閑話 英雄の息子
「……っち、つまんねぇな」
高校からの帰り道、黒岩剛は一人でそう呟いた。
何時もなら彼の周囲には取り巻きが居る筈なのだが、冬塚アリサとの"言い合い"を学校で繰り広げて以降、剛は周囲から明らかに避けられている。
それもその筈だ。
黒岩剛が取り巻きに囲まれていたのは『黒岩薙獲』の息子と言う点もあったのだが、剛は女性に対し『反抗的』な部分も目立っていたからである。
要するに今の『女性優位の社会』で女性に反抗する剛を取り巻き達は"英雄視"していたのだ。
しかし、暫く前に冬塚アリサと言い合いになり、途中参戦してきた一之瀬一二三に完全に言い負かされた剛を見て、取り巻き達は彼に"失望"し、剛は自然と彼等に距離を置かれ始めたのである。
今では黒岩剛は完全にクラスで浮いている存在だった。
むしろ今まで許容されていた方がおかしいのだが、其処は彼の母親である『黒岩薙獲』の影響があったのだろう。
仮にも日本に生まれた最初のダンジョンを制覇した『百合籠』の元メンバーと言う肩書きは、今の世界では想像以上の影響を持つのである。
なにせ『百合籠』は黒岩薙獲が脱退した後も追加メンバーを加え、今でもGD9が有するダンジョンの最前線で活躍している英雄達だからだ。
つまり、『百合籠』が活躍する度にそこの元メンバーであった黒岩薙獲の名声も広がると言う、一種の支援システム的な流れが出来ていたのである。
けれど、あのクラスでの喧嘩で遂にその影響力が薄れてしまった。
更に言うと『多田独理』を閉じ込めたと言う件を持ち出された事により、男女の格差以前にどちらが正しいかと言う点で、既に決着が付いたも同然の話だったのである。
黒岩剛はあの時の事を思い返しながら愚痴を零す。
「くそ!! 冬塚のヤロー……調子に乗りやがって。どうせあんな奴、探索者になっても無残に死ぬだけだっての」
苛立ちは収まらず、悪態は益々酷くなる。
けれども自宅の前に辿り着くと黒岩剛は目を見開き、驚きを露にした。
「母さんの車が止まってる……!? けど、何でガレージの中に入れてないんだ?」
黒岩薙獲が普段から乗り回してる黒の高級車。
それが家の前に横付けされており、剛は慌てて家の門を開けて中へと入っていく。
東京にある一軒家にしてはかなりデカイ。
二階建てで、庭付き、警備システムは二十四時間稼動しており、何かあれば五分以内に警備員が駆け付ける。
家のドアを開け、剛は中へと入っていく。
すると直ぐに奥から白髪が目立つ年配の家政婦が駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ、剛様」
「……母さんが帰ってきてんのか?」
はやる気持ちを抑え、剛はぶっきら棒に尋ねた。
幼少期から彼の面倒を見てる家政婦にはそんな内心は筒抜けなのだが、彼女はそれを表情に出さずに鷹揚に頷いた。
「えぇ、珍しくご帰宅されました。ですが、また直ぐに外へ出掛けるとの事です。今はシャワーを浴びておられます」
「あぁ……だから車をガレージに入れてねぇのか」
黒岩薙獲が自宅に帰る事は殆ど無い。
彼女は殆ど外泊し、ホテルで過ごしたり、迷宮庁の仮眠室で一夜を明かす事が多いのだ。
剛としてはもっと薙獲と共に過ごしたいのだが、母親である彼女の今の地位と働きを理解している為、不満を零したりはしない。
そもそもいい歳した剛が、素直に母親に我侭なんて言う訳にもいかないのだ。
「あ~ぁ、疲れたぜ……。部屋に戻るのダリぃ」
言いながら、剛は自室ではなくリビングに向かう。
それを見て家政婦は密かに微笑んだ。
自室に戻れば薙獲は剛に挨拶もせずに出掛けるだろうが、流石にリビングに息子が居れば一言飛ばすぐらいの事をする。
それを剛も理解しているのだ。
彼は広いリビングに入ると直ぐに鞄を放り投げ、ソファーに腰掛ける。
しかし、TVのリモコンには手を伸ばさない。
何故なら音を騒がしくすれば、母親である薙獲の発する音も聞こえなくなってしまう。
そのまま無音の時を数分過ごし、浴場がある方向から遂に薙獲の声が響き渡る。
『あれ? タオルが無いよ~?
