悪意との邂逅

 古めかしい木製の扉。音もなく、気配もなく、ぽんっと現れた。異質。志波姫の視線があったから気がついたが、そうでなければ気がつけなかっただろう。

 

 ギギィ。


 立て付けの悪い音を鳴らしながら扉がゆっくりと開きだした。


「え?」


 開閉音が耳に届いたのだろう。雛鳥先輩と薬膳先輩は、ポメラニアンたちを綺麗に台車のうえに積むために試行錯誤していた手をとめて、ハッとしてふりかえった。俺を含めた4名みながゆっくりと押し開かれる古い木扉を見つめる。


 恰幅の良い背の高い男が出てきた。おしゃれなハットとコートにステッキのような物を持っている。パツパツのズボンは腰回りから足元にかけて極端に短くなり、品の良い革靴は見るからにキツそうだ。まるで悪の伯爵のような風貌。あるいは鞭をいつも装備しているサーカス団の邪悪な調教師か。

 窪んな目元をしている。贅肉のついた顔は不気味に歪められている。俺は既視感に襲われた。どこかでこいつを見たことがある。


「ンフ、フ……座標設定は完璧じゃ無いか……ンフフ……」


 男のあとからさらに人影が出てくる。

 今度のはブー男ではなく、整った顔立ちの気だるげな男。大学生くらいの年齢に見える。くせっ毛の白髪にゆるい黒のスウェットを着ていて、首にはネックレス、耳にピアスをしている。唇にもピアスをしており、耳と唇のピアス同士にちいさなチェーンをかけるパンクさ。俺には理解できないタイプのファッションだ。

 クズ男が吸ってそうな加熱式たばこをスポスポしながらあたりを見渡しているので、クズ男なのだろう。間違いない。


 さらにその背後、暗い肌の異国風の男が出てくる。黒人傭兵。そんな言葉がぴったりの風体だ。筋肉の溝さえ浮かび上がるピチピチの黒いシャツに、リングを通したネックレスを首から下げている。


 窪んだ目元の太い男、白髪の大学生、黒人傭兵。

 異質だった。ただそこにいるだけなのに漠然と悪性を持っていることが不思議と理解できた。たたずまいからか。あるいは退廃的な空気感からか傍若無人、奇想天外な行動をしているのに、それに対する感情の揺らめきが普通では無い。例えば、夜中に中学校の敷地へ、塀をのぼって侵入するだとか、誰も見ていない交差点で、信号無視して横断するとか、そういったルールを地味に破った際の、心に起こるさざなみほどの動揺のような……そう言ったものを感じないタイプの人間。社会秩序の外側にいるから、秩序の内側にいるものたちをみて、生きづらそうだな、と嘲笑う感じ。


 そうした諸々の雰囲気が、言葉よりも雄弁に語るのだ。眼前の男たちは埒外の人間だと。

 白髪の男が、太い男へ首をかたむける。

 

「ここで間違い無いのか、矢原岸やばらぎし

「ンフフ……あぁ、懐かしいよ、英雄高校の疑似ダンジョンだ……ンフフ…………」

「ならいい。生徒を探す手間がはぶけたな。もういる」

「ぁぁ、たしかに、ンフフ……ダンジョンホールの分、ここで取り返そう……ンフフ」


 こいつら今、ダンジョンホールって……ああ、そうだ、思い出した。あの窪んだ目元の男、どこかで見たと思ったら、ダンジョンホール事件のあと財団のエージェントに取り調べを受けた時に見せられたんだ。そのあと、ツリーキャットに教えてもらった。奴は崩壊論者『黒鎖チェイン』だ。


「あの顔どこかで……」


 雛鳥先輩たちは警戒感を表しながら、俺と同様の既視感を覚えているようだった。

 彼女たちの見覚えは、学校のあちこちに掲示されている不審者人相の写真由来だろう。

 その正体は知らないはずだ。俺が伝えないといけない。


「チェインです。崩壊論者のイかれた犯罪者です」

「崩壊論者……っ」


 意識が引き締まるのを感じた。漠然と抱いていた「なんか怪しいやつら」への警戒感は、いまや「崩壊論者」という明確な脅威への防衛意識に切り替わったのだ。

 

 志波姫は静かに腰の刀に手をかける。雛鳥先輩はライフルをそっと構えようとし、薬膳先輩は白衣にポケットを手を突っ込んだまま動かない。

 俺はいつでも檻の台車に置いてあるトランクへ手を伸ばせるようにする。

 

「ンフフ……あいつ……なんで知ってるんだ、俺様のこと……ンフフ……お前のせいで露見したじゃねか……ンフフ……」


 チェインは濁った眼差しで俺をまっすぐに見つめて来た。俺を見ようとして見た瞳。底知れない奈落を覗き込んでいるような気分になった。


「ンフフ……━━━━お前、うざいな」


 岩影から突然とびだす黒い鎖。上方、横方向。全部で7本。その先端についた鋭利な杭が、俺の四肢を穿ち、大量の出血を強いながら、晒し死体のごとく岩柱と岩柱のあいだの宙空に磔にする━━というビジョンをスキル『第六感』で獲得した。このビジョンは回避行動を取らなければ、数秒後に俺に訪れる未来だ。


 俺はステップで黒い鎖たちを回避しようとする。


『黒い鎖は重度の精神系ダメージを内包している気がする。精神防御力を持たない赤谷誠が喰らえば危険にすぎる』━━またしても『第六感』による強力な危機管理能力が発動する。まさかこの鎖すべてが俺にとって致命の攻撃だとでも……?


 散々練習したステップワークで鎖杭をかわす。敏捷ステータスをコントロールできるようになっている俺には、鎖の動きに対応することができた。

 しかし、攻撃は多重的で、立体的であった。ステップだけで回避するのは困難だった。『瞬発力』の手札を2つ切って、強引に姿勢を制御しながら5連撃の黒い鎖を避けきる。まだある。あと2つ。この位置、角度、まずい回避しきれない━━そう思った時、


 ガヂンッ。


 耳をつんざいたのは、硬質な鋼がぶつかった音。飛び散るオレンジ色の火花。鉄臭い匂い。俺を狙って射出された鎖付き杭は、緊張を失いだらしなく宙をたわむ。居合から斬り上げた、美しい残心をとるのは志波姫だ。


 彼女のつくったその一瞬を逃さず、俺はトランクを手に取る。素早く開放。露わになる2つの鉄球。意識すらせず迅速に使うのは『筋力増強』+『筋力で飛ばす』━━我が主砲『鉄の残響ジ・エコー・オブ・アイアン』である。

 アノマリースフィアは凄まじい速度で撃ち出され、チェインの胸部に命中、恰幅の良い身体をたやすく弾き飛ばした。

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