第4話 登校日の朝

 翌朝、俺が目覚めるともう有彩はいなかった。自分の家に帰ったのだろうか。

 カーテンを開けてベランダを見ると向こうの家の窓から渡してあった板は無くなっていた。

 夢だったのだろうかと思ったが、彼女の使っていた枕はまだここにあって、あれが確かに現実だったと教えてくれていた。

 俺はその枕を念入りにはたいてから舞の部屋に戻し、学校に行く準備をしようとリビングに行く。

 キッチンではもう舞が朝ごはんの用意をしていた。


「おはよう、お兄ちゃん」

「ああ、おはよう」

「昨日はよく眠れた?」

「まあまあかな……」


 舞はニヤリとする。何か気づかれたんじゃないかと俺はびっくりしたが、舞はあくびをしながら料理のできた皿をテーブルに並べただけだった。


「良かったじゃん。あたしは枕が無かったからよく寝れなかったよ。まだちょっと眠い。はわ~あ……」

「それでまだこの時間に家にいるのか」


 帰宅部の俺と違って舞は部活をしている。今日は朝練だと思っていたが、それで休ませたなら悪いと思ったが、舞の答えは違っていた。


「違うよ。昨日の今日であの女が仕掛けてくるんじゃないかと思ってさ。念のために今日はお兄ちゃんと一緒に登校しようと思ったの」

「あの女って?」

「決まってるじゃん。高嶺有彩だよ」

「ああ、そういうフルネームだったか」

「お兄ちゃん、本当にあの人の事何も知らないの?」

「ああ、知らない。昨日初めて会ったんだ」

「ふーん……」


 まあ、仕掛けたという意味ならもう昨日の夜に仕掛けてきてたんだけどな。

 しかし、言えるわけがない。あれは秘密にしておいた方が良い事だろう。

 舞は不審そうに眉を顰めた。


「怪しいなぁ……」

「怪しいか?」


 俺は内心でビクビクする。考えを読まれるんじゃないかと思ったが、舞の思い描いていたのは俺ではなかった。


「うん。あの人、絶対にお兄ちゃんの事狙っていると思う。いったい何が狙いなんだろう」

「俺が男前だからとか?」

「それが理由なのかな」

「え?」

「え?」

「そこは否定しろよ」

「ああ、うん、そうだね」


 気を取り直して話を続ける。


「高嶺有彩は何者なんだ? 何で俺に構ってくるんだろう?」

「それを調べないと駄目だね。まずはお兄ちゃんの周りの人間を洗わないと……」

「何か探偵みたいになってるぞ」

「だって気になるじゃん。あたし達二人暮らしなんだし、この問題はあたし達で解決しないと」


 確かにそれはそうだ。こんな事で連絡を取って外国で働いている両親に心配を掛けたくはない。

 ただ俺を好きという女の子が現れたというだけで何も事件が起こっているわけではないのだから。

 それに俺も有彩が何者なのか興味がある。


「調べるにしてもどうすれば良いんだ?」

「そこなんだよねぇ……。あたしとお兄ちゃんは学年が違うから接触する機会が少ないのがネックなんだよなぁ、探偵を雇う余裕もないし……」

「おいおい、騒ぎを外にまで広めるなよ」

「分かってるって。そう言えば有彩さんって何年生でどこ高なんだろう?」

「さあ? 引っ越してきたみたいだから近くの高校に転校するんじゃないか?」

「ああ、これはお兄ちゃんのクラスに来るね」

「来ると思うか? やっぱり」

「うん。だって本ではいつもそうだったじゃん」

「だよなあ」


 俺はちょっと期待してしまうが、舞は警戒を深めるだけだった。


「とにかく何かあったらすぐあたしに連絡して。駆けつけるから。それと、なるべく一人にならないようにね」

「分かった」


 こうして朝ごはんを食べ終えて片付けてから俺と舞は学校に向かう事にする。

 玄関を出て俺は隣の家を見上げる。すると舞に注意された。


「お兄ちゃん、あの女の家なんて見ない」

「ああ、悪い」

「カーテンの陰から見張ってたりはしてないみたいだね」

「そこまでするかなあ」


 そんな事を言っていると隣の家の玄関から誰かが出てきた。びっくりするぐらいの制服姿の美少女だった。……って言うか、高嶺有彩だった。


「あっ、お兄ちゃん、出て来たよ!」


 舞がそう言って俺の陰に隠れた瞬間、(俺はどこに隠れればいいんだ)、彼女がこちらを見た気がした。

 俺は慌てて顔を背けたのだが、その時、彼女が微笑んだように見えた。


「今、笑ったような……」

「笑ってたよね。絶対」

「まさか……何かを企んでいる!?」

「警戒しててよ、お兄ちゃん」


 俺達が驚いていると有彩はこっちの方に向かって歩いてきた。そして、舞に声をかけた。


「おはようございます」

「おっ、おはようございまっすっ!!」


 舞は緊張しているのか変な声を出して挨拶をした。

 これではこちらが不審がられそうだ。有彩は余裕の笑顔を見せている。舞は仕方なく俺の陰から出るしかなかった。


「翼君の妹さんの舞ちゃんだよね。私、昨日隣に来たばかりの高嶺有彩と言います」

「よっ、よろしくお願いします……」


 舞はどう対応していいか分からないようだ。こういうところは俺の妹なんだよな、こいつ。


「それで翼君はどこに?」

「ここにいますよ」

「ああ、そこにいたー」


 わざとらしい。まさかぼっちで影が薄いから本当に見えなかったとか物言わぬ電柱と思われていたとかじゃないよね?


「これから学校に?」

「ああ、妹と一緒に行くところ」

「そうなんだ。じゃあ私とも一緒に行こうよ」

「えっ!? 一緒に?」

「はい、私も同じ学校に転校したので。案内してくれると助かっちゃうな」

「ああ、やっぱりー」

「お兄ちゃんと同じクラスじゃないですよね?」

「さあ、そこまでは……」


 有彩は知らない風を装っているが、態度が何か笑っている気がする。


「一緒のクラスになれるといいですね」

「ええ、そうね」

「お兄ちゃんは嫌かもしれないけど」

「おい、別に嫌とは言ってないだろ」


 俺が妹に文句を言うと、二人はクスリと笑い出した。

 二人は仲が悪いのかと思っていたが、そんな事は無さそうだ。

 俺がそう思っていると、舞がちらりと視線を向けてきた。その笑ってない鋭い視線は言っていた。


『有彩に気を付けて』と。

 俺としては『任せろ』とジェスチャーを返すしかなかったのだった。

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