明日まであと101日|喰われた未来を取り戻すためサバと旅に出ました

五味零

第1話 これぞ平和なザ・日常

俺が行きたい場所。

FFに登場する大都市、ザナルカンドのモデルになったサマルカンド。


俺が食べてみたい物。

福岡にあるとんこつラーメンの元祖といわれるラーメン屋のラーメン。


俺が欲しい物。

BOSEのワイヤレスイヤホン(黒くてゴツいやつ)。


そのほかにもやってみたいこと、手に入れたいものは山ほどある。けれど、俺はそのほとんどを実現せずにいた。


「明日でいっか」


そこにクールで知的な理由などはない。ただ単にこの口癖が原因だ。


浮島葵うきしまあおい 18歳。

職業は高校生(ごく稀にファミレスでバイト)、趣味はメンドーだから無し(明日やりたいことなら多々)、性格は極度の先延ばしグセあり、人間としての総合ランクは中のやや下(ほっとけ)。


いつからそうなのかといえば、ある程度話せるようになったくらいから「明日でいっか」を連発していたらしい。物心ついた頃には親にも「“先延ばしグセ”のある子だねえ」なんて言われて育った。


念の為に言っておくと、親の言葉かけが原因でこんなザマに仕上がったわけではない。


どちらが先か、という話のなかでよく「ニワトリが先かたまごが先か」なんていう言い方をしたりする。親の言葉かけがニワトリで俺の性格がたまごだとすると、この場合に限り、確実にたまごが先だと言い切れる。


俺には、先延ばしの素質が生まれながらに備わっていたのだ。実に不要な素質だが、先延ばしに関しては天才的でプロ級だった。


それから、もう1つ。俺には特別な素質があった。


それは−。


「はい、浮島、弁当没収」


そう、早弁の素質。


土井どい先生、通称ドセンは、参考書の堤防を築いた内側で早弁をしていた俺の弁当を無慈悲に奪い去る。他の教師には気づかれずに食べ終わることができるのだが、ドセンだけは未だに攻略できずにいた。


「は、しょうもな」


吐き捨てるように言ったのは、斜め後ろの席にいる森優生もりゆうせいだった。


俺がジト目で振り向くと、優生は窓の外をすかした表情で見ていて、まったく目を合わせようとしない。その横顔を見る限り、色素の薄い髪に細い顎、穏やかさと物憂げな雰囲気を併せ持った目元は、間違いなくイケメンの特徴だった。目つきの悪さだけが際立っている俺とはまるで別人類だ。


俺はとくに何も言い返さず前に向き直った。すると、母親が朝から油を跳ね飛ばしながら揚げてくれたエビフライをドセンがむしゃむしゃ食べていた。


「ぎゃあああああ、それ今日イチ楽しみにしてたのにいいいいい」


俺は立ち上がってドセンの腕に掴みかかる。その毛深さにひるみそうになりながら。


「おい、吐けっ。この鬼っ、悪魔っ、変態っ」


「変態じゃねーわ」


エビの尻尾まで完食したドセンは持っていた参考書で俺の脳天を強めに叩いた。


頭を押さえて机に突っ伏す俺を無視して、優生は、校庭でサッカーをしている生徒たちを見下ろしていた。まるで幼い頃の思い出を振り返るかのような遠い目をして、ゆっくりと頬杖をついた。


俺たちは今でこそ話さなくなってしまったけれど、家が近いこともあって昔はよく一緒に遊んだ仲だった。日が暮れてお互いの顔が見えなくなっても、近所の河川敷を延々と駆け回っていた。昼間には蝉時雨が、夕方にはヒグラシが鳴いていたのを今でも耳の奥が覚えている。


昼時になると、机で居眠りしていた俺の元へドセンが没収した弁当を返しに来た。このときまでどのように弁当が保管されていたかは分からない。あえて聞かないことにしている。


「エビフライのない弁当に用はねえ」と一度は突っぱねたが、ドセンが「あ、そ」とあまりにもあっさり引き下がるので、「うそうそうそ、やっぱいる、食うからっ」と慌てて取り返した。


「エビフライうまかったからこれやるよ」


ドセンはそう言うと、俺に明け渡した弁当箱の上に、自販機でよく見るパックのいちごミルクを乗せてきた。


「甘いもの苦手なら彼女にでもやんな」


「彼女いねえし」


すかさずドセンが「だせ」とつぶやいたのを俺は聞き逃さなかった。


「おいっ」


せっかくもらったいちごミルクをドセン目がけて投げ飛ばした。


「おっと。相変わらず豪速球だな。野球部入ればいいのに」


「俺もう3年だし、いまさら入らねーよ」


受け取ったいちごミルクをドセンが投げ返してくる。俺は片手でそれをキャッチした。


かつて俺にも新入生という初々しい頃があった。


今と比べればまだ少しはやる気のあった1年次に野球部に体験入部したときのこと。優れた腕力と球速を見込まれ、野球部の上級生に連日スカウトされた経験もある。


悪い気はしなかったが、明日答えを出そうと先延ばししている間に、声をかけられなくなった。


結果、今やっていることといえば、袋の開封をミスってポップコーンを四方八方に飛ばしているくらいなものだ(ポップコーンのパッケージにレタス○個分の食物繊維配合って書いてあったから毎日食べてる)。


バイトもしていることにはしているが、月にほんの数回シフトに入るくらいで、ほとんど意味のない帰宅部として活動していた。つまり、高校3年になった俺は何もやっていない。


ついでに言うと、すでに高校3年の春を迎えたというのに、進路も決まっていなかった。


「そろそろ、進学か就職かだけは決めとけよ」


ドセンはそう言い残すと、ジャージのズボンをクロックスで踏みつけながら教室を出て行った。


それと入れ替わりに、購買に昼食を買いに行っていた友達が帰ってきた。


「お前の好きな、あのなんだっけ、ハンバーグサンドみたいなやつ、今日あったぞ」


「お、買いに行こうかな。あー、やっぱ明日あったらでいいや」


俺はいちごミルクにストローを刺しながら、あっさり先延ばしにした。


俺には明日がある。明日になってもそのまた明日がある。これはどこまでいっても変わらない。


それなのに「今日しかないと思って生きろ」なんていう主張をする自己啓発本は、俺にとって「は?」としか思えない。


「葵って、ほんとメンドくさがりだよなあ」


「いいだろ、時間ならたくさんあるんだから」


このときの俺は、普遍的な未来が明日も明後日も明々後日も、ずっと続くものだと思っていた。

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