解放を願った。その先は……

ソラゴリ

 ドチャ……、ドチャ……


 夜の学校。

 暗闇の深い時間、定期的に響く音がある。

 鈍い歪な音。

 高所から何かを落としたかのようなその音を聞くと誰もが不安になるだろう。

 

 何を落としているのだろう、と。


 今日もまた何かが落ちる。


 ドチャ……、ドチャ……


 その音を何回も聞いていると、気づくことがある。

 それは、落としている物が金属の類でないことだ。

 金属のような甲高い音は決して響かず、なるのはただ肉のような音。


 ドチャ……、ドチャ……


 今日もまた音は響く。

 ここ九鳴(くなり)高等学校にて。




 はぁ……、今日もまた嫌いな朝が来た。


 僕にとって朝が来ることは苦痛が始まるのと同義だ。

 寝ているときですら、何が起こるか分からないというのに。


 ドスドスドス


 ほら、来た。

 悪魔の足音だ。

 怒りを溜め、行き場のない怒りを発散する場所を求め、足を鳴らす。

 そんな醜い豚の音だ。


「いつまで寝てんだクソガキが!」


 その声と同時に、部屋の扉が蹴り開けられる。

 バンッと大きな音共に。

 僕はその音に反射するように身体を丸め、「ごめんなさい」と連呼する。

 豚は僕の態度に何も感じないかのように、平然と部屋に入ってくる。

 そして、苛立ちをぶつけるように僕を蹴り上げてきた。

 

「うぐっ」


 蹴りに合わせて息が漏れる。

 息と合わせて声も出る。

 僕が漏らす音を鬱陶しく思ったのか、さらに蹴りが飛んでくる。

 僕に身体を守る選択肢はない。

 素直に蹴りをもらい、のたうち回ることしか僕には許されない。

 下手に攻撃を防ぐと、豚は面白そうに僕をいたぶるのだから。


「チッ!! ゴミクズが早く家から出ていけ」


 僕の反応が気に食わなかった豚は、またもドスドスと音を鳴らしながら部屋を出ていった。

 そう、出ていったあの豚こそが僕の父親にして唯一の保護者、黒田法人(クロダ ノリヒト)。

 そして、あの豚と別れた女との間に出来た子供が僕、黒田白人(クロダ アキト)だ。

 

 僕が乱暴に扱われるのには理由がある、僕の母親にあたる女は浮気していたのだ。

 ここまで言えば分かるかな、その浮気相手との子供が僕だった。

 女は僕を捨て、そのとき、まだ良心の残っていたノリヒトが僕を育てた。

 本来なら血の関係がある浮気男に引き取られるはずだったのに、浮気男は僕の母親と共にどこかへ消えたらしい。


 僕の保護者となったノリヒトは一生懸命に僕を育ててくれた。

 血縁関係もないにもかかわらず、それはもう一生懸命に。

 だが、ノリヒトがリストラされてから変わってしまった。

 ストレスのはけ口を僕に定めたのだ。

 真面目で一生懸命だったノリヒトはどこにもおらず、今はヤクザと関係を持ってチンピラのようなことをしているらしい。

 

 暴力の振るい方を覚えたノリヒトは、昼夜問わずに僕に乱暴する。

 殴る蹴るは日常茶飯事。

 男である僕に性的虐待をし始めたときには、僕のノリヒトへの感謝は消え去った。


 僕はノリヒトの子供ではないことを幼いころから聞かされてきた。

 教えてきていたのはノリヒトの親戚一同だった。

 親戚たちは僕のことを嫌っていた。

 親戚が僕のことを嫌うのは当たり前だ。

 血縁関係にないのだから。

 だから、僕に逃げる場所など何処にもない。

 この世界に僕の味方は誰一人としていないのだから。


 僕の考えを聞いたら誰もが思うこと。

 それは、味方なら友人がいるだろうという頭が空っぽとしか言えない考えだ。

 友人がどうのと言える人間は結局、あらゆることに運がよく、恵まれた人間であったから発せられる言葉だ。

 その証拠が僕の学校生活に現れているといえる。

 学校ですら僕の味方はいないのだ。


 


 豚の暴行に晒されたあと、痛む身体に顔を顰めながら、僕は学校に着いた。

 登校中に僕の表情に気付き、声をかけてくれる人はいない。

 何なら、僕の状態を一目見て噂話に興じている様がいつもの光景だった。

 そして、それは学校に到着しても変わらない。

 僕の耳に入る言葉は“チンピラの息子”、“死ねばいいのに”、“何で来てんだろ”、“帰ってくれねぇかな”といったマイナスな印象しかない言葉。

 そこに僕を心配する声はない。

 だから、僕にとって不快なものでしかない。


 僕だって、死にたいし解放されたいと願っている。

 他の誰かが言うよりも僕自身が僕という存在を憎んでいる。

 そんな風に考えていても、僕への負の言葉は減ることなどない。

 僕は何か間違えていただろうか、僕は何か悪いことをしたのだろうか、僕が何か迷惑をかけただろうか。

 僕はただ一所懸命に生き足掻いていただけなのに……。

 そんなことを考えていても言葉にすることの出来ない僕。

 心の叫びを聞き取り、助けてくれることをどれだけ願っても、僕に直接救いの手を差し伸べてくれる親切な人は現れてくれない。

 僕は受け身で、どうしようもないほど救えない人間だった。


 そんな救えない人間に対しての風当たりは強い。

 いや、むしろ周りは何も干渉してこない。

 そして、干渉してこないことが一番心に響いた。

 僕が教室に入ってきても、挨拶の言葉をかけてくれる人は誰もいない。

 高校生にもなって、自分から挨拶に行けない僕如きに親切にしてくれる人などいない。

 いるはずもない。

 でも、どこかで行動を起さなければ、そう思い自分から頑張って挨拶しにいったことはある。

 自分でも意外に感じるほどの勇気と頑張りを持って挨拶をした。

 その返答は無視。

 何もなかった。

 僕の勇気は何も生み出さなかった。

 



 今日も僕を無視して、教室内に人は集まっていく。

 もうそろそろ始業の時間。

 僕の以外の皆はしっかりと列を作って、規則ある座席に座る。

 それに対し、いないものとされている僕は、わざわざ他の教室から机と椅子を持ってきて座席を作った。

 いつも掃除の時間になれば僕の座席はなくなっているので、そうするしかない。

 クラスの人間は僕を徹底して無視してくる。

 無視へのせめてもの抵抗に僕は座席を作っている。


 座席を作り、静かに座っていると、始業のチャイムが鳴った。

 いつもの学校生活が始まる。

 どうか今日こそは救いがありますように。

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