第19話 マグマ

 まもなく定年を迎えるため、総務部で法務を担当している大類課長が退職の挨拶にやって来た。

「常務 どうもっす...」

「おぅ 定年なんだがぁ 大類君は何年入社だっけ?」

「昭和59年入社だっす」

「59年かぁ バブル真っ盛りの時だべした~」

「んだのよ 毎年給料が十数パーセントも上がて 」

「んだんだ 毎年女子社員のスカートも少しずつ短くなって」

「常務 今じゃそれ セクハラだっす」

「ハハハ ゴメンゴメン オフレコだからな」

「最近は オフレコも報道されるんだがら 注意してけろっす」

 政府高官ならまだしも、田舎企業の常務の言動が社会に与える影響など微々たるものだろうが、社員に嫌悪感を与える言動には注意が必要である。

「ところで 退職後は何するんだっす?」

「写真が趣味だがら カメラ持って全国回ってみっかど思って いるっす」

「ほぉ 写真が趣味なんだっけがした 被写体は女性だべ?」

「またまた 常務じゃあるまいし...草花や山野が被写体だべした」

「んだがした...」

「常務 長い間おしぇわさまでした」

「あぁ 元気でなっす」

 退職する社員の後姿は、憂いと寂しさに満ちているのだが、部屋を出ていく大類課長には次のステージに向かう力強さが感じられた。やはり、第二の人生で何をすべきか明確になっていれば、ポジティブな思考と活力が生まれてくるのだろう。


 仕事を趣味のようにしてガムシャラに昭和を生き抜いてきたオジサン達は、平成を惰性で突き進み、令和の時代にいきなり放り出されて初めて無力感と無趣味を実感するのである。今のうちから少しでも趣味を増やしておく必要があるのではないかと改めて感じる。カメラも趣味として候補に挙げようと思った。


 しかし、写真などスマホでしか撮ったことがない。どんな機材が必要なのか、被写体は?構図は?その前にまずはプロの写真を見て学ばなければならない。

 帰宅後、書棚の奥に鎮座する写真集「Santa Fe」を取り出した。1991年に発行された「宮沢りえ」の写真集である。篠山紀信が撮ったもので、ページをめくる毎に、まぶしいほど輝いている「宮沢りえ」の裸体が目に飛び込んできた。

 エロティシズムを極限まで昇華させ表現された写真集を凝視しているうちに、心の奥に潜んでいたマグマがうごめき始める。官能の皮脂が溶け始める。体中が火照って汗ばんでくる。


ん...? 一体オレは何をしているんだ?

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