第5話 その話の前に

SIDE A.お兄ちゃんと結婚するんだ

「ただいま~」

家の玄関に入り、台所に向かうと妹の真美が流し台の前に立っていた。そのまま、真美に弁当箱を渡す。

「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい! ねえ、さっき大が泣きながら帰ってきたけど、なにかあったの?」

「ああ、やっぱり泣いたか」

「やっぱりって、なにか知ってるの?」

「知っているもなにも、現場にいたからな」

「へ~現場にいたんだ。でも、大が虐められるのは想像出来ないし、ケンカで負けるのもあり得ないよね。なら、原因はなに?」

一瞬、言ってもいいものか悩んだが、大の奈美好きは周りも知っていることだし、話してもいいか。


「実はさ、奈美と駅から一緒に帰っていたんだけどさ、大が途中で奈美を待ち伏せしていてな」

「ちょっと、待って! お兄ちゃんは、あの女と一緒に帰って来たの?」

「ああ、そうだ。駅を出てからだけどな。だが、その前に『奈美』を『あの女』と言うのはやめてくれ。お前も一応、女の子なんだし。奈美は俺の同級生で数少ない友人だ。その友人を『あの女』なんて言うなよ。『奈美さん』がいやならさ、せめて『山田さん』って呼べないか?」

「ふん、私的には『あの女』で十分なのよ! それで、なんで大が泣くことになったの?」

何故だが、知らないが真美は山田姉妹のことが昔から気に入らないらしく、山田姉妹が家に遊びに来た時も必ず俺と山田姉妹の間に陣取り、山田姉妹とはろくに会話が出来ないことも、よくあった。


とりあえず、真美の山田姉妹に対する気持ちは横に置いといて。

「大が奈美を呼び捨てにしているのは知っているよな?」

「うん、そうね。いつも呼び捨てよね。それが?」

「ああ、それをな。奈美がやめて欲しいってやんわりと断ったんだよ」

「え? あの女、何様のつもりなの?」

「口が悪いぞ。真美」

「いいのよ。それで大が勝手に傷ついて泣いて帰って来たってわけね」

「ああ、そうだ。全く奈美にも好きなヤツがいるんだから、素直に諦めればいいのにな。なあ、真美から傷つかないように話してくれないか?」

「私が? いやよ。なんで私があんな乱暴者のために」

「そういうなよ、兄弟だろ?」

「私にはお兄ちゃんだけ、いればいいから。あんな乱暴者はいらないの!」

「お前のその対応の仕方にも問題があると思うんだがな……」

どうも真美と大は同じ兄弟でありながら、俺と大に対して天と地ほどの差がある。なぜか、真美にとっては俺が一番で、他はどうでもいいらしいが。まあ、それはそれで問題なんだけどな。


