目を向ける。

この男が追い返すことを許すはずがない。

なんなら快く招き入れるだろう。


久しぶりのオフを満喫したがってたのはどっちだよ。

先ほどまで大いに警戒していた自分達が阿呆らしく思え、央雅は隠さずに大きく舌打ちをしてから室内に戻ることにした。





この場所は家と呼ぶにはお粗末だ。

寝ぐら、住処。そんな言葉がよく似合う。


生活感が皆無なわけではない。

むしろ凝り性な人間も住んでいるため物は多い。

だがそれらはあくまでも衣食住に関わるものとそれの合間を潰すものだ。


他人を出迎えるようには出来ていない。それ用の空間がまずない。


「あー……座るとこすらないね」


涼雅は気まずそうに頬を掻きながらリビングを見渡した。

リビングにはソファーが二つしかない。物が多いとはいえ、一応収まる場所には収まっている。足の踏み場がないなんてことはないし、なんなら床に寝転がることもできるが、さすがにそこへ座らせるわけにはいかない。


「嫌じゃなかったらあそこに座ってもいいけど」


涼雅は肩身を狭くした少女の肩を優しく叩き、自分の指定席を指差す。その隣の椅子は既に持ち主が陣取っていた。

背後の出来事に見向きもせず、つまらなそうにテレビの画面を眺めている。

肘掛に肘をつき、頬杖に体重を乗せ、足を組む。

元々近付きがたい風貌だがそれが助長されていた。


少女は嫌とは言わなかったがソファーに近づこうとはしなかった。


「……別に、床で」

「……座布団すらないけど。あ、タオルでも敷いとく?」

「いい」


少女は片膝を床につけてから、もう片方の足を折り曲げる。そしてその上に体重を落とす。スペースはまだまだあるのに、少女はやはりカバンを抱きしめるように抱えたままだった。


接客らしいことが出来ないか。涼雅は冷蔵庫の中を覗く。

一見埋まっているように見えるが、最近買い出しに行っていないので隙間が多い。埋めているのは酒などの飲料がほとんどだった。

ビールをどかし、何かないかと奥を弄ってみる。


「何してんだよ」


冷蔵庫の頭を突っ込んでいると、背後から覚めた声をかけられた。


「あれ。テレビ見てたんじゃねーの?」

「そん中俺のもんも入ってるから。何かされんじゃねぇかと思って」


ここにある央雅の私物はミネラルウォーターぐらいだ。

それを出すとはさすがに思っていないだろう。

大方、見ず知らずの人物と同じ空間にいるのが耐えられなかっただけだ。


「麦茶なら出してもいいと思う?」


小声で尋ねる。

返答は声量を気にしないいつものものだった。


「茶飲みに来たんじゃねぇんだから、何でもいいだろ。ンの前に何に注ぐんだよ」

「あ」


生活に必要なものは2人分しかない。


「紙コップ、なかったっけ?」

「今までに買う必要性あったかよ」


端的な返答に涼雅は頭を抱える。


「今から買ってくるべき?」

「茶飲みに来たんじゃねぇつってんだろ。いいからさっさと用件吐かせろ」


それは一理ある。

彼女が急くようにドアを叩いてことを思い出す。


涼雅が立ち上がると、央雅は道を開けるために壁際に寄った。その前を通り過ぎ、涼雅は少女の正面に正座した。

央雅はキッチンから一歩だけ出て、壁に体重を預けて腕を組む。


「それで、俺らに何か用かな?」


持ち前の人懐っこい笑みを見せながら少女に尋ねる。

少女は深刻そうに俯いた。更に力強くバックを抱きしめる。


室内にテレビの声だけが響く。

央雅は動きのなさそうな2人から同じ画面が1秒たりとも続かないようなその画面に目だけを向けた。


「この荷物を、預かってもらいたいんです」


画面越しの雑踏のような声に混じって、虫の羽音のような声がした。

央雅は目線を眼前に戻す。


少女は自身のように抱きしめていたバッグを涼雅の方に突き出す。


「え? 預かるの?」

「3日間預かってください。それを過ぎても私が来なかったら、貴方の判断で処分して」

「俺の判断って……」

「燃やすなり、海に捨てるなり、なんでもいい」


少女は突き出していたバッグを押し付ける。

腹部にそれが押し当てられる。中はパンパンに詰まっているのに、それらの感触は押し当てられても見当がつかなかった。

少しだけ考察していた時間を少女は決断している時間だと思ったらしい。ぎゅっと硬く目を閉じ、俯いたままバッグを更に押し付けた。


「……分かった」


涼雅は得体の知れないバッグに両手を添える。

その返答を聞いたわずか数秒だけ、少女は雲の隙間から差し込む日差しのような笑みを浮かべた。


「承るけど、でもなんで俺たちのところに? というか、どうやって俺たちのところに?」

「……この場所を教えてくれたのは、情報屋さん」


涼雅は「ンの野郎」という唸るような声を背後で聞いた。

同じそれを聞いたであろう少女は弁明するように両手を胸の前で広げ、左右に振る。


「私が、無理言ったの。どうしてもって。それでも無理だってあの人は言ってた。でも、どうしても知りたかったから、たくさんお金を払ったの」


「幾ら」と遠いところから声をかけられたのに、まるで耳元で脅されているような気分だった。


「……600万」

「ろっ!?」


涼雅は尖った声と共に目を丸くする。央雅も少しだけ目を見張る。

なんでそんな金額をただの少女が持っているのかも疑問だったが、そこは目を瞑っておく。


「そんな金額払ってまで……なんで俺らに?」

「……信用できる便利屋さんだって聞いたから。それに」

「……それに?」

「運び屋さんなら、『荷物』の扱いとか、処分とか、詳しいと思って……」

「……」


2人は顔を見合わせた。

正規の方法でされた以来ではない。異例中の異例だ。

安全とは言い難い界隈にもルールはある。持ち込まれる全ての例外を特例の一言で受け入れてしまえるほど、自分たちは秩序という名の囲いを過信してはいない。


それでも。


もはや自分たちのようなならず者に頼るしか術のない少女にせめてもの報いを。

涼雅は相手の目を射抜いたまま大きく首を縦に振る。


『金銭』という万人に平等の信頼の証で自分たちを選んでくれた相手に相応の礼儀を。

央雅は目を逸らさずに深く瞬きをした。


「そのご依頼、わたくしたちが引き受けます」


涼雅は胸元に片手を添えながら少女の震える双眸を真剣に見つめた。



『契約』を終え、少女を再び外まで送り出す。


「本当にいいの? 俺のバイク2ケツ出来るから違反じゃないよ?」


違反。その響きは2人にとってもはやガラクタだった。自分で口に出しながら涼雅は可笑しくて口だけ笑う。

全く同じ感想だったのか、はたまたそれとは別の思うことがあるのか、少女もぎこちなく笑った。


「これから行く場所を決めるので、送ってもらう先に心当たりがないんです。だから大丈夫」

「そう? まぁあんまり歓迎しちゃだめなんだけど、『荷物』のことで何かあったらまたおいで」


手持ち無沙汰になった少女は長い丈を握りながら、こくりと頷いた。

それから頭を下げる。

気分の良い笑みを浮かべ男らしい無骨な手を振る涼雅にまた頭を下げる。彼のその奥には目つきの鋭い男が不機嫌そうに立っていたが、事が丸く収まった今は頼もしさすら覚えた。


