第025話 ファーストキスは潮風と葉巻の香り(11)

「……廃船街バラックシップの中心部には、唯一鋼鉄製の船があってな。街のシンボル的な存在だったんだ。これまで端々を焼却処分してきたが、そいつはまだ見てねぇ。そしてそいつを沈めるには、軍艦クラスの火力がなきゃダメなんだ」


「……あなたの生い立ちや事情には、汲むべきところも多いです。ですがやはり、この艦の強奪の理由にはなりえません。わたくしが……フォーフルール家が軍と国へ進言し、廃船街バラックシップの処分を求めます。あなたたちは港へ引き返し、投降すべきです」


「できない相談だ。まず、廃船街バラックシップの存在が広まって、暴動や迫害が起こるのが怖い。船上で生活している人々は、世界中にいるんだ。そして、軍や国が動くとは到底思えない。金や人の出し渋りが、まずあるだろうが……。廃船街バラックシップに生存者がいる可能性がある限り、軍人が民間人を手にかける形になる。そして……だ」


 ギナがいよいよフィルルへ顔を向け、きつい視線を浴びせる。


「公海上ってのは、軍艦はうかつにウロウロできねぇ。とたんに周辺の国と緊張状態だ。お嬢さんのコネは、周辺の国すべてに及ぶのかい?」


「そ、それは……」


 フィルルは反論できず、ギナから顔を背けて俯き、言葉を失う。

 ギナの言う通り、廃船街バラックシップの処分のために軍艦を駆り出せば、周囲の国が侵略を警戒しだす。

 そして、廃船街バラックシップは侵略のための口実だ、作り話だ、という論調が強まるのも、想像にたやすい。


「……だから俺らみたいなのが、勝手にやってるていが一番いいんだ。軍艦を強奪した海賊なら、ウロチョロしても国家間戦争には及ばないからな」


「で、では……ギナさんたちは……。四方の国から追われながら、広い海の上でただ一隻、廃船街バラックシップの処分を続ける気……なのですか?」


「ああ。燃料も食料も、あちこちの無人島に隠してあるからな。二、三年はなんとかなるさ。お嬢さんはいまから、救命いかだで帰す。陸に戻ったら、俺たちの手配書を派手に刷ってくれ。ただし懸賞金はつけるなよ。追手が増えるからな、ははっ」


「……ほかの人質は?」


「さて……どうするかねぇ。このまま乗せていても、無駄飯食らいにしかならないからな……。適当な無人島にでも、捨てていくさ。そこの操舵手は腕が良さそうだから、仲間に欲しいところだがね。俺の話も聞いちまったし」


「……………………」


 一時、返す言葉を失うフィルル。

 ギナの言い分は、現実的で合理的。

 しかしフィルルの心中では、素直に従えぬなにかが燻ぶっている。


「……ギナさん。あなたの言い分は、極めて合理的です。ですが将来、第二、第三の廃船街バラックシップが生まれてしまっては無意味……。世界中の貧困をいきなりなくすことはできませんが、少しずつ減らしていくよう継続的な努力も必要です。優しかったというあなたの母上なら、ギナさんにそういう活動を望んだのでは……ないでしょうか?」


 話しながらフィルルは気づいた。

 ギナの正論には、己自身が犠牲になるという欠陥があることに。

 それに気づけるのは、ギナを愛した女……。

 ギナの母親、そして自分、フィルルであることに。

 ブラックハープーンの帆柱マストを破断するときに聞いたあの声は、船の声であると同時に、ギナの母親の声ではなかったか……ということに。

 ギナはそのフィルルの異論を受け、フン……と鼻で笑った。


「じゃあ、廃船街バラックシップが漂着したらどうする? 人食いと化した生き残りや、疫病を持っている鼠が上陸するかもしれんぞ?」


「……軍での対応が難しいなら、各地で自警団を立ち上げましょう。自警団の船舶による、事前の監視活動。船上から廃船街バラックシップに生存者を確認できなければ、焼却処分。仮に人影があるようでしたら、無人島へ曳航するなどの対策を練るのです。漁船や旅客船による、目撃情報の共有も必要かと」


「ずいぶんとまあ、気の長い話だな」


「時間を要することでも、人々が協力し合えばそのぶん短くすみます。先ほどの自警団の話を、各地の廃船街バラックシップの住人の仕事とするのもよいでしょう。ギナさん、あなたはただ世間を信じられず、そして左手を失ったトラウマから、心を逸らせているだけではないのですか? そうでなければ、軍艦の強奪など……」


「……黙れっ!」


 ……シャッ!


 ギナが左手の義手を取り、剣を抜いて、フィルルの顔面へ向ける。

 眼鏡越しに、ひん剥いた両目でフィルルを睨みつける。

 それでもフィルルは、普段の微笑染みた糸目を崩さない。


「あなたのその、心の逸り……。母上に代わって、わたくしが破断いたします……」

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