「ねえ、その前にさ。あの女に好きな人がいるって、どうして分かったの?」

「ああ、ちょっとな。俺が彼女を欲しいって話をした時にさ」

「ちょっと! なんでお兄ちゃんが彼女を欲しがるの? おかしいでしょ! 私がいるのに!」

「いやいや、お前がおかしいだろ? お前は俺の妹だぞ」

俺は世間一般の常識を話しているつもりなのに妹はそれがなに? という感じだ。


「だから、なに? 世の中には『お兄ちゃんと結婚するんだ~』って言っている子はいっぱいいるわよ?」

「いやいやいや、それはいたとしても幼少期の話だろ? 少なくともティーンエイジャーの子は言わないと思うぞ。もしいたら、歪んでいるな。その子は。うん、歪んでいるぞ」

「そう? 私は歪んでいないと思うんだけど?」

「まあ、いい。それは後で父さん達に相談するとして」

「相談しても私は変わらないわよ!」

本当に何故か真美は俺に対して、家族以外の異性の様に接してくるから、正直危なくてしょうがない。


「それであの女の好きな人ってのは誰なの?」

「いや、はっきりと聞いた訳じゃないから、俺も知らないんだけどな。ただ『人を好きになるのも大変なんだから』って言ってたから、ああ、いるんだと思っただけなんだ」

「ふ~ん、そう。あの女はチャンスをモノに出来なかったんだ。かわいそうに……」

「『チャンス』ってなんのことだ?」

「(ね、こういうニブチンははっきり言わないと通じないんだから)なんでもないわ。そんなことより、今日のお弁当はどうだった?」

「ああ、いつもどおりおいしかったよ。ありがとうな」

「どういたしまして。それで唐揚げはどうだった? あれは、ここ一番の出来具合だと自分でも驚いたぐらいなんだけど?」

「唐揚げ? ああ、あれな。うん、あれな。うん、おいしかったよ」

「それだけ? 私一番の自信作だったのに? たった、それだけ?」

「うん。うまかったよ」

「ねえ、ちゃんと正直に言って欲しいかな。私は怒らないからさ」

あ~これはなにを言っても許してくれないパターンだ。こうして、怒らないからと言いながら、正直に話すといつも怒られる。理不尽だよな。


「ほら、正直に言ってよ。落としたの?」

「いや、落としてはない。大体、俺がそんなことをするわけがない」

「そ。じゃ誰かに取られたとか?」

ギクッとなる。

「あ、取られたんだ。太さん?」

「いや」

「ああ。じゃあ、アイツだ! またあの女なのね。全く、姉妹で私のお兄ちゃんに迷惑掛けるなんて。本当にどうしてくれようかしら。やっぱり、ここは正攻法で……いや、それでも手をひくことはしないわよね。なら、ここは……」

真美がなにか考え込んでいる。ちょっと正直に言い過ぎたかな? でも、なにを言っても怒られるならと思って正直に言ってはみたが、怒りは由美の方へと向いてしまったみたいだ。どうしよう……

その前に現実に戻ってもらわないと。

「お~い、真美? ……真美さん? 真美ちゃん?」



SIDE B.おにいちゃんとけっこんするんだ

お兄ちゃんにお父さんの仕事のことや私の学校のことや、いろんな柵を話して、なんとか納得してもらえたと思う。

「それで、お兄ちゃんはなにか覚えていないの? 私が二、三歳ならお兄ちゃんは六、七歳だよね? なら、少しは覚えているんじゃないの?」

「俺が六、七歳ね。そのくらいなら小学校に上がる前後か。季節とか分からないのか?」

「う~ん、多分だけど、近所の川みたいなところで水遊びをしていたと思うんだ。お互いにパンツ一枚でね」

「お前、大胆だな……」

「もう、なに考えているの! 今の歳なわけないじゃない! 二、三歳の頃の話なんだから、裸でも平気よ」

でも、今思うと少し恥ずかしいかな。もし写真とか残っていたりしたら、イヤ……かな。


「そうか。なら、写真とか残ってないのか? その頃なら、俺の入学式とかあったんだしカメラは持っていたと思うんだけどな。父さん達もビデオカメラを用意していたと思うし」

「お兄ちゃん、それ本当なの?」

「ああ、俺もハッキリとは覚えていないが、小学校の入学式はカメラとビデオカメラで何度も撮られたのは覚えているし」

「そうか~でも、カメラとかはお母さんに聞かないと分からないわよね。そのお母さんも入院中だし」

そう、私達のお母さんは今、左腕を骨折して入院中だ。お医者さんに聞いた話じゃ、あと三日もすれば退院出来るとか言ってたんだけど、本当かな。


「そういや母さんは、まだ長くかかるのか?」

「え? お医者さんからの説明は一緒に聞いてたよね。お父さんとお母さんと家族揃ってさ」

「そうだったか?」

「本当に大丈夫? 昨日、食べた晩御飯のメニューは言える?」

あれ? 本当にお兄ちゃんいたのかな? 私の方が不安になってくるよ。大丈夫かな?