彼らならきっと大丈夫。

そう自分に言い聞かせてから少女はその場を走って立ち去った。


乱れた髪を揺らしながら走る少女の姿が見えなくなってから涼雅はドアを閉める。


「にしても、どこにしまおうか」


鍵を閉めながら既に室内に引っ込んだ央雅に声を投げる。


「金庫にでも突っ込んどけよ」


投げやりの返事だった。

その声の方に戻りながら「入るスペースないでしょ」と返す。


「あ? じゃベットの下にでも突っ込んどけよ」

「俺のベットの隙間狭いから無理だわ。お前のは?」

「無理」

「ダメじゃねーか」


涼雅は部屋の中央に置いていたバックを持ち上げる。

仕事となった以上興味があるのか、央雅も横に並ぶ。


「中なんだろうな」

「知らね。重さは?」


「ん」とバックを相方の方に片手で突き出す。それを見た央雅はスウェットのポケットから片手を出し、受け取る。

軽いだろうとは思っていたが、思っていた以上に軽かった。

破裂しそうなほど膨らんでいる見た目と重量が釣り合っていない。


「……綿か?」


央雅は試しに少し上に放り投げて見る。

物がこすれあうような音は一切しない。


「ぬいぐるみ? となると、ありきたりなのは……ヤク?」

「まぁガキに運ばせるのは珍しくねェ」

「でも運ぶのなら預けるのはおかしいだろ。時間のロスでしかない」

「……」


央雅は首をひねりながらバックを涼雅に突き返した。

受け取ったそのバッグを呆然と見下ろす。


預かるのは3日間のみ。

4日目以降、この荷物は必要なくなるということなのか。それとも4日目以降は受け取りに来られないということなのか。

それ以上彼女のこともバックのことも推測するのをやめた。

彼女の正体や身分も、バッグの中身もその使い道も、知らずとも仕事はこなせる。


とりあえず。


「『荷物』がある以上飯は家だな」

「お前が作れよ」

「いいけど。皿はお前が洗えよ?」


央雅は面倒臭そうに舌打ちしたが、ローテーブルに置かれている二つの皿を重ね、片手をポケットに突っ込んだまま気だるそうにキッチンに引っ込んだ。





荷物を預かって1日目。

オフだったところの急遽舞い込んだ仕事だが、オフの方が珍しいゆえに仕事が入った方がスムーズにその日の予定が立った。

そのことまで含め、初日は何の問題もなかった。


2日目。

事が動いた。


この住処は誰にも知られていない。情報を売ることで生計を立てている情報屋もそう簡単には口を割らない。理由は単純。報復をされたらたまったもんじゃないからだ。

それもあり、2人は危険と並走しているにもかかわらず私生活にある程度の安寧を築いている。


築いている、はずだった。


2日目も仕事らしい仕事はなかった。預かっていた荷物以外することはなく、前日と同じように暇を堪能していた。

急転のきっかけは、窓ガラスの割れる音だった。


ソファーで並んでテレビを点けながらそれぞれのことをしていた2人は、反射的に立ち上がった。


破壊音がした方に注意を注ぎながらも、央雅は涼雅を指差す。

音がしたのはお前の部屋だな?

涼雅は短く頷く。


ぎしり、と床が軋む音がする。

その音は一回だけだ。

飛び込んできたのは、つまり1人のみ。


敵陣に単独侵入とは、見上げた根性だ。

央雅は軽く首を回しながらニヤリと片方の口角を吊り上げる。


ギィ、という蝶番の音。

ぎしり、とまた床が軋む音。

同居人の部屋に立ち入る回数は少ないが、それでもどこの床が軋んでいるのかは大体把握している。毎日同居人が歩くたびに軋ませているからだ。


それは室内に一箇所と、部屋を出てすぐの廊下で二箇所。


涼雅の部屋、央雅の部屋、そしてリビング。その全てをつなぐ廊下は直線だ。

ドアの開く音がして、その直後。

体の半分も出てきていないうちに、央雅はソファーの背もたれを飛び越え、飛びかかるようにして殴りかかる。

涼雅は相方の動向を気にかけながらも、ポールハンガーの足元に置いていたカバンを素早くソファーの下に滑り込ませる。


央雅の一撃をまともに食らった侵入者が何かを呟いた。

侵入者が床に倒れこむ音や打撃音で聞き取りずらかったが、自分たちの通称名だった気がした。


「誰だテメェ」


侵入者を床に伏せ、左の方を極めたまま央雅が問う。

侵入者は男だった。すぐに倒してしまったため背丈は分からないが、細くもなければ筋骨隆々でもない。

そいつは唇を強く噛んだまま、何も言おうとしない。


央雅はさらに肩を曲がらない方向へと押しやる。

その隙間からくぐもったような声が空気とともに吐き出される。苦痛の声だけでそれ以外は何も出てこない。


央雅はさらに肩を押しやりながら、ついでに掴んでいた二の腕に爪を立てるようにして鷲掴む。


どうやらこの状態から抜け出せるほどの技量はないらしい。

雇われた身なのか。それとも注意を怠りすぎた空き巣か。

もし前者なら白状しないだけまだ上等か。


それに、先程殴りかかった時に自分の顔を見てこの世の終わりのような顔をしていた。ここが誰の住処なのか、知らずに乗り込んできたのだろう。


「どうする、シめるか?」


鼻で笑いながら、声を少し弾ませながら央雅は後方 に確認を取る。

「うーん」と悩むような声が答えたが、それはさほど考え込んではいない。


「侵入するにも決意が必要だったろうし、それを汲んであげるためにも根掘り葉掘り事情を聞いてあげてもいいんだけど、ケーサツ沙汰は俺らも得しないしなぁ」


涼雅はいつも以上に明るい声ですらすらと言葉を並べる。

この男が動けなくなって、少なくとも30秒は経過した。それでも援軍が来ないどころか、ほかに気配を感じないあたり、単独と見て間違いない。

涼雅は侵入者の顔側に回り込む。

そしてその位置に涼雅がしゃがみこむと、央雅は左側を向いていた男の髪を引っ張り、涼雅の方を向かせた。


「まぁ、ぶっちゃけお前みたいなのは街で絡んでくる雑魚と大差ねーけど、ここ知られたってことが厄介なんだわ」


男の正面に座り、その顔に自身の影を落とす。

相手の口元が怯えるように歪む。


「眼中にねーから帰してあげるけど、他の誰かがこの場所を知ってるなんてことがあったら……どうなるか分かるな?」


涼雅の声が低くなると、男の喉仏が上下した。髪を引っ張られているにもかかわらず、男は何度も頷く。

その恥辱な姿を涼雅はケータイの画面に収めてシャッターを切った。


その音が静かに響くと、央雅は掴んでいた髪から手を離し、重心をあげる。

少しでも逃げれる隙間ができると、男は四足歩行の動物のようにバタバタと距離を取り、そのまま破ってきた窓から出て行った。


「ったく、どーしてくれんのよ。今日雨降ったら俺雨風にさらされながら寝るしかなくない?」と軽口を叩く調子で涼雅は窓のかけらを拾う。

「俺の部屋には絶対来んなよ」

「行きたくても施錠されてるだろうが」


破壊された窓も十分問題だが、それより先に片付けるべきものがある。

あの男がこの場所を知り得た理由だ。

情報屋に聞いた可能性も十分あるが、あんな下っ端のような男には例の情報屋にたどり着くことすら不可能だろう。


家主を知らずに場所を特定したと言うことは、自分たちが目当てではない。

今この家で自分たちに関係するもの以外といえば、預かった『荷物』しかない。


涼雅の部屋から離れながら央雅は「バッグは?」と尋ねる。

「ソファーの下」


言う終わるや否や、央雅はカバンを引きずり出し、問答無用でファスナーを開けた。


「あ?」

「うわっ」


中に入っていたのは、犬や猫や兎などの姿をしたぬいぐるみだった。

それがみっちりとしまいこまれている。

ファスナーを開けた途端、一番上に置かれていたぬいぐるみが飛び出るように溢れた落ちた。


「クスリか?」


涼雅は落ちたぬいぐるみを手に取り、指で潰すようにして中を確認する。


「いや、何もなさそうだ」


央雅も目に付いた人形を手に取り隅々まで指圧する。

違和感はない。硬い箇所は目玉の部分だけだ。


怪しい物は入ってなさそうだ。逆にそれが怪しい。

ぬいぐるみを詰めたバックを預ける理由もなければ、こんなおもちゃ箱のようなものを狙う輩がいるとも思えない。


2人はバックを挟み、片っ端からぬいぐるみを調べていく。

中にわた以外のものは入っていないか。どこかに何かを隠せそうなものはないか。

この場所を特定できそうなものは隠されていないか。


「……」


涼雅は意味もなく目についた外側のファスナーを開けた。

ぬいぐるみに押しつぶされて機能できなさそうだが、一応ポケットだ。

試しにその中に手を突っ込んでみると、奥深くで指先を何かが掠めた。それを手繰り寄せるように上まで運んで陽の下で確認する。


特徴のない黒くて四角い何か。

大きさは小指の第一関節ぐらいだ。


機械類に明るくはないが、普段目にしないものだからこそ断言できる。


「GPSか?」


この発信機の信号を辿り、あの男はこの場所に運悪く足を踏み込んだ。


「あの女の仕業か?」

「いや、それは流石にないだろ。そんなに不安なら人に預けるはずがない」

「じゃあ、あの女を使ったどっかのクソ野郎が仕込んだってことか」


ハッ、と央雅は鼻で嘲笑う。


「信用できねェ相手使うのかよ。バカじゃねェか」

「まぁまぁ。とりあえず……あの子は『クロ』だ」


温厚な涼雅の目の奥が鈍く光る。

これがただ怪しむだけならどんなに楽な話だったか。


央雅は鼻でため息のように長い息を吐きながらぬいぐるみの選別を進める。

調べては外に放り、それを繰り返していくうちにバックの側面が、底が、見え始める。

終わりが見え始めた頃に手に取ったぬいぐるみにようやくあたりの感触があった。リボンをつけた熊のぬいぐるみだった。

それは石のような硬い感触だが、石なんかよりもずっと平面だった。


正体を知るためにぬいぐるみを引き裂こうとしたが、背中部分にファスナーがあった。 それを下げる。こちらの様子に気づいた涼雅は自分の作業をやめ、問題のぬいぐるみを凝視していた。


