第4話 転
緑色の炎を宿したアルコールランプが、目の前に置かれている。その向こう側で、老婆が黄色い瞳をこちらに向けていた。自分で灯したはずの炎なのに、ウルスにはもうそれが自分のものではないように思えた。いや、反対かもしれない。炎を灯した自分が本物で、そうでない自分が偽物だったのか……。
「魔術師になるためには、どうしたらいいの?」ウルスは尋ねた。「私も魔術師になれる?」
「なりたいのかい?」老婆は応じる。
「うーん……」
「お前にその素質があることは確かだろう」老婆は言った。「だからといって、その道を選ぶべきかどうかは別問題さ。人の行く道は、魔術をもっても分からないことだ。誰にも分からない。ただ一つ分かるのは、生きるためには、とりあえず、選択しなければならないということだね。その選択するという行為自体が予め定められていたとしても、私たちは選ばなければならない。それは分かるね?」
老婆に問われ、ウルスは頷く。
「お前はどうしたいんだい?」
老婆に問われ、ウルスは下を向く。
自分が何をしたいのか、彼女には分からなかった。ただ、生きたいとは思う。けれど、それもそれほど強い願望ではない。気づいたときには、もう生まれてしまったあとだったから、そのまま継続しようと思っただけだ。自分の意志で生まれたのではないから、当然といえば当然だろう。
「私だって、なりたくて魔術師になったわけじゃないからね」老婆が言った。「気づいたら、そうなってしまっていたのさ」
「それで、よかった?」
「いいも悪いもないね。ただ、それも、自分が一つ一つ選択した結果だというだけのこと」
「私は、自分が何をしたいのか、分からないわ」ウルスは思っていることをそのまま口にした。「どうしたらいいの? それを選ぶか、選ばないかじゃなくて、何を選んだらいいのか分からない」
「それなら、まず、そもそも、何かを選ぶべきなのか、そうでないのかを選ばなくてはならない。でも、結局のところ、それは選ぶということだろう? それなら、思いきって、初めからもっと具体的なものを選んでしまえばいい」
そう言って、老婆は飲み物を口に含む。
カップを手に取って、ウルスもそれに倣う。
ウルスは、ずっと一人で生きてきた。気づいたら、そういう状態にあった。親族は誰もいない。少なくとも、彼女が知る限りでは記憶にない。もしかすると、会ったことはあるのかもしれない。両親の姿は覚えていないこともないような気がする。けれど、それよりも、自分は一人だった、という思いの方が強い。でも、そのことを気にしたことはない。一人なら一人で良いし、それが彼女にとっての当たり前だ。
自分は……。
自分は、どうしたら良いだろう?
どうするのが良いだろう?
顔を上げると、先ほどと同じように老婆が笑っていた。優しい笑みに見えるが、一見しただけではそれはなかなか分からない。そうか、だからこの人は魔術師になったのか、とウルスは思いついた。
「私、魔術師になりたい」ウルスは言った。「なんとなく、そんな気がする」
ウルスの言葉を聞いて、老婆はまた睨むように彼女を見つめた。
「確かかい?」
「確かではないかもしれないけど……。どうなのかと訊かれて、迷いがあるということは、惹かれるものがあるからだと思うわ。確かでなくても、選ぶことはできるから……」
「後悔しないかい?」
老婆に問われ、ウルスは彼女を見つめる。
「するかもしれない」
「それでも、お前は本当に魔術師になるのかい?」
ウルスは静かに一度頷く。
「ええ、なるわ」
ウルスが答えたあとも、老婆は暫くの間彼女をじっと見つめていたが、やがて椅子から立ち上がると、ウルスがランプに灯した炎を掌で払って消した。それから、今度は自分の指に赤い炎を灯し、それをランプに移す。
部屋が途端に明るくなった。
この部屋には、もともと照明が一つもない。思い返してみれば、どのような原理で明るさが保たれているのか不思議だった。
けれど、ウルスにはその仕組みがなんとなく分かった。
老婆自体が照明の役割を担っているのだ。
「それじゃあ、この炎を消してみるんだね」老婆が言った。「お前が本当に魔術師たる素質を持ち合わせているか、試してやろうじゃないか」
老婆がこちらに目を向ける。
一秒。
二秒。
ウルスは椅子から腰を上げ、燃える炎の脇にそっと両手を翳してみる。
温かい。
いや、それを通り越して熱い。
熱いのは掌だけではなかった。
身体の芯ごと熱せられるような、とてつもない力を感じる。
「魔術とは、自分の存在をもって、世界に直接はたらきかける業のこと」老婆が話した。「お前が世界にはたらきかけることで世界を変えるのか、それとも、世界の方にはたらきかけられてお前が変わるのか、見極めさせてもらおう」
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