赤谷誠の日常 1
俺の朝は一杯のコーヒーからはじまる。
スキルツリーでポイントミッションを確認したあと、寮の食堂へ降り、自販機で缶コーヒーを買う。
「ずぅ……はぁ、おはよう世界」
たまに鏡のなかの自分に話しかける。たぶんみんなやってることだと思ってる。やってるよね?
世界の挨拶が終われば、朝のランニングに出かける。なお今日のポイントミッションは『外周』ではない。ランニングをするのは、体力づくりのためだ。敏捷のおかげで当初に比べれば随分と早くコースを周れる。なのでトレーニング前のアップとして英雄高校の外周を1周は走ることにした。もっとも怠い時はこの項目はスキップするが。
体が温まれば訓練棟へ向かい、2階トレーニングルームへ。白を基調とした近代的な空間に、黒い同型のウェイトトレーニング器具がズラーっと並んでいる。煌びやかな銀髪の揺らす少女を背中をみつける。ランニングマシンでスタスタ快速で走るのはアイザイア・ヴィルトである。今朝、もう走ったのでそっちには行かず、自分のメニューに取り掛かる。わざわざ彼女の近くに行くことはない。話しかけられるのを待っているようじゃないか。その姿勢を見破られれば、途端に「銀の聖女さまにお近づきになろうとしている輩」として認識される。俺にはそういう評価が下されつつある。以前のトレーニングルームではマッチョたちに無言の圧力をかけられ、ひどく恐ろしい思いをしたものだ。勘弁してほしい。
もちろん、そういうつもりが100%なかったかと真実の裁判官に問われれば、少し困る。ヴィルトのような綺麗な女の子は憧れの存在だ。完全に、完璧に、純粋に接することは難しい。
だからこそ免罪符はある。彼女は高いところにいる。そこに憧れることは自然なことであり、俺だけの感情ではないのだ。そこにやましさはない。俺が感じている僅かな負い目は、自然発生的なものであり、思春期男子なら抗えないのだから。
なので視界に彼女を捉え、視線で追ってしまうまでは無罪だ。銀の聖女を保護する会のマッチョたちにもそう言われた。だが、その先はよろしくない。例えばヴィルトの横のランニングマシンを意識的に使った場合、懲罰の対象になる。今まではなんとなく使っていたせいで俺は目をつけられていたのだろう。おっかない話だ。
イヤホンをつけ、焚き火の音を流しながらトレーニングスタートだ。音楽を流すと歌詞を耳で追ってしまって集中できないので情報量の少ないBGMを選んでいる。
最初はベンチプレスから。10kgのプレートを2枚つける。バーの重さ合わせて30kgでウォーミングアップ。10回あげたら、10kgプレートを2枚足して、50kgで10回。以前、ヴィルトにアドバイスを受けた通り、筋力ステータスを抑えることが、肉体を成長させるのに効果的な手段なのだ。とはいえ、徹底して祝福を切るのはなかなか難しいのだが。
今度は20kgプレートを2枚足して90kgで10回。さらに足して130kg。さらに足して170kg。プレートを交換して……そうこうして、300kgで筋肉を痛めつけるのにちょうどいい重さになる。300kg×6回3セットでいい感じに完全燃焼できた。探索者は筋肉の超回復の速度も速いので、朝に負荷をかけても夕方にはもう筋繊維が強靭になって蘇っていたりする。つまり、いくらでも鍛えられる。
すべてのワークアウトが完了した。このあとはポメを少し狩る。モンスターを相手に体を動かすのは大事だ。
「赤谷」
温度を感じさせない平熱の声。見やればヴィルトがそばにいた。いい匂いがする。
俺はビクッとして周囲に気を配りながら、恐る恐る「ぉぅ」と小声で反応する。
「どうしたんだ」
「おはよう、赤谷」
「おう……で、どうしたんだ」
「? おはようって言おうと思って」
たまにヴィルトは不思議ちゃん、否、不思議さまになる。感性が独特というか。
アイザイア・ヴィルトに「おはよう」と言ってもらえるのは嬉しいことだ。同時に危険なことでもある。見よ、あちこちから殺意の波動を感じるではないか。
「あっち行けよ、しっしっ」
「どうして」
「いいから。俺が死ぬことになる」
「いつも朝、おはよう交換してるのに」
「それは違法だったんだ。いつも駐車しているスペースが実は他人の私有地だった感じだよ」
「赤谷は面白いね」
面白がってる場合か。このままでは死人が出る。メニューも終わったし俺はさっさと去ろう。
「じゃあな」
「扱う重量下がったんだね。祝福を制限できるようになってる」
話を切り上げようとしているのに、継続ボタン押すんじゃない。ヴィルトはスッと手を伸ばして、俺の肩に手をおき輪郭を確かめるように撫でてくる。繊細な指の触感。優しく、細い骨格を感じる。慈しむ手というか……あぁ、まずい彼女の手のひらから体温を感じる。心地よさに身を預けたくなるが、これは重罪だ。
「サイズ感が増した。おおきくなってる」
肩の筋肉の話だと信じたい。
「結構、そのチェックするんだな……」
「触ると筋肉の硬さとか大きさとかわかるからね。これは……スイスでは普通」
そうなのか……スイス進んでるな……。
「えっと、それじゃあな、お、俺もう行くから」
「うん。またクラスで」
ヴィルトの横を通りすぎ、俺は足早にトレーニングルームをあとにした。あれ以上は危なかった。異文化交流って難しすぎる。
擬似ダンジョンへ潜り、5階層のジャーキーを購入して、30分ほどぶらつく。
少ない時で5匹程度、多い時には10匹程度エンカウントできるので、アノマリースフィアで粉砕して戦闘経験とする。
「くあいいねえ〜、よしよしおいで、ぽめちゃん」
「ぽめえ♪」
「はっ! ヴァカめ、かかったな、喰らえ必滅のジ・エコー・オブ・アイアン!」
「ぽ、ぽぽめえ〜!!!━━━━」
寮に戻ってシャワーを浴びれば、朝のルーティンは終了だ。
あとは遅刻しないように教室へ向かえばミッションコンプリートである。
こうして赤谷誠の一日ははじまるのだ。
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