「はい、分かりましたよ」
おっとりと答え、和子と呼ばれた家政婦は直ぐにバスタオルを用意してスリッパの音を鳴らしながら浴室に向かう。
そうしたやり取りに聞き耳を立てつつ、剛は少し気まずそうにした。
母親である薙獲は超人である為、その見た目は十代後半の美女のままである。
故にこうした場面のやりとりを聞くと、彼はどうしても思わぬ想像をしてしまう。
暫くすると浴室のドアが開き、頭をタオルで拭きながら薙獲がリビングに現れる。けれども彼女は剛を一瞥し、そのまま冷蔵庫に向かいながら適当な口調で挨拶を飛ばした。
「あ~おかえり。帰ってたんだ」
冷蔵庫を開け、缶ビール……に手を伸ばそうとして薙獲はそれを押し留める。この後また出掛ける予定があるのに飲酒はマズイと判断したのだ。
仕方なく炭酸ジュースのペットボトルを選び、それを開けると一気に飲み干していく。
「ん、ん、ん……ん~!! 美味い!! かぁ~堪らないねぇ」
下着姿で仁王立ちしながらジュースを飲み干す。
しかも言動は親父臭いモノである筈なのに、その見た目は若々しい美女の姿である。
剛はそんな薙獲の姿を横目でチラリと確認し、直ぐにそれを反らして言う。
「家の中を下着で歩き回んなよ。だらしねぇ」
「はぁ~?! 家の中を下着で歩き回らずに何処で歩き回れと!? 街中でやったら捕まんだろーがぁ」
薙獲は母親としてと言うより、友達に話し掛けるノリで答えた。
すると剛はギュッと拳を握り締め、自身の声が上擦らない様に慎重に口を開く。
「英雄様ならソレ位許されるんじゃねーの?」
「……やっぱ馬鹿だねぇ、アンタは。過去の栄光を何時までも引き摺る様なダサイ真似はしないよ、アタシはさ」
「過去の栄光を引き摺ったまま政界に飛び込んだ癖に、よく言うぜ」
「あーぁ、それ言っちゃう? いいじゃん、それ位。栄光ってのは何時か色褪せるんだから、そうなる前に利用しないと損だろぉ?」
「さっきと言ってる事が矛盾してんだろ。わけわかんねぇ」
素っ気無くそう答えつつも、剛は今の状況を楽しんでいた。
母親である薙獲は何時も多忙で、まともに会話する機会は殆ど無い。
不器用な振る舞いではあるが、これが剛なりの母親への愛情表現だった。
母親に甘える行為など、幼少期から今まで数える程しかしていない。
けれども剛はそうした自分の境遇を受け入れており、多忙である薙獲の立場も強く理解している。
――なにせ自分は英雄の息子、そして自慢の母は今や迷宮庁のトップ。
これまで何不自由ない暮らしをさせてくれてるし、欲しい物だって好きに買わせてくれた。更には広い家で暮らせて、家政婦だって用意してくれているのだ。
そしてTV、ネット、それ等を見れば『黒岩薙獲』と言う存在がどれ程までに世間で……否、世界で英雄視され、尊敬を集めているのかが嫌でも分かる。
構って貰えない? だから何だ。
この境遇で文句を言う奴は馬鹿だ、黒岩剛はそれを深く理解している。
しかし、そんな敬愛する母親に奥多摩の件で世間の非難を浴びさせてしまった。
忙しかった彼女は更にその件で多忙になり、今までまともに顔を合わせてなかったのだが……剛にはどうにも薙獲の機嫌がやけに良い様に見えた。
剛は暫し悩んだが、結局素直に尋ねる。
「んだよ、何か良い事あったのか?」
「ん? ん~……まぁね。色々と面白くなりそうになってきてさぁ、今やってる仕事」
「仕事?」
「そう、奥多摩の件でちょっとね」
「奥多摩……? どーゆうことだよ」
「あん? 話せる訳ねーだろぉ? 機密だよ、機密。知りたければ、今夜総理が記者会見開くから、それを見なよ」
薙獲は上機嫌にそう答える。
其処でふと彼女は『あっ』と何かを思い出し、剛に視線を向けた。
「そういや、アンタがヒトリ君を奥多摩に閉じ込めたんだっけ」
「え!? ぁ、いや……い、今更なんだよ?」
冬塚の件もあり、剛はこれ見よがしにうろたえた。
クラスで堂々と真っ向からヒトリの事で非難を受けたばかりであり、剛は気が気でなくなる。
けれども薙獲は剛の前でニンマリと笑みを浮かべ、小さく頷いて言う。
「偶には……と言うか、"初めて"だっけ? まぁ、アンタも役に立つじゃん」
「は?」
剛は突然敬愛する母親に笑顔を向けられて褒められ、酷く混乱した。
けれども薙獲はそんな彼を尻目に『さーて、今後は忙しくなるぞ~~!!』と弾んだ声で言いながら、背伸びをして自室へと向かっていく。
突如として一人リビングに残された剛は呆然としていたが、直ぐにニヤニヤと笑みを浮かべる。
「んだよ……わけわかんねぇ」
そうした表情が、母親とソックリである事を彼は知らなかった。
何故なら、彼に向かって薙獲がそんな表情を浮かべる事は今のが初めてだったから。
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