第012話 運命は浅葱色の鱗粉とともに(10)

 フィルルは歩みを止め、体の向きをカイトへと変えた。

 そして、右腕の剣の切っ先で、カイトの顔面を指す──。


「フフッ……。この唇の純潔を、危うくニセ眼鏡へ捧げてしまうところでした。あなたが眼鏡を外したとき、わたくしのファーストキスは眼鏡の殿方でなければ……と、しばし固まってしまいましたが……功を奏しましたわ」


「なにっ!? まさか僕のがんが……効いていないのかっ!?」


「ええ、毛ほども。理由はわかりませんが、もしやあなたのその、がんとやら……。相手の眼球全体を捉えないと、効果が生じないのでは? わたくしの糸目には効かないのでは?」


「なん……だと……?」


 ──ガラガラガラガラッ!


 そこへ馬車の車輪の音が響く。

 言いつけをすませたクラリスが、馬車でフィルルの後を追ってきた。


「お嬢様ぁ! 頼まれた情報、ゲットしてきましたよぉ~!」


 馬車から降りたクラリスが、書類の束を手にして、駆け足でフィルルへ駆け寄る。


「はい……これがご希望の情報です。もぉ、苦労しましたよ~。あの男、体のあちこちベタベタさわってきてぇ……。それじゃあ約束通り、このドレスはわたしのものですね……って……。どうしてお嬢様、剣を抜かれてるんです?」


「ちょうどよかったわ、クラリス。あそこの甲斐性なしニセ眼鏡虫男の顔……ちょっと見てくれないかしら?」


「えっ? 甲斐性なし虫眼鏡むしめがねニセ男……ですか?」


 きょとんとした顔で、クラリスがカイトと顔を合わせる。

 カイトはやや焦った様子で一歩前へ踏み出し、赤紫色の光沢がゆらめく両眼で、クラリスの弦の糸目を凝視──。


「こいつも糸目か……。ちょうどいい、がんを試してやる! ……っていうか、だれが甲斐性なしニセ眼鏡虫男だっ! だれが甲斐性なし虫眼鏡むしめがねニセ男だっ!」


「…………?」


 ──三分経過。

 クラリスの心身に異変は生じない。

 書類に目を通していたフィルルが胸を張り、カイトへと言い放つ。


「やはりですわ! あなたのがんとやらは、わたくしたち糸目には通じません! この地で糸目が美しいとされているのは……その昔、あなたのような存在が人心を脅かしたからかもしれませんわね! この……収入なし虫以下クソ男!」


「徐々にランクを下げていくんじゃないっ!」


「それから……この書類を見てわかりました。大掛かりで不自然な破産、ないし廃業をしている名家や企業が、東から西へ、西から東へ……と、年月をたどりながら点在しています。この時期と場所が……アサギマダラのとぴったり符合しますわ。このリストの中には、ヲヲムラという名の酒蔵も含まれていますわね」


 自身の姓を出されたアサギが、「えっ……」と短い驚きの声を上げて、フィルルのそばへ駆け寄った。

 フィルルは書類をアサギへ手渡すと、数歩前へ踏み出し、あらためて右手の剣の切っ先をカイトへと向ける。


「渡り蝶を追いながら、先々で人心を……乙女心をたぶらかし……。これほどの犠牲者を出した罪……断じて許し難し! あなたの企み……この双剣にて、破断させていただきますっ!」


「フフッ……フッフッフッフッ……ハーッハッハッハッハッ! すばらしい……と、褒め称えたいところですが……。その推察では五〇点! 僕が集めた財でなにをしているかが、未特定ですよ!?」


「えっ……? 虫の研究費用……では、ないのですか?」


「その答では、範囲が広すぎます。ですがあなたの慧眼けいがんに敬意を表して、僕の研究の中間報告を、この場でさせていただきましょう!」


 ──ピイイイイイイイイッ!


 カイトが指笛を長々と鳴らす。

 それに誘われて、木々の隙間から、樹上から、ゆらゆらと無数の蝶が現れて、周囲をふわふわと飛び交い始める。


「アサギマダラの……群れ?」


「いいえ。こいつらは僕が巨費を投じて人為的に創り出した、強毒性のアサギマダラの亜種……。おっと、亜種と言っては純粋な愛好家に悪いですから、オリジナルの擬態種とでも言っておきましょう。要は、人気のある渡り蝶に擬態させた……毒蝶です。先ほどフィルルさんが見た二匹も、こいつらですよ」


「毒蝶……!」


「ええ。鱗粉に、たんぱく質を分解する強毒を忍ばせています。毒をくるんでいる鱗粉が、はねから離れた際に損壊し、毒素を飛散させる構造です。ではここで、聡明なフィルルさんに出題です。この毒蝶、どういった用途があるでしょうか?」


「フン……! 圃場ほじょう汚染、水源汚染……。要人暗殺、大量虐殺……。それらを脅しに使っての金銭、ないし研究データの要求……。仮に渡りのルートをコントロールできるのならば、輸送コストもゼロ……」


「……正解っ! さすがですっ! 見事言い当てたご褒美に、この毒蝶たちの最初の犠牲者になる栄誉を与えますっ!」


「……は疑わしいわ。この蝶から生成した毒で、人体実験や口封じを行う人間にしか見えませんもの。あなたは」


「よくもまあその細い目で、穿うがちが利くものです。ですがそこは、永遠の秘密としておきましょうか。ねえ、アサギちゃん?」


 カイトがニッ……と笑い、アサギへと顔を向ける。

 がんがあるゆえにカイトを睨みつけられないアサギが、身を震わせながら唇を噛み、俯いて地に穴が空くほど目を引ん剝く。


「じゃあ、姉さんは……。自決ですら……なかったっていうの!? あの悲痛な遺書も、おまえに操られながら書いた……。許せないっ!」


 顔を伏せたままでカイトへ飛びかかろうとするアサギを、フィルルは腕を真横に伸ばして止める。


「アサギ、馬車の中へ! クラリスたちも! この場はわたくしが引き受けます!」


「し、しかし……。これはわたしの……仇討ち……」


「あのがんがある限り、わたくしにしか勝機はありませんっ! さあ早く、みんな馬車の中へっ!」


 怒声にも近い、フィルルのドスの利いた命令。

 アサギはそれに気圧けおされるように退き、クラリスとともに馬車の中へ。

 運転手も馬たちの頭へこもをかけたあと、馬車内へ避難し、ドアを施錠する。

 場に残るは、フィルル、カイト、そして地に刺さったアサギの短剣数本。

 フィルルを囲う毒蝶の範囲が、カイトの指笛とともに、徐々に狭まっていく。

 しかしフィルルは落ち着いた様子で、カイトへと語りかける──。


「……そうそう。わたくしも昆虫……特にカマキリについて、勉強してきましたの。ほんの一夜漬けですけれど……クスッ」


「ほお……。で、どうでした? 推しのカマキリは、見つかりましたか?」


「ええ。先ほどあなたは、わたくしをハラビロカマキリに例えましたけれど……。わたくしを例えるに、本当にふさわしいのは……」


 フィルルが長い脚を大きく広げ、めいいっぱい背を伸ばし、両腕を掲げて剣を上空へと広げる──。


「……世界最大種! ドラゴンマンティスオオカレエダカマキリ!」

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