第068話 青の衝動(5)

 ──カジノのスタッフルーム。

 その、さらに奥。

 先ほどの毒々しくも造りのよいドアと打って変わった、ところどころ塗料が剥げて錆が露出している、鋼鉄のドア。

 女はここへも、躊躇せずに入る。

 女の背を追ってファルンが入室すると、身長二メートル近くある屈強な男がドアを締め、その前に腕を組んで立ち塞がった。


「……お待たせ。彼女、わたしたちと商売したいそうよ」


 突き放すようにそう言った女は、部屋の隅にある一人用のソファーへ座り、ひじ掛けのシガーケースから葉巻を一本取り出し、咥える。

 以降、まったくの無言。

 口から出すのは煙のみ。


(相手を安心させるために、勧誘は女……。連れ込んだら、あとは知らんぷり、か)


 消えた女の向こうに現れたのは、オフィス用の机、イス、棚。

 そして部屋の半分ほどを占める、白いシーツの簡易ベッド。

 イスには鼠色の背広を着た、生え際が後退して年齢不詳気味な男が座っている。


「やあようこそ、お嬢さん。彼を大金持ちにさせたかったら、このまま黙って説明を聞いてくれ。途中で帰ろうとしたら、とたんにうちは模造硬貨チップをやりとりするだけの、健全なお店に変わっちゃうよ?」


(……なるほど。一度大金を掴ませておいて、話を切りだす順序か。確かに「大金を払う」と言うだけよりも拘束力が強い。自分の金を失う感覚に陥るからな)


「仕事は簡単。映画のフィルムの販売。その仲卸業者になってもらう。フィルムはいずれも、買い手がほぼ確実につく優良タイトル。それで仲介手数料ががっぽがっぽ。ただ、それだけじゃさすがに楽すぎるからねぇ。お嬢さんにはときどき、エキストラとして映画に出てもらう。撮影は半日もかからない。いい話だろう?」


(エキストラ? 主役の間違いだろ……フフッ)


「それにしてもお嬢さん、背ぇ高いねぇ」


「オホホッ……。よく言われるんですけど、これでも一七〇あるかないかなんですのよ?」


「細身の女は、実際より高く見えるからなぁ。ああ、あんたも葉巻、どうだい?」


「いえ。わたしは吸いませんの……ホホッ」


「そうかい? 声低いから、てっきりヘビースモーカーかと思ったよ。酒で喉をやられたクチかい?」


「まあ……そんな感じです。ウフフフッ……」


「ま、出る映画は無声だから、声は関係ねぇわな。撮影班はたっぷりと、聞かせてもらうがね。ひっひっひっ……」


(やはりそうか……! 最初に探りを入れた裏カジノが当たりとは……。本当にツイていたのはドグではなく、わたしだったな。フフッ……)


「じゃあさっそく、お嬢さんのスクリーンデビューといこうじゃないの! いつもは俺が相手するんだがねぇ。女のほうが身長タッパあると、受けがよくねぇんだわ。お嬢ちゃんの相手は、後ろのそいつだよ」


 ドアを塞いでいた大男が、背後からファルンの両肩を掴もうと腕を伸ばした。


「……肩をさわるのは、勘弁してくださらない? せっかくごまかしてるのに」


 ファルンが身を捻り、一歩後退しながら鋭い肘打ち。

 大男の胸部中心に激しく着弾。


「ぐほおっ!」


 激痛で前のめりになった大男の顎へ、飛び膝蹴り。

 顎から脳へ、垂直の衝撃を受けた大男が一瞬で昏倒。

 その場に崩れ落ちる。

 鼠色の背広の男が、いすから立ち上がって驚く。


「な、な……何者だおまえっ!?」


「そう言えば、映画のジャンルをまだ伺っていませんでしたわ。ちなみにわたしの好きなジャンルは、ご覧のとおり活劇です。ウフッ♥」


「テメぇ……警察サツかっ!? おもしれぇ! 本職警察官のブルーフィルム、撮ってやろうじゃねぇか!」


 ──ガチャ……ダダダダダダッ!


 それまでスタッフルームにいたカジノの従業員が、鉄パイプやナイフを手に、室内へとなだれ込んでくる。

 ファルンはシーツの上へと跳躍して身構え、受けて立つ姿勢。


「ウルフハウンド三頭に比べれば、楽勝ですわね。わたしもフィルルの『破断いたします』みたいな口上、考えてみようかしら。ウフフッ♥」

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