第33話 『練習相手』
それから二週間ほど。
デビュタントパーティーを翌日に控えたソフィアの元に
チェストに着せられているのはプリンセスラインのドレス。黒なのに光を反射して静かに光を返すドレスは神秘的な雰囲気をまとっている。
フリル部分にも
普段は淡泊な反応が多いトトですらじっと見つめてしまうほどの美しさだ。
「素敵……」
思わずうっとりしてしまうソフィアに、横に並ぶエルネストも満足げな笑みを浮かべていた。その斜め後ろには書類を抱えたジト目のルーカスがいるが、口を尖らせながらも静かにしていた。
さすがに機嫌が良い竜の尾を踏むような真似はしない。
「ソフィア。着てみせてくれないか?」
「本当に、私が着ても良いんですか?」
あまりの出来栄えに気後れするソフィアに、エルネストは静かに微笑む。
「着てもらえないと困るな。ソフィアのために作ったんだ」
頬を赤らめたソフィアはこくりと頷いた。
それと同時、静かに様子を見守っていたシトリーがパンパンと手を叩く。お針子たちと侍女たちが動き始めたのを確認してから口を開いた。
「では、若様とルーカスは退室をお願いします」
「ああ」
「よし。そんじゃエルは待ってる間に書類やるぞ」
「……ああ」
「に、睨むなよ」
「睨んでない」
現実に引き戻されたエルネストの表情が険しくなったのをみてルーカスが若干引いたものの、二人揃って部屋を後にした。
(いま、何か気配が動いたかも……?)
エルネストについている竜の精霊だろうか。
勘違いと言われれば納得してしまうような違和感だが、今まではまったく感じられなかった気配を感じた。
「さて、それでは合わせていきます。お嬢様には申し訳ありませんが、もしかしたら多少の手直しが必要かもしれません」
「はい。よろしくお願いします」
侍女と針子の手を借りながらドレスを身にまとう。
髪型は編み込みを入れたハーフアップ。プラチナのバレッタは落ち着いたソフィアの雰囲気によく似合っていた。
首元に飾られるのは大粒のブラックサファイアだ。
光にかざすと六条の筋が浮かび、
着飾ったソフィアの美しさに、針子やシトリーですら言葉を失ってしまう。
「えっと……変、ですか……?」
「いいえ! よくお似合いです!」
おずおずと訊ねたソフィアに、強い語調で返してしまうのも致し方ないほどに似合っていた。
「これは若様に見せない方が……」
「えっ!? やっぱりどこか変ですか!?」
「いえ。お嬢様に夢中になってその後使い物にならなくなりそうな気がします」
「……エルネスト様がそんなに気に入ってくださるかしら」
気に入らないはずがないが、エルネストの気持ちに気付いていないソフィアは本心から不安が滲んでいた。エルネストならば褒めてくれるかもしれない、という期待もあったが、それにすがることがどうしても怖かった。
『馬鹿ねぇ。せっかく素敵なドレスなんだからビシッとしなさい』
叱咤するのはトトだ。
「あなたが自信なさげに俯くのはそのドレスに失礼よ。それはつまり、つくってくれた人や贈ってくれた人にも失礼なの。シャッキリしなさい」
人目があるので表立って応答することはできないが、視線を合わせて小さく頷いた。
(……そうよね。少しでもこのドレスに見合うようにならないと)
大きく深呼吸をしたソフィアは覚悟を決めた。
「では、若様を呼んでまいります」
「は、はいっ」
エルネストを呼ぶ、とシトリーに言われて思わず声がうわずる。それでもしっかりと胸を張って背筋を伸ばした。
しばらくの後、ぱたぱたと騒がしい足音とともにエルネストがやってきた。ノックもなしに扉を開けた彼はソフィアを見るなり固まった。
ぽかんと口を開けた様子は騎士団の面々が見れば影武者を疑っても仕方ないものだった。
「…………………………」
「…………………………」
「え、と。いかがでしょうか……?」
「可憐だ」
ぽつり、呟いたエルネストはそのままソフィアに歩み寄って両腕を広げ――
「馬鹿か。何やってんだお前は」
追いかけてきたルーカスに丸めた羊皮紙で叩かれて我に返った。
「あ、いや、すまない。あまりにも綺麗だったからつい」
「綺麗、ですか。ありがとうございます」
はにかむソフィアを見て、エルネストが頬を染めた。思わず口元を覆ってそっぽを向くエルネストを見て、ソフィアは表情を曇らせた。
(やっぱり変なのかしら)
胸の中に不安が立ち込めるが、言葉を発する前にシトリーとルーカスからつっこみが入った。
「言葉もなくお嬢様に襲い掛かるとは……控えめに言ってケダモノですか?」
「暴走しすぎだろ。騎士団長が騎士団のお世話になるようなことをするなよ」
ぐぅの音も出ない正論で叩かれたエルネストは小さく
「取り乱してすまなかった。すごく似合っている。素敵だよ」
「あ、ありがとうございます」
黒曜石の瞳に映し出されてドキリと心臓が跳ね、慌てて返事をした。エルネストの言葉がじわりと胸に染み込んでいくようだった。
溢れ出そうになる感情を必死に抑え込む。
(勘違いしちゃ駄目。勘違いしちゃ駄目)
「……ソフィア?」
「ごめんなさい」
ぽろりとソフィアの目から、涙が零れた。
(私は、『練習相手』だもの)
***
「ソフィアは?!」
「本日はおやすみになられるそうです」
夕刻。
食堂にシトリーが現れるなり噛みつかんばかりの剣幕を向けたエルネストだが、シトリーの平静な一言に大きな溜息を吐いた。
椅子にずぶりと座り直し、テーブルの上に手を組んだ。
「何か言っていたか?」
「いいえ。明日のデビュタントのお相手はきちんと熟しますとだけ」
「デビュタントに出るつもりなのか!?」
エルネストとしてはデビュタントなどよりもソフィアの方がずっと大事だ。当然ながら欠席して体調を整えてもらうつもりだったが、
「ソフィア様は真っ直ぐで一生懸命なお方です。ここで休んでしまえばかえって気に病まれそうですね」
「そうは言うがな」
シトリーに睨むような視線を向けたエルネスト。その視線を遮るようにルーカスが間に割って入った。
ルーカスもやや緊張した面持ちではあるが、さすがに四六時中一緒にいるだけあって怯まない。
「エル、落ち着け。シトリーを睨んでもどうにもならんぞ」
「……すまん」
「こないだのダンスと同じく、気晴らし程度に考えりゃ良いんだよ。具合悪そうなら中座して連れ帰れば良いだけだろ」
「そうですね。ソフィア様はドレスの出来栄えに大層喜んでおられました。気分転換になるかも知れません」
二人の言葉に頷きながらも、エルネストは眉間に深いしわを刻んだ。
獰猛な気配が滲み、思わず二人が後ずさる。
「……彼女の元家族も参加するんだろう?」
「それはそうですね。参加者リストにも名前があるようですし、間違いありません」
「え、エルが守ってやれば良い! 何も悪いことしてない嬢ちゃんが我慢すんのはおかしいだろ!」
苦し紛れに放たれたルーカスの言葉に、エルネストは低く唸った。ルーカスの言葉は的を射ていた。
(我慢すべきはソフィアじゃない。確かにそれはそうだ)
だが、と内心で言葉を繋げた。
(ソフィアに、悲しんでほしくない)
ソフィアが流した一粒の涙が、エルネストの心に深く刺さっていた。
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