第11話 御子の訓練

 ソフィアには、屋敷の一室が割り当てられた。大きなバルコニーがついた日当たりの良い部屋はどう考えても使用人向けのものではない。天蓋付きのベッドには豪華なレースが幾重にもあしらわれ、ソファや椅子に施された刺繍は芸術品として飾られていても遜色ないものである。

 おまけに全身を映すための鏡には宝石があしらわれた精緻な細工が為されており、いかに王族といえども簡単に用意できるものではなかった。

 しかし妹のせいで常識も普通もぶち壊されてきたソフィアは豪華な部屋だな、程度の感想しか抱かない。


 ーー否。


 抱く余裕を与えられなかったのだ。


『ソフィア、そこに座りなさい』

「何? 改まって」


 精霊のトトが白パンのようなシルエットには似つかわしくない険しい声で指示を出したのだ。

 とりあえず言うことを聞いてソファに腰掛ける。スプリングの効いた柔らかなソファに身体が包まれるような錯覚を覚える。

 まごう事なき高級品に、ふぁ、と小さく感嘆の声を出したところでトトがくちばしを開いた。


『本当ならソフィア自身が望むまでは手だしも口だしもしないつもりだったんだけど、そうも言ってられなくなったわ。ソフィア、精霊の御子としての訓練、始めるからね』

「えっ。何で? 精霊の御子にはならないってば」

『ワガママ言ってんじゃないのッ! アンタ、自分の置かれてる状況分かってないでしょ!』


 トトの言葉にソフィアは首を傾げた。

 状況、と言われても自分は雇用契約を結んだだけだ。相手が王族というのは驚いたけれども、騎士団長を名乗る人間が不埒な真似をするとは思えないし、接した感じでも問題はなかった。


(強引だったけど……問題なかったよね……?)


 クッキーを食べさせられたことが脳裏をよぎるが、問題なかったはずだ、と自分自身に言い聞かせる。


『ハァ……見えなかったのね。無理もないわ。アタシもすぐには気づかなかったもの』

「何が?」

『エルネストってヤツの背後に、とんでもないのがいたわよ』

「えっ」


 トトが言うには、背後に見えたのは竜の姿をした精霊とのことだった。

 精霊の姿は千差万別だが、それぞれの性格や特徴を表していることが多い。竜ともなれば高い自尊心と知恵、そして闘争心が強いと予想できた。


『あれ、相当力があるわよ。アタシと同じかそれ以上ね。気配を上手に消してたし、ぐーすか寝てたくせに、とんでもない威圧感を放ってたもの』

「そんなの感じなかったけど」

『基本的に精霊の御子は、精霊からの影響をあんまり受けないのよ。実家でもそうだったでしょ?』


 確かに猫やらカエルの精霊に侍女がやられていた時も、ソフィア自身は無事だった。もちろん放っておけば体調不良になるのは間違いないのでさっさと追い払ったが。

 どうやらエルネストが動物に嫌われたり、人から恐れられるのはその竜のせいらしかった。

 道理でシトリーが説明するエルネストの恐ろしさが理解できないはずである。


『そもそもエルネストは精霊の愛し子よ』

「えっ」

『トリにモグラ。まだ喋れない低俗な奴等だったけど、あんだけ精霊にちょっかい出されるのは愛し子以外にありえないわ』

「そういうものなの?」

『ええ。あいつら以外にもソフィアが気づかないような小さな精霊がたくさん集まってたわ……ソフィアが自分の力をきちんと磨いてれば見えたはずなんだけど』


 知らなかった事実に目をぱちくりさせているソフィアだが、祖母と同じ扱いを受けるのが嫌で、今まで碌に聞こうとしなかったのだから自業自得でもある。

 チクリと言われたソフィアが苦笑いをするも、トトの視線は険しいままである。


『エルネストに憑いてる精霊が本気になったら、天変地異だって起こせるわよ』


 精霊に人間の常識は通用しない。

 言葉を持たない精霊はそもそも人間の営みなど理解していないのでやりたい放題だし、永く生きた精霊は知っていても尊重してくれるとは限らない。むしろ自らの存在に誇りを持ち、人を矮小な存在と見下すことすらあった。

 エルネストが愛し子だとして、竜の精霊がエルネストの何を気に入っているのか分からない以上は迂闊に手を出して怒らせればソフィアなんて消し炭も残らない。

 それがトトの主張であった。


「消し炭……」


 あまりにも剣呑な言葉に顔を青くするソフィア。


「じゃあ今からでも雇用契約を――」

『解除したいって言い出してエルネストの機嫌を損ねたら、それが消し炭のきっかけになるかもよ?』

「じゃあどうすればいいのよ!?」

『きちんとあの精霊を認識できるようになるまで訓練。その後は対話よ対話!』


 何が機嫌を損ねるか分からないのであれば、機嫌を損ねる原因を直接訊ねれば良い。

 道理である。


『ソフィア自身が研鑽を積んで見えるようになる分には問題ないはず。むしろ『気配を消してるのによく気付いた』って認めてくれる可能性が高いわ。そのためには、ソフィア自身が見えるようになって、怒らせないように起こすしかないわね』


 精霊は努力する者を好むから、と付け加えたトトの言葉に頷いた。


(……精霊の御子としての訓練かぁ)


 ソフィアの脳裏に浮かぶのは、まるで罪人か何かのように堅固な宮殿に入れられた祖母の姿である。本人は元気そうにしていたけれど、孫である自分たちに会うのですら煩雑な手続きや複数の立ち合い人が必要だった。

 メアリが生まれてから家族はそっちにかかりきりになり、ソフィアだけで会いに行くこともあった。

 寂しそうにしながらも「よく来てくれたね」と抱きしめてくれた祖母の姿が未だにソフィアの頭の中に焼き付いていた。格子付の窓から外を眺める、寂しそうな顔も。

 妹や父、侍女はいたものの実家で孤独を味わっていたソフィアにとって、それはある種のトラウマだった。

 精霊の御子として宮殿に囲い込まれることは何としてでも阻止したい。


(でも消し炭も怖いし……とりあえずバレないように頑張るしかないか)


 ソフィアは静かに決意を固めるのだった。


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