ファスナーを開けて出て来たのは鍵だった。

どこにでもありそうな鍵に、数字の書かれた楕円形のプラスティック板がつけられている。


「ロッカーの鍵、か」


涼雅は相手の手の中にある鍵に顔を近づける。央雅も手にしたものを相手の方に差し出しながら少し顔を引く。


「というか……、発信機見つけたんならもう漁る必要なかったんじゃねェの?」

「……ほんとだ」

「……」

「……」


涼雅は央雅の手から似合わない熊のぬいぐるみと鍵をすっと抜き取り、元あったように鍵を背中にしまい、静かにチャックを閉め、そのまま何事もなかったかのように中に戻した。

続けて央雅が手近なところにあったぬいぐるみをバックにしまう。

次は涼雅が。その次はまた央雅が。


そうやって全部を元に戻して。なんならポールハンガーの下にまで戻して。

2人は互いに顔を見合わせて一つ頷いた。


とりあえず今はまだ見なかったことにしよう。

あぁ、そうだな。


探りすぎた感は否めないが、発信機を取り除くことは許されるだろう。

涼雅は手のひらの小さな箱を見つめる。

さて。これは壊しておくべきか。どこかに放り投げるべきか。

壊して、それを先方に知られてしまうと少し厄介なことになるかもしれない。


涼雅は少し考えた後、床の上に雑誌を置き、工具箱から持ってきた金槌でぶっ叩いた。

原型がなくなったそれを見て、涼雅は満足げに「よし」と呟く。


「あーあ、やりやがった」


ため息混じりに央雅はそう呟いたものの、そうするだろうなとは雑誌を敷く前から勘づいていた。





『こっち』の界隈に足を踏み入れて短くはない。

自分たちはもう『裏』の深いところまで潜り込んでしまっている。


自分の寝起きが悪いことはもう気づいているが、目覚めが悪いわけではない。

早く起きることは好きではないが早く起きれないことはない。

一度寝たからといって長い間眠り続けるわけでもない。自分だけでなく相手も眠りは浅い。昔はどうだったもう覚えてないが、『こっち』に入り込んでから浅くなった。


同居人が何をどうしたいかなんてのは正直「好きにしろ」の一言に過ぎないが、どうしたいかをなんでか察することができてしまう。好きでそうなったわけではないが、付き合いが長いのだから仕方ない。きっと向こうも同じだ。


だから、4日目の朝。

央雅が目を覚ました時刻はいつもより早かった。

あいつの事情も依頼主の事情も知ったこっちゃない。そう思い再び目を閉じたが、とうとう眠気すら訪れなかった。


苛立ちながら勢いよく上体を起こす。

眠れないけれど、目が完全に開くわけではない。

半分ほどしか開かない目で、枕元のケータイを手繰り寄せ、時刻を確認する。

8時47分。

世間からすれば遅いのだろうけれど、ある種夜の仕事をしている身からすれば馬鹿みたいに早い。


この時間に起きたらあの同居人にどんな顔をされるか。

そう考えると見る前から腹立たしいが、央雅はベットから立ち上がった。


足音で気づいたのか、ドアを開ける音で気づいたのか、廊下に出ると既に起きていた涼雅がにんまりと笑った。


「わーぉ、央雅ちゃん、起きるの早いじゃん。やっぱり気になるんでしょ?」

「ンなわけあるか」


嗄れた声で悪態をつきながらソファーに座る。

テレビをつけ、適当に番組を回す。

芸能ニュース。エンタメニュース。占い。どれもすっとばして、天気予報でリモコンを手放した。

今日の天気は晴れのち曇り。降水確率は0%。


「おい」とキッチンに声を飛ばすと、「なに」と答えながら涼雅が2人分の皿を持って出てきた。今日の朝食はトーストらしい。

ローテーブルに置きながら「ジャムは?」と央雅に尋ねる。


「いらね。……それより何時に出てく気だよ」

「あそこ何時からだっけ?」

「あそこってどこだよ」


どこに行くかは検討がつくが、あえて聞いておく。


「どこってギャビンのとこだよ」


相手もそれに気づいているのか、呆れたように答えた。

この場合は相手の考えがわかるとかではなく、この時間帯に自分たちがいける店とこの場合に行くべき店は数少ない。


「あの女のとこかもしれねェだろ」

「いや行くかもだけど! この場合はあっちの子でしょ」


結局、依頼人である少女はこなかった。処理していいと言われているのだからもう何をしても怒られはしないだろう。

涼雅はバッグの中から例の熊のぬいぐるみの中身を取り出す。


街にロッカーはいくつかある。情報屋に頼みそれらを監視カメラの映像から探し出す手段もあるが、それよりも早く結果が出る場所がある。


「央雅ちゃんもついてくるー?」


ロッカーの鍵をズボンのポケットに突っ込み、ソファーにすわりパンをかじる。


「ここブッ壊したクソ野郎に借りがあるからな」


そう答えてトーストに歯を突き立て、そのまま力任せに食いちぎる。

パンくずが飛び散った。


「じゃ、9時集合な! 遅れるなよぉ?」


やけにテンションの高い同居人に冷ややかな視線を浴びせているとテレビに呼ばれた。

画面の女性アナウンサーが真剣な顔つきで『9時のニュースをお伝えします』と宣言し、手元の紙を読み上げる。


「で。何時集合だって?」

「9時半ぐらいが妥当かなって思うんだけどどうですかね」

「遅れんじゃねェぞボケ」






『den of hawks』。

繁華街の一角に構えている夜の店だ。

夜といっても開店するのがその時間なだけで、日中から中に人はいる。


店の脇にバイクを止め、ヘルメットを脇に抱えて店の裏口に回る。

壁と同色の目立たないドアを涼雅がノックすると中からサングラスをかけた男が出てきた。

男は右手についていた杖で二回床を叩く。


「……テメェらか。何の用だ」


腹の底に響くような低い声でそう言いながらギャビンは2人の顔を交互に確認した。

涼雅は気さくに手を小さく振る。


「朝っぱらにわりーな。ちょっくらここの歌姫に用があってさ」

「……」


ギャビンは何も答えずにドアを開け放って店の中に引っ込んでいく。口数の少ないその男に続いて2人も店の中に入って行く。


開店時は薄暗がりの店内だが、日中は煌々と電灯が光っている。


店の裏の細い通路を通過し、ホールに出るとキャストと従業員の何人かが店のソファーに座り談笑していた。

まだ開店まで時間があるため、女性陣も普段の様子のままだった。


「あら、『天月』さんじゃない。久しぶり」


髪のいちばん長い女性が胸の前で小さく手を振る。店に出てるときのような華やかな衣装がなくとも彼女の笑う顔は花のようだった。


涼雅は対ギャビンの時よりも大きく手を振り返す。


「久しぶりー、ジェンナちゃん」


ジェンナは席を立ち、深々と頭を下げる。

綺麗に染められた金色にすら見える茶色の髪が前に垂れてくる。


「どうかなさったんですか?」


丸みのある柔らかい声でそう言いながら、首をこてんと傾げる。


「今日はジェンナちゃんに用があってさー」


家にいるよりも明らかに高くなった同居人を鼻で笑いながらも央雅は近場の椅子に腰を下ろし、気だるそうに足を組む。

すぐに終わる話に何分かけるんだか。そう思いながらため息をつく。


「私に?」


ジェンナは自分を指差してから涼雅の元に小走りで走り寄る。

声をかける前に腰を跼め、座り込んだ央雅に「お久しぶりです」と小さく頭を下げた。央雅はひらりと一回だけ手を振る。


「なんでしょう」

「これ、どこの鍵か知ってる?」


涼雅は彼女の前に例のロッカーの鍵を垂らす。

ジェンナは手に取るまでもなく、なんなら考える間を置くまでもなく、すぐに「はい」と頷いた。


「公園の脇のロッカーですね」


そう断言し、綺麗に飾られた爪で鍵を軽くつつく。


「鍵の形状までは断言できませんが、ナンバープレートの色と印字のされ方は合ってると思いますよ」

「さっすがジェンナちゃん。ついでにもう一個聞きたいんだけど」

「なんでしょう」

「20代手前ぐらいの髪の長い女の子なんだけど」


ジェンナは目線を少し上に持ち上げて、顎のラインを人差し指でなぞる。


「髪の毛の色とか他に特徴ありますか?」


少し声を小さくして自信なさげに尋ねる。


「髪の色は黒。俺らが見たときの格好は白いTシャツに膝上のデニム、あとカーキー色の裾の長い上着を着てたはず」


間髪入れずに「ごめんなさい、そっちは分からないかも」と彼女は眉尻を下げる。


「だよなぁ。写真でもあればよかったんだけど」


暇してるとこ急にきてごめんね、と涼雅が手を立てるとジェンナは手と首を一緒に横に振った。


「邪魔したな」


キャストたちから離れた席でタバコを吸っていたギャビンに声を飛ばす。

ソファーの背もたれに頭を授けながら煙をたっぷり吐き出してから、サングラスの奥の鋭い双眸で2人を見る。


「ウチのヤツを都合良く使いやがって」


尖ったその声に涼雅は苦し紛れに舌を出す。


「悪いって。今度はちゃんと正面から来るからさ」


ギャビンは手の代わりに杖を持ち上げ、二回前後に振る。

こちらを見ずにタバコを再び咥えたその横顔からは表情がつかめない。


涼雅は苦笑まぎれに肩を竦め、通された道を逆走する。

連れが少し歩きだしてから隣に置いていたヘルメットを忘れずに抱え直し、央雅も出口に向かう。


タバコの灰を灰皿に落としているギャビンはやはりこちらを見ていない。

一応挨拶がてら手を挙げると、ギャビンの杖が再び上を向き、追い払うように揺れた。


そういえば厳つい見た目の割に面倒見のいい奴だった。

少し口角を持ち上げながら央雅もきた道を戻る。


店の外に出で、2人はそれぞれのバイクにまたがった。


「で。次どうすんだよ」


ハンドルの上にヘルメットを乗せ、その上に両腕を乗せ、そして顎を乗せる。


「お前にこれ任せていい?」


涼雅は金具に指を通し、それをくるくると回す。


「俺がそっち行って、お前はどうすんだよ」

「情報屋さんのとこ行ってくる。あの女の子の行方調べてもらうわ」

「あっそ」


顎の下から左手を抜き、相方の方に手を伸ばす。その手にロッカーの鍵が乗せられると、それをライダースの内ポケットにしまいフルフェイスのヘルメットをかぶる。


「なんか分かったら連絡する」


そう言った涼雅を一瞥して、央雅は愛車を発進させた。





公園とは言っても広さは猫の額だ。

一応休めるようなベンチと古めの自動販売機が置いてあるだけの何もない空間。

その入り口近くにロッカーがある。


縦に5列。横に5列。

使用済みのロッカーもいくつかあるが、空いているものもいくつかある。

それらの鍵と涼雅から受け取った鍵を見比べる。


両方とも白いプレートにナンバーが彫られている。


「……」


例のロッカーの番号は14番。

そこのロッカーは施錠されている。

ジェンナの情報通り、ここで間違いなさそうだ。


14番のロッカーは下から2段目。なんとも開けにくい位置にある。

央雅はその列の前にしゃがみこみ鍵を差し込む。


ガチャリ、と小さく音がしてから、ドアが勝手に少しだけ空いた。

その隙間に手を突っ込み、一気に限界まで開く。


中に入っていたのは鞄だった。

預けられたバックよりはずっと小さいが、今見つけた鞄の方がずっと持ち運びにくい。


それの形状はショルダーバッグだ。

シンプルに黒一色だったら問題ないし、無駄にデザインが凝ってなければ真っ赤でもそこまで問題はない。

だが、フリルが付いているのは問題外だ。

チャックに可愛らしいボンボンが付いているのは百歩譲って引き千切るとして、フリルがバッグ本体に縫い付けられているのは問題外だ。


「……」


とはいえ、嫌だからと見逃すわけにもいかない。

今はこれが最大の手がかりだ。

仕方なく央雅はロッカーにショルダーバッグの全体を隠したまま、中を確認することにした。


入っていたのはスマートフォンと財布と。


「……また鍵かよ」


どこにでもありそうな剥き出しの鍵と、既視感を覚える楕円形のナンバープレート。

今度はオレンジ色に数字が刻まれている。

それだけ見て央雅にわかることはどっかのロッカーの鍵であるということのみ。そのロッカーがどこにあるのか分かる人物は少数しかいないだろう。


央雅はショルダーバッグの中に入っていたスマホをライダースの内ポケットにしまいこむ。ついでにロッカーの鍵も同じ場所にしまう。


続けて財布の中身を確認する。

入っているのははした金のみ。この金額では何も買えない。カードの類も入っていない。それどころかレシートもない。これでは財布の意味もない。

これを持っていく必要はないだろう。


ショルダーバッグの外ポケットも一応確認してみる。

中に手を突っ込んで見たが、何もない。


央雅はロッカーを閉める。

一応中にはまだものがあるので鍵をかけておくべきか。


央雅は渋々小銭を取り出し、ロッカーに飲み込ませ鍵を回した。


いくら気の良い男といえども、2回も同じ用で尋ねたら追い返されるかもしれない。

だが行くしかない。

追い返されたら、仕方ない。涼雅に頭を下げさせよう。


さてと、と隙だらけで立ち上がる。

一歩踏み出すよりも前に影が動いた。

ロッカーを開けたあたりからずっと見張っていたのは気づいていた。


その影は立ち上がった央雅の後方から打撃を加えようとしてきた。

それを左側に重心を傾けて躱し、すぐさま右の手の甲を後ろに振り抜く。


奇襲が下手くそとはいえ、さすがにこの程度は止められるらしい。


振り返り、その人物の姿を確認する。


「あ?」


人の顔を覚えるのは得意ではないが、どこかで見覚えのある顔だった。

相手の顔の造形からいつどこで遭遇したのかは思い出せないが、ここで出てきたことから察しがつく。同居人の窓ガラスを割った男だ。


そっちはそっちでこのロッカーを探り当てたのか、それとも自分たちの動向をあれからずっと探っていたのか。それとも『天月』を街中で見かけたから追いかけ始めたのか。


男は何度も攻撃を繰り出してくる。

央雅が躱すと、男の拳がロッカーに当たる。その箇所が少し凹む。


男の攻撃はどうも理性が欠けている。

こういう輩の切羽詰まった顔は何度も見てきた。我武者羅といえば少しは聞こえがいいかもしれないが、もう後がない奴の行動は読めない。時に自分の命すら顧みないことがあるからだ。


男の攻撃を躱したり受け流したりしながら、少しだけ考える。

おそらくこの男は雇われの身なのだろう。その雇用主は新たに手に入れたロッカーの鍵が番をしている先に用があるのだろう。もしかしたらその中もまたロッカーの鍵かもしれないが。


そうやって錯乱させているということは、依頼人の少女は初対面の時すでに追われていたのだろう。その少女が今どうなっているのか、それは央雅が考えるべきことではない。相方の仕事だ。


力技だけではどうにもならないと思い知った男は、懐から刃物を取り出した。どこにでもありそうな折りたたみ式のナイフだ。

それを央雅の腹部につきたてようとする。

央雅は刃先から逃れるため横に移動し、その手をあえてさらに自分側に引っ張る。

少し体勢を崩した男の胸ぐらを掴み、ロッカーに背中を叩きつける。

ガハッ、と息を吐き出し怯んだ男の腹部にすかさず拳を食らわせる。


男は苦しげに顔を歪めながら腹部を抑え、もう片方の手を央雅の腕に手を伸ばした。

二の腕あたりをつかんだ腕がずるずると力なく下に落ち、そのまますとんと地に腰を下ろした。

もう起き上がってくる気配はない。


央雅は動かなくなったのを確認すると、そのまま振り返らずにバイクを止めていた場所に向かった。







ビルの隙間にできた道と呼びがたい細い裏路地。

捨てられたゴミが路地の隅にいくつも転がっている。


バイクすら通れないその隙間を涼雅はヘルメット片手に突き進む。

とてもじゃないが入り口とは思えないその路地裏に入り込み、一番初めのT字路を左折。そのすぐ次の曲がり角を右へ。

そのあたりでようやく道幅が広くなる。

涼雅は身体の後ろ側で提げていたヘルメットを脇に抱え、余裕ができた道幅で肩を少し回し、胸元にぶら下げていたサングラスをかける。


一番先に顔を出すのはまるで煤汚れた廃屋のような、飾り気も人の気配も皆無な建物だ。

中に入り込める入り口もその通路側に設置され、そのドアの上にはデザインがごちゃごちゃと詰め込まれた小さな看板があり、目を凝らすと『diner』と書かれている。


珍しく静かなので定休日か? と涼雅は少し店先で様子を伺ってみると、「好き嫌いしてんじゃねぇ!」と甲高い怒声があたりに響いた。ガタガタと窓ガラスが揺れた気もする。

どうやら通常運転のようだ。


発破もかけてもらったところで涼雅はさらに奥に進む。


定食屋の前を通り抜け、美人ママのいるバーを通る。

ここにあまり立ち寄る機会もないことを考えるとママにも会いたいところだが、後ろ髪を引かれつつもさらに進む。


飲食店ばかり構えているわけではないが、ここには仕事でくることがほとんどで。そのついでに何かを腹に入れていくことが多い。そのため飲食店の場所は鮮明に把握している。


路地裏にできた街並みのそのさらに裏。

慎重すぎるほど引きこもっているその目的の人物がいる建物のドアの前に立つ。

建物の外見は箱のようなものだ。外壁は白いのだが、雨風にさらされたせいで壁に入ったヒビなどを含め少し茶色くくすんでいる。

涼雅はドアを叩く。ノックすると響いた音は重低音だった。


少ししてからザーとノイズのような音が聞こえてくる。

ドアの横に取り付けられたインターホンからだ。


『空いてるわよ』


それだけ言うとブツリと通信音がしてノイズが消えた。続けてガチャと鍵の開く音がする。ボロく見えるがこの建物は設備が他よりも厳重だ。


一見脆そうな木製のドア。

涼雅はドアノブをひねり、片手で押す。初めてこのドアを開けた時は見かけに騙されて片手で突っぱねるようにしたら、思いのほか重たくて思わず声が漏れたこともあった。


それはさておき。

鉄ぐらいの重さのあるそれを押し開けると、その隙間から中に光が入り込む。

建物内に明かりらしい明かりは見当たらない。

涼雅はサングラスを外した。

かろうじて電球が一個ある程度で、ほかに光源はない。足元が見える程度の明かりがあるのは日中だからだろう。

入ってすぐの空間にはその光源と、転がっていると言うべきな固いソファーと、何も置かれていないローテーブルと、他には服や靴などが放棄されている。


その部屋をまっすぐ突っ切ると、また別のドアにありつく。

先程のドアとは違い、こちらは紙のように軽い。指先で小突くだけ開きそうだ。


奥の部屋も同じように暗い。

こちらの光源は電球ではなく、複数あるモニターだ。


涼雅はドアのすぐ脇にあるスイッチを押した。

一押しすると、部屋が瞬く間に明るくなる。


全てのモニターはとある一点を向いている。その焦点である位置には椅子が置かれている、その上で胡座をかいていたその人物は明るくなった途端悲鳴をあげた。そして被っていたフードをさらに深くかぶる。


「急に何すんのよ。勝手に人ン家のもの触らないでくれる!?」

「まーた暗いところで作業して。目が悪くなるって言ったでしょうが」


家主である女は座っていた回転椅子を半周させ、来客である涼雅を長い前髪に隠された双眸で貫いた。


「で。今日は何の用? いくらくれんの?」

「すぐ金の話すんだから……。今日は人探して欲しいんだ」

「名前は?」


ズバリと聞かれ、涼雅は声を小さくしながら「分かんねー」と答える。


「……」


眉を寄せ、眉間に深くシワを刻み、チンピラが威嚇するような顔をしながら情報屋は涼雅にガンをつける。


「待て待て! 顔は覚えてる、ってかお前が勝手に俺らン家教えたあの子だよ!」

「あぁ、600万円の子? ほんとにアンタたちのとこ行ったんだ」

「嫌な覚え方してんなぁ……。まぁ、その子なんだけど」


はいはいと頷きながら、情報屋は椅子をまた半回転させてキーボードを叩き始める。

すると全モニターに町の映像が映る。


「600万があんたのとこ行ったのいつ?」


呼び方に苦情をつけたいところだが、そこで討論している時間はない。


「3日前だよ」

「はいはい」


再びキーボードを叩く。

中央の一番大きなモニターにどこか見覚えのある光景が映る。

画面中央の建物は自分たちの住処だ。情報屋はその画像をアップにする。

外開きのドアにより自分の姿も相方の姿も見えないが、客人の姿ははっきりと写っている。


「この子でしょ?」


情報屋は画面の少女を指先で数回叩く。


「あぁ、その子の行方を追ってくれ」

「へいへい」


またキーボードを叩く。

機械類のことに明るくはないが、前に監視カメラにハッキングして映像を勝手に使ってると言っていた。今回もおそらく同じ手段だろう。街中にある監視カメラから少女の姿を探しているのだろう。

3日分の映像を解析しているのか、先ほどのようにすぐに確認を取ってこない。


涼雅はケータイを確認した。

相方からの連絡はない。『den of hawks』から情報屋の元にくるまでと、ロッカーに行くまででは圧倒的にロッカーの方が近い。

もう鍵は手に入れているだろう。だが連絡はない。


あの男は連絡を入れたがる性格ではないのでいつも通りだし、まぁ心配することもないのだろうけど。


「おい、『天月』」


情報屋に雑に腕を叩かれる。


「最後に映ってんのがこれだ」


再び中央モニターに少女が映る。

アングルは上からだが、服装はあった時のものだ。


「ここ、どこだ」


背景は夜中だ。なのに明るさは日中と変わらない。


「ホテル街だな」


そう言って、女は近くの店の看板を拡大する。


「……まさかあの600万って」

「身売りって断言するのははえーだろ。ハニトラかも知れねーぞ。この歳ぐらいの女は使い勝手がいいからな」

「おい!」


涼雅は女の椅子を強く引く。

女は涼雅を下から見上げる。長い前髪の下に隠された双眸は何も映さず無表情だった。

すまん、と謝りかけたがそれを不恰好に飲み込む。

この女なら『同情するなら金をくれ』と脅しかねない。それほどまで突っぱねる気力があるのはいいが、だからといって抉っていい話ではない。

同情で人が救えるわけじゃない。


「お前も分かるだろ。フツーにしてたら600万稼げねーんだよ」

「……」


分かる。

自分たちの生活費だって『フツー』に稼いだものではない。


「……映ってたのはいつのことだ?」


情報屋は淡白に答えを切り返す。


「2日前の夜だ。ホテル街の廃ビルに入って、そっから消息不明」

「……嫌な言い方するなよ」

「そういえば、この女はテメェらのとこに何しに行ったんだよ」

「荷物を預けに来た。正確には鍵だけど」

「ハーン。ま、大方シゴトが嫌になって逃げ出したんだろ。そんな奴の命はねーな」

「だからやめろって」


強く否定できなくなった涼雅を前に女はケタケタと笑うだけだった。


「とりあえずこっから先はあたしにも無理」

「ん。サンキューな」


とりあえず用件はこれで済んだ。

涼雅はケータイのパスコードを外した。

いつも通り履歴から相手を選ぼうと発信履歴を開く。悲しいことに、女のコの名前はほとんどなく、仕事の関係で仕方ないとはいえ相方の履歴が多い。の割に着信履歴はすごく少ない。


寂しい発信履歴はもはやどこをタップしてもかかる人物は同じだ。

涼雅は親指で押しやすい位置の履歴をタップし、電話をかける。


1分ほどコールしていると、ようやく出た。


「あ、もしもし、央雅?」

『何』

「冷た。今なんかしてた?」

『別に』


相手がそう答えると、腹に響くエンジン音がした。続けて風を切る音がする。

ハンズフリーのイヤホンをさしているのだろう。家出る時はつけていなかったので、こんなこともあるだろうと予想していたのか。


「運転中か?」


一応聞いてみると、『うん』とも『おう』ともとれない返事をされた。


『だから切るわ』

「え、ダメに決まってるだろ」


チッ、という舌打ちを無視して報告に入る。


「女の子の行方はなんとなく分かったよ。今の居場所は分かんないけど」

『は。使えねェな』

「うるせ。お前は? 今何してんだよ」

『「hawks」に向かってる』

「へ。また? なんで」

『あ? 好きで行くんじゃねーよ』

「ギャビンに用事?」


説明するのが面倒なのか、煩わしそうに「あぁ?」と唸られた。


『そっちじゃねェよ』

「ふーん」


ということはジェンナの記憶力しかない。


「ロッカーでの用事は終わったみたいだな」


頼んではいないが、情報屋はモニターに公園脇のロッカーを映した。

少し前の時刻の映像らしく、じゃがみこんでロッカーを開けている相方の姿が映っている。

映像の角度からロッカーの中身も少し見えた。


「入ってるのはカワイイ鞄だな。そっからなんか取り出したみたいよ」


女がエンターキーを一度押すと、央雅の姿がなくなった。

映像が過去ではなく現在の状況を映し出す。

そこに映っているのはロッカーの前で腰を下ろし動かなくなった男が1人。


「あら」


それを見て女は対して驚いた顔をせず、口元に片手を当てた。

何かあったのかと、涼雅はそのモニターを覗き込む。


うなだれた男の胸元には、ナイフが突き刺してあった。


「おい、央雅。お前がいたロッカーの前で男が1人死んでんだけど、それに巻き込まれたりしてねーよな?」

『男? 誰だよそいつ』


電話越しの声が聞こえていたのか、好奇心からなのか、情報屋はキーボードを叩き死体の身元を素早く割り出した。

右側のモニターに正面を向いた男の顔が映る。


「こいつ……俺の部屋の窓ガラスぶち破ったやつじゃねーか!」

『あぁ、あいつか。ロッカーの前でブチのめしたな』

「お前、邪魔されたからってナイフで刺すことねーだろ! 事切れてんぞ!」

『あぁ? テメェをブチ殺してやろうか』

「冗談だって。ま、お前じゃねーわな」


前のめりにしていた腰を元に戻しながら、少し安堵した声で返事をする。


「この男を殺したのはこいつね。帽子まで丁寧に被って怪しいやつだけど、どうする? 正体知りたい?」


情報屋は右手の人差し指と親指で丸を作りながら涼雅を見上げた。


「いや、それはいいや。この件の黒幕を潰したいわけじゃねーからな」

「あっそ。ケチ」


涼雅はライダースのポケットに剥き出しにしまっていた3枚の万札を取り出し、テーブルの上に置いた。


「えー? たったの3枚かよ」


女は受け取った万札を明かりに照らしながら不満を垂らす。


「分ーったよ」


2枚付け足す。

嫌な会話をさせた詫びだ、とは付け足さず。


金の亡者はまだ不満げだったが、涼雅は見なかったふりをして建物を出た。


明かりの足りてない場所から外に出て、涼雅はまずサングラスをかけた。


「とりあえず俺は女の子がいるかもしれないとこ行ってくるから」


電話の向こうにそう声をかけると、帰ってきたのは『ツー、ツー』という電子音だった。

耳に当てていたケータイの画面を確認すると、『通話終了』というそっけない文字列。


「切りやがった」


冷てーヤツ、なんて零してみるが、そんなのずっと前から知ってることだ。

涼雅は相手に届かなかった今の文面をメッセージで送る。きっとこれに関しても返事は来ないのだろうけど、知らせておいて損はないだろう。


涼雅はケータイをポケットにしまい、裏路地街を急ぎ気味に後にした。






さほど時間を開けずに再び同じ場所に戻ってきて、同じ相手に同じ事を聞くのはなんとなくやりにくい。

とはいえふざけた要件ではないし、冷やかしに行くわけでもない。


央雅は『den of hawks』の裏口を乱暴にノックする。

足音と杖の音が近づいてきて、やはりサングラスをかけた男が顔を出す。


「またテメェか」

「テメェに用はねェよ。女だせ」

「口の利き方がなってねェな」


ギャビンは杖で自分の肩を叩きながら、声を低く響かせる。


ガラの悪い男2人が睨みを効かせ合い、互いに牽制しあっているとギャビンの後ろからひょっこりとジェンナが顔を覗かせる。


「あら、『天月』さんじゃない」


さっきぶりね、と微笑みながら清楚に手を振る。


「ジェンナ、何で出てきやがった」

「貴方が声を荒げてるみたいだったから何事かと思って」


目つきの悪い男2人の間に立ちながらも、彼女は気の良い笑みを絶やさずに2人をなだめる。


「『天月』さんがいらっしゃったってことは、また用事があるんでしょう? 私かしら?」


すこしからかうような声色で、ジェンナは央雅を下から見上げた。

肯定も否定もせず、央雅は彼女の目の前に新しく手に入れたロッカーの鍵をぶら下げた。


「どこのか知らねェか?」

「この色は……ホテル街の少し入り組んだところにあるロッカーですね。少し説明しにくい場所にあるんですが……」

「それだけ知れりゃ十分だ」


央雅が内ポケットにロッカーの鍵をしまっていると、「女にも礼儀は払え」とギャビンが釘をさす。


「そう目くじら立てないの」

「ダメだ。そこの分別できねェやつに敷居を跨がせるつもりはねェ」


央雅はやりきれないように髪の毛を掻いてから、「助かった」とジェンナの肩を手の甲で軽く叩く。

「あら」と彼女は少し目を丸くしたかと思いきや、くすくすと小さく笑う。


「ここまでしてくれても不満なの?」


彼女がちらりとギャビンの様子を伺うと、ギャビンは片方の口角を上げて踵を返す。そして背を向けたまま手を振る。


「ごめんなさいね、あの人物騒な身なりしてるのに礼儀にはうるさいから」

「まぁ、知ってる。呼び出して悪かったな」

「気にしないでまたいらしてね」


彼女はそれ以上引き止めようとはしないで、おおらかに微笑む。

央雅はとってつけたように首だけで頭を下げ、背を向けながらヘルメットを被った。


バイクにまたがると、そういえばとふと思い出し、ケータイを取り出す。

先程同居人から連絡が入ったが、途中で関係ない話をし始めたと思ったのでこちらから切った。その件でもしかしたら文句の一つでも送られてきているかと思ったが、送られてきたのは向こうの所在を知らせるものだった。


『ホテル街に向かう』


その文面を見ながら央雅は少し考え込む。

結果的に自分も向かうことになったので、合流するべきだとは思うのだが。

「俺も」と送るのは何か違うし、「どこにいる」と送るのも何か変だ。

もっと詳しく状況を教えればいいのだろうけれど、それは面倒くさい。


『今どこ』


これで理解できなかったら向こうから連絡入れてくるだろう。

そうなった時いちいち停車するのも面倒だからハンズフリーを耳にはめとくのが楽だ。ヘルメットをつけたまま装着できるハンズフリーも世間には存在するらしいが、そのヘッドセットはどうも配達員のようでつけたくはない。

央雅はヘルメットを外し、耳に持ち合わせているハンズフリーのイヤホンをさしこむ。そうなるとヘルメットは邪魔になるので、シートの下にしまう。


いわゆるノーヘルの状態で、サングラスをかける。

この地域は自分たちが息しやすいぐらいに治安は良くない。


央雅はキーを回し、エンジンをふかす。

視界の隅にずっと彼女の姿が入っていたが、気づかないふりをして単車を発進させた。


エンジン音が遠ざかるまで、ジェンナは裏口で見送っていた。





「おっ」


連絡をこまめに入れたがる奴じゃないから、未だに連絡が入ると「珍しい」と思ってしまう。

ホテル街の近くの道沿いでバイクを止めこれからどうするかと考えていると、相方から連絡が入った。


文面は『今どこ』のみ。

そのすぐ上に自分の分には『ホテル街』と送っているのにもかかわらずそれを聞いてくるのか。

まぁホテル街のどこにいるのかという意味なのだとは思うが、こういう時は暗に打つのが面倒だから連絡を入れて来いって言っているような気もする。


まったくしょうがない奴なんだから、と世話焼きを働かせながら涼雅は再び央雅に連絡を入れた。


今度は10秒足らずで出た。


「あ、もしもし央雅?」

『何』

「お前今どこいんの?」

『どこって、道』

「いや、確かに後ろからそれっぽい音が聞こえてくるけど。そうじゃなくて、どこ向かってんのって話」

『あ? お前と同じとこだよ』

「え? なんでさ」

『分っかんね』

「央雅クーン? 分かるように説明してくれませんー?」


チ、と舌打ちを挟んでから不機嫌そうな声で話しはじめる。


『あの鍵開けたらまた鍵手に入れたんだよ。その鍵がホテル街のロッカーだとかいうから』

「ホテル街にロッカー? あったっけ?」

『知るかよ。お前の方が詳しいんじゃねェの?』

「嫌味かこの野郎」

『あー、悪ィ悪ィ。お前声かける割に成功率低かったっけ?』

「もういいわその話は! とりあえず、俺、先についてっからロッカー探して見るわ」

『見つけとけよ』


それだけ残すと一方的に切られた。

相変わらず自分勝手というか、自由人というか。


ため息混じりにケータイをしまい、涼雅はホテル街に踏み込む。


とはいってもこの街の隣地区に住んでいるため、正直ここは詳しくない。

歩いてみるだけなら何の問題もないが、人探しやもの探しをするには無知すぎる。


とりあえずただ街を散策しているだけで見つかるような場所にはないだろう。

となると、少し踏み込んだ場所にしかない。

そんな潜った場所にあるロッカーを誰が使用するのかは疑問だが。


涼雅はまず手近なところにあった細道に入ってみる。

だが、大体は行き止まりだ。

もうこうなったら近場の店に入って場所聞いた方が早いんじゃないのか? なんて思ったところでふと疑問に思う。

ジェンナならそこらへんまで丁寧に教えてくれそうだが……まぁあの相方は長くなりそうなことは手短に断る可能性の方が高いけど。


「あ、あのちょっといいかな?」


涼雅はすぐそばを通りかかった女性に人当たり良く声をかける。

髪の毛をケープで固め、袖の短い服を着、手首にいくつものブレスレットをつけ。他にも様々な装飾品で着飾っている彼女は「なぁにぃ?」と猫のような声で答えた。


「いそがしいところごめんね。俺、ここらへん詳しくなくてさぁ、ちょっと教えてもらいたいことがあるんだけど、いい?」

「アタシも詳しくないけど、話してみてくれる?」

「ほんと? 親切で助かるよ。ここら辺にロッカーがあるって聞いたんだけど、知らない?」

「ロッカー? 小さい奴だけど知ってるよ?」

「マジか! その場所教えてくんない?」

「いいよぉ」


彼女は涼雅の腕にするりと自分の腕を絡ませて、引っ張るように歩き出した。

こんな時じゃなかったら最高の流れなのだが今はそうじゃないだろう、と浮き足立たないように気を付けながらされるがままについていくことにした。




「ここだよー」


彼女が案内してくれたロッカーは縦5列の横3列のものだった。


「……ほんと小さいね」

「昔はもっと大きかったんだけどねぇ」


彼女が懐かしむように頬に手を添えていると、涼雅のケータイが震えた。

「ちょっとごめんね」と断りを入れると、彼女は「いいよぉ」と快く答えた。


「もしもし。俺だけど」

『どこいんだよ』

「ロッカーのとこ。ちゃーんと見っけたぜ」

『あぁ? じゃお前鍵取りに来いよ。俺そこ行けそーにねェし』

「まぁ待てって。案内するから」

『口で? それで俺が行けると思ってんのか?』

「あーもう、分ーったよ、お前どこにいんのさ」

『オマエのバイク近く』

「あー、はいはい、そこね。迎えにいくから動くんじゃねーぞ」


電話を切ると、彼女が「誰から?」と首を傾げた。


「んー……まぁ、連れってヤツ?」

「へぇ、カッコいい?」


え、と言葉を詰まらせる。

この流れは今まで何度も何度もあった。

適当に流せばいい話だけなんだろうけれど、どうしたって相方のことを悪く言えない。


「まぁ、ね」

「へー。お礼に紹介してよぉ」

「い、いいけど……決して悪いヤツじゃねーけど冷たいヤツだぜ?」

「じゃあいいや。お兄さんの番号号教えてくれる?」

「よろこんで!」


また会おうね、というあたり障りもない会話を最後に彼女とは別れた。





「ここだぜ」


相方を連れて再びロッカーの前まで戻ってくる。

ふーん、と央雅は興味なさげな反応をして、涼雅にオレンジ色のナンバープレートのついたロッカーの鍵を渡す。

涼雅はじとりと央雅を睨んでから、渋々受け取った。

番号は5番。一番下だ。


「やれやれ」


涼雅はしゃがみこみ、鍵を回した。

中を覗き込んだところで、すぐ後ろに立っていた央雅が「あ?」と掠れるような低い声を出した。


そっちを振り返ると、黒いスーツを着た男たちがこちらに睨みをきかせていた。

どう見てもロッカーの使用者には見えない。


「あ、スンマセン。すぐどきますんで」


涼雅が立ち上がり、ペコリと頭を下げると、男たちはそれぞれ隠し持っていた武器を取り出した。警棒。ナイフ。拳銃を持っている輩までいる。


「……っていうわけにはいかないか」


首の後ろに手を回す涼雅の傍で、央雅が牙をチラつかせながら首や軽く回す。

この一件に深く関わる気は無い。預けられた『荷物』本体の処理さえできれば他が眼中にない。

なので会話も対話もする気は無いが、きっとこの男たちに例の『侵入者』は殺されたのだろう。シゴトをしくじったという理由で。

そして、依頼主である少女もこの男たちと何かしら関係がある。

察するのは難しいことでは無い。大方借金だろう。それを弱みにとられ『稼ぎ』に出ていたが、逃走。よくある話だ。


つまり、あの少女を助け出すためにはこの男たちを排除する必要がある。

できるだけ穏便に済ませたいところだが、隣の男は目をギラつかせている。

あーあ、と嘆いたところでどうにもならない。


涼雅もぐるりと肩を回した。

それを視界の傍で捉えた央雅はスッ、と左手を前に出し、猫でもあやすように指先をチョイチョイと動かした。

それに軽率に乗せられたわけではないだろうが、相手は地面を蹴った。


身体をほぐすように肩を小さく回す。余裕たっぷりに動くその様はそれだけでも相手を挑発する。

その動きにまんまと釣られた男の数人が央雅に殴りかかる。

それらをいなしながらも的確に打撃を与えていく。

一気に落とすのは詰まらないので初めは軽く。適当な箇所を叩きながら後方に流しつつ、自分は相手の方に突き進む。


「ったく」


相棒がちぎっては投げてとこっちに任せて着た連中を涼雅が黙らせる。

こっちに処理させやがってと損な役回りになっている気もするが、相手には銃持ちがいる。それを先にどうにかしなければ。


自分の方に流されて着た最後の男を裁くと、あたりはもう静かだった。


そんな中、カチャリと無機質な音が落下する。

央雅が敵の銃のマガジンを地面に落とす音だ。


「で、中身は?」


銃本体を手から落とし、すっかり大人しくなった双眸を気だるげに涼雅に向ける。

それを受け取った涼雅はまたロッカーを開ける。


入っていたのはバッグだった。

今度は大きくて薄い布地のバッグだった。


一番初めのカバンよりも中の輪郭がよく見て取れる。

紐で口をきつくするタイプのナップサックだ。口はこちら側を向いている。


内心で少女に詫びながら、涼雅はゆっくりと中身を覗いた。

一瞬、目が眩んだのかと思った。


涼雅は恐る恐る一番手前のそれに手を伸ばす。

手のひらよりもずっと小さい光り物だ。


「ホンモノか?」


上から覗き込む央雅に、手のひらのものを近づける。


「目利きじゃねーから分かんねーけど、でも他のものもあるし。総合するとそう見た方が妥当なんじゃねーの?」


涼雅は口をさらに大きく開け、その中を央雅に見せつける。

中に入っているのは今手にしている宝石類だけではなく、金色に輝く腕時計、そして情報屋に払ったよりも多い金額の札束などが入っていた。

盗んだのか。貢がせたのか。それとも、殺して奪い取ったのか。


「溜め込んで、どうする気だったんだろうな……」


涼雅は札束を一つつまみ上げ、指の腹でペラペラとめくる。


「売り払う気だったんだろ。そしたら高飛びも出来るしな」

「……」

「それか、自分をどん底に突き落とした連中を殺すための資金だとか」

「……」

「……」


黙りっぱなしの涼雅の背中を見つめる。

顔と同じで背中も表情がわかりやすい。

そういうのは苦手だから無視してもいいのだが、仕方ないと腹をくくる。


「もう手遅れだ。『普通』には戻れねェよ、あのガキも」

「……」

「そうと分かったら、見捨てる気か? オイ」


テメェらしくねェんじゃねェの? とは言わないでおく。

これ以上口だしたら、その台詞がブーメランになる。


涼雅はパタン、とロッカーを閉じる。中身のない音がその場に転がった。

ライダースのポケットをごそごそと漁り出す涼雅に「鍵しめんのか?」と尋ねる。


「……好きにしてくれって言われたしな。あの子に返そうと思う」


小銭を飲み込ませ、鍵を回す。

それを引き抜きながら立ち上がり、相方のほうに目配せする。


「お前はどうしたい? 央雅」

「どーでもいいわ、ンなこと。なるようになれってんだ」

「じゃ、付き合ってくれよ」


コツン、と央雅の肩を拳で叩き、にやりと笑ってみせる。


「よく言うぜ、許可なく振り回すくせによ」


型にぶつけられた拳を振り払いながら先に歩き出す。


「いっつも振り回されてやってるだろ?」


すぐに追いかけた声を確認して、央雅はまたぐるりと腕を回した。






情報屋が言っていた廃屋の前まできて、2人は建物を見上げた。

高さは5階建相当。面積はそこまではない。

この分ならすぐに片付きそうだ。


問題は中で何が待ち構えているのか、ということだ。

少女が捉えられているのか、金銭を隠している場所を吐かせるために拷問されているのか、はたまた殺されているのか、もうこの場には何も残っていないのか。


「あのロッカーに連中が来たってことは、あの子があそこに金品を隠してたの知ってたってことだと思うか?」

「だったらすでに空になってねェとおかしいだろ。俺かオマエを見張ってたんだろ」

「かもなぁ……。気づかなかったけど」

「スナイパーぐれェの距離取られてたら流石に気づかねェだろ。バケモンじゃねェんだぞ」

「ま、確かにな」


涼雅は足首をブラブラとほぐす。

その足が両方地に着くと、央雅は廃ビルのドアを豪快に開け放った。


1階に人の気配はない。

さすがにこんなわかりやすい場所にいるはずがないので、すぐさま2階に上がる。


階段を上がったところで一応息をひそめる。

ボソボソと声がする。

最上階かとも思ったが、やはりそこまで運ぶのは面倒だったのだろう。

見張りもいないところを見ると、敵はそこまで大きな勢力ではないのだろう。

なら、そんなの敵ではない。


央雅はすぐ近くのドアを蹴破る。

中には誰もいない。ここはハズレだ。

その向かいのドアを涼雅が蹴破る。こちらもハズレ。


「何者だ!」


3つ奥の部屋から男が銃を持って飛び出して来た。

その銃口がどちらかを捉える前に、央雅が素早く飛び出し、銃を持っている手を引っ張り肘あたりに膝蹴りを食らわせる。

その衝撃で銃を手放した男の頭を鷲掴みにし、すぐよこの壁に叩きつける。脆いのか、その一撃で壁が崩れた。


後から来た涼雅は転がった銃を拾い、マガジンを外してから階段の方に放り投げる。


「ンだ、たったの3人かよ」


男が出て来た室内にいたのは、警棒持ちが1人と、ナイフ持ちが2人。

それで叩いたり傷をつけたりして、少女を痛めつけていたようだ。部屋の奥には椅子に縛り付けられた虫の息同然の少女がいた。

顔が腫れ、前に来ていた上着は脱がされ、さらされた腕と足のいたるところに血の乾いた跡と真新しい傷口が。


その3人は央雅の姿を見るなり、攻撃を仕掛けて来た。

振りかぶった警棒を左手で受け止め、その腕をひねりながらその後ろのやつの脇腹に蹴りを食らわせる。

蹴りかかった足を一旦地につけると、間髪入れずに今度はもっと高い位置に蹴り込む。

最後に、その間腕を掴んでいた男の後頭部に拳を叩き込む。


全員一撃で沈め、央雅はパンパンと手を払った。

涼雅か転がったナイフを片手に少女に近寄り、縄を切る。


央雅は念のため部屋の入り口で周囲の警戒する。


青紫色に腫れ上がった瞼をした少女が、涼雅を見るなり何か口を動かした。

水分を与えられていないからか、話すだけの体力がないからか、声は音にならなかった。


「悪いな、勝手に助けに来た」


そう言って少女を抱きかかえると、央雅は出口に向かう。


「ギャビンのとこか?」


先を歩きながら相方に尋ねる。


「他あると思う?」

「ねェな」


自分たちも彼女も、真っ当な医者を頼っていい身分ではない。








「サンキューな、ギャビン」


包帯や消毒などすべての手当てを施された少女も、涼雅を倣ってサングラス姿のいかつい男に頭を下げた。


「テメェのためじゃねェ。女のためだ」

「怖がらなくて大丈夫よ、この人フェミニストだから」


少女の横に座っていたジェンナが優しく微笑みかける。

ボロボロだった服も新しいものに着替え、今の少女は街を歩いていてもおかしくない身なりをしている。


少女は隣のジェンナに微笑み返してから、隣の椅子に座っていた涼雅に声をかける。


「……よかったの? あの人たち、倒しちゃって」

「まぁ、いいんじゃね? というか、俺らあいつらが誰か知らないし」

「……ヤクザだよ、あの人たち」


恐る恐る少女がそう口にしたが、央雅も涼雅も興味なさげに「ふーん」と頷くだけだった。


「女の子によってたかるヤクザなんかなおさら怖くないね。あ、もしそのヤクザたちに借金してるとかだったらこの男を頼るといいよ。なんでもしてくれると思うよ」


救急箱を片手に下げたギャビンが涼雅の頭を突く。

「痛い痛い」なんてやりとりをしていると少女が、「そういうのじゃないの」と苦笑いをする。


「違うの?」と涼雅は人懐っこい顔で首をかしげる。


ここの人たちがそういうものから遠い距離にいる存在ではないと悟った少女は包み隠さずに明かす。


「たしかに、借金もあったけど。それはちょっと昔の話。あの人たちが私を狙ってた理由は、仲間を殺したからと事務所から金品を盗んだから。仲間の仇の私をすぐに殺さなかったのは、彼らが敵対している組織の弱点を私が知ってるから」

「……弱点?」

「そ。どこに愛人を連れ込むか、とか。そういう類のね」


深いプライベートの情報はそう簡単に出回らない。そしてその時間帯こそ、なによりも警備がおろそかになる。闇討ち、奇襲にはもってこいだ。


「あー……」と涼雅が言葉にならない表情を央雅に向ける。

これは案外俺たちが助ける必要はなかったんじゃないのか? そういう顔。

彼女は思った以上に強かだったようだ。

央雅はそんな視線を無視して彼女に尋ねる。


「そんだけデキるお前が、なんで俺らを600万で買ったんだよ?」

「仕事の腕を信頼してあの荷物を任せたっていうのはほんと。あれ、私の全財産だもの。家もないから、全資産とも言えるかな。今回は本当に死ぬかもって思ったから、全部綺麗さっぱり処分してくれる人か、助けてくれる度胸のある人を頼ったの」

「……ってことは、まんまと俺らは利用されたって感じ?」

「結構有名だからね。便利屋『天月』の長男は女好きだって」

「あー……」


気まずい表情で頬を掻く兄に弟は容赦なく蹴りをくらわせた。


「自重しろ」

「央雅ちゃんの仰せの通りに……。ってか、お前の喧嘩っ早さも利用されてねーかぁ?」

「それは治んねェからどうにもなんねェよ」

「すっげー暴論だなぁ」


依頼人の少女は兄弟のやり取りを見ながら面白そうに破顔した。


「こんなこともあったけど、また利用しても許してくれる?」


口喧嘩をしていた央雅と涼雅は肝の座った少女の顔を一旦見てから2人で顔を見合わせた。

鼻の頭に皺を寄せた弟の頭を無理やし下げさせながら、兄は人懐っこい笑みを浮かべる。


「どーぞ。今後とも『天月』をご贔屓に」

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UNDER LOWLESS 玖柳龍華 @ryuka

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