【更新未定】まだ、色のない僕らの高校生活~目黒音夜は目黒友梨の扱い方が分からない~

紫蘇ゆう太

プロローグ 父の望んだキャッチボール

 颯爽とボールを蹴り、目の前の男を抜き去る。

 そしてゴールに向けて、ボールを強く蹴り上げる。

 遮られるものがないそのボールは、そのままゴールへと吸い込まれるように入っていった。


「よし、これで6―3っと」

 俺はゴールを決めると、得点を宣言すると共に軽く汗を拭う。


「今の動きは良かったな、反応が遅れた」

 俺に抜かれた男は息を切らし、地面に座り込んでいた。

 しかし、そんな彼の表情はとても楽しそうに笑っている。


「さすが、サッカークラブの選抜だな。もう中学生にも勝てるんじゃないか?」


 日差しが眩しく照りつける快晴の早朝。

 そんな休日の近所の公園で、もうすぐ所属するサッカーチームの試合を控えた俺は、お父さんに誘われて自主練習に励んでいた。


「しかし、まっすぐ蹴るのもなかなかに難しいもんだなぁー、未だに上手く蹴れないもんなぁ」

「お父さんは足がちゃんと横になってないから、どっかに跳んでいくんだよ」

 足でボールを蹴る動作を行い、手本を見せる。


「前にも教えたじゃん、ここにボールをあてるように蹴るんだって」

「そんな簡単にできねぇよ、覚えの悪いおっさんだぞ俺は」

「でも、そもそもお父さんが教えてくれって言ったんだよ?」


 俺は地元の小学校のサッカークラブに所属している。

 先日、何十人というチームメンバーのいる中で、はじめてレギュラーに選ばれた。

 つまり、次の試合がデビューとなる。

 高揚感と期待、そしてはじめての試合への不安。

 今も様々な感情が渦巻いている。


 そんな間近に控えた試合に備えて、日曜日の早朝からお父さんと練習をしていた。


 もともと休みの日は、サッカーの練習に付き合って貰うことも少なくなかったし、今日はお父さんから誘ってきてくれたのだった。


 ただ、お父さんは俺に教えられるほど、サッカーが上手なわけではない。


 はっきり言って、かなり下手。


 小学生の俺と競り合って負けるレベル。

 ほぼ未経験者で、練習相手としては力不足なのは正直否めない。

 技術を教えてもらえることはなく、今だって逆に初歩的なことをお教えている。


 でも、俺は別にそれでも良かった。

 一人で練習するのと、誰かと一緒にやるのでは全然違いがある。

 一人で練習するよりも、遥かに楽しいから。


 それになにより、俺はこうやって一緒にいられる時間が好きだった。

 なぜだか最近は、お父さんと会える時間が減っているような気がしていたし、だからこそ、この時間が貴重に感じられた。


 ちなみに、お父さんはサッカーは下手だけど、運動神経自体はけして悪くない。

 むしろ良い方なのだ。足だって俺よりも早い。


 それもそのはず。


 なんせお父さんは、もともとは野球少年だったのだから。

 サッカーはあくまで、俺がやるようになったことをきっかけで、するようになっただけ。


 以前は休みになると、友人と一緒に草野球に出かけたりして、俺も何度かその姿を見たことがあった。

 その時のお父さんは、めちゃくちゃ活躍していた記憶がある。

 今でも、テレビで試合観戦をよくしているし、甲子園では白熱した声援をテレビに送り、お母さんと妹にうるさいと咎められている。


 本当はサッカーよりも、野球の方が好きなのだ。


 昔は野球の試合に連れていってもらったり、キャチボールをした記憶がたくさんある。


 だからこそはっきりと分かる。

 きっと、俺に野球を好きになって欲しかったのだろうと。


 しかし、そんなお父さんの影響を受けることなく、俺は野球を好きにはならなかった。

 野球に興味を持つことはなく、サッカーを選んでしまった。

 友達の誘いというのもあったが、小学生になってからは、ひたすらサッカーに打ち込むようになっていた。


 それでも、お父さんはサッカーが好きになってしまった俺に、嫌な顔することは絶対になかった。

 どんな時でも笑顔で応援してくれた。

 頑張っていると褒めてくれた。

 いつでも背中を押してくれて、今でもこうして練習