「な、お前は俺を馬鹿にするのか?」

「はぁ、馬鹿にしたくもなるわよ。なに、その鶏頭は? もう、ここで話したことも三歩歩いたら忘れるんでしょうね。多分トイレに行ったら記憶も一緒に流れちゃうんだね」

「な、そんな馬鹿なことがあるわけないだろう。そうだな、三歩はないな。少なくとも明日までは大丈夫だな」

「明日までって……どこまでも脳筋なんだね」

「うるさい! お前も似たようなもんだろ。それより、母さんはいつまでなんだ?」

「もう、お母さんは三日もすれば退院するって言ってたじゃない。本当に聞いてなかったの?」


「うん、そういやそう言ってたような気もするな」

「なにそれ。じゃあ、お兄ちゃんは私が田舎で遊んでいたことは覚えていないの?」

こんな鶏頭じゃ十年以上前のことは覚えてないかな。

そう思っていたんだけど、意外に覚えていた。まあ、その理由が空手繋がりというのが、ちょっと残念だけどね。


「多分だけどな、その頃は俺は空手の大会かなにかに出るからってことで田舎には行ってないと思うぞ。だから、お前と父さんだけで行ってたんじゃないのか?」

「そっか。それもそうよね。お母さんなら、お兄ちゃんとお父さんだけにする訳がないし。なら、私はお父さんと一緒ってのが一番しっくりくるわね」

「そうだな。なら、父さんが帰ってきたら、じっくり尋問すればいいさ」

「尋問って、私はそんなつもりじゃ……」

「でも、早いとこスッキリさせたいんだろ?」

「うん。それはそうだね」

お兄ちゃんに聞いたことで、段々と私の婚約者君に近付いた気がする。問題はお父さんだよ。ちゃんと帰ってくるよね? まだ、今日は帰るとも帰らないともお父さんから連絡はないけどね。

でも、ちゃんと覚えているのかな。思い出して教えてくれたらいいんだけど、機嫌が悪い時もあるしな~う~ん。


そんな風に考えているとお兄ちゃんが、呑気に私に提案してくる。

「なら、思い出すまで尋問してみるんだな」

「そんなこと、プロを相手に出来るのかな?」

そう、お父さんは警察官。警察官ということは知っているけど、仕事でなにをしているのかはちゃんとは聞いたことがないけど。いつも忙しそうにしている。

それにこっちが様子を伺うようにしていると、言葉巧みにのらりくらりと質問を交わして楽しんでいる様にも見える。

Sっ気があるのかな。でも、聞かないと婚約者君の消息が追えないし。だいたいプロを相手にそんなことが出来るんだろうか。

そんな風に考えていると、お兄ちゃんからアドバイスをもらう。


「それもそうだな。なら、取り調べっぽくさ、カツ丼でも用意してみればいいんじゃないか?」

「ああ、そうね。取り調べにはカツ丼は必要よね」

「そういうことだ。あ、俺は特盛な」

「はいはい。なら、お買い物はお願いね」

「はぁなんで俺が?」

「あれ? その鶏頭はさっき私が襲われかけたこと、忘れたのかな?」

「くっ、そういえばそうだった。でも、俺が撃退したんだし。今日はいないんじゃないか?」

「あれ? 守ってくれるんじゃなかったの?」

「そうでした」

「じゃ、お使いよろしく! 豚のロース肉三枚ね。あ、特盛にするんなら、自分で食べたい量にしてね」

「分かったよ。はい」

「ん? なに? この手は?」

「なにって、お前がお使いしてこいって言ったんだろ? いいか、お使いにはお金が必要なんだぞ? 知らないのか?」

「うわぁ脳筋のクセに、マウント取ろうとしているよ。そのくらい、自分で出しときなさいよ。それとも、なに? 妹からカツアゲするの?」

「ぐっ、あんなに可愛かった妹が変わっちまった。『あたし、おにいちゃんとけっこんするの!』って言ってた亜美が……」

「いつの話をしてるのよ! ほら、さっさと行ってくる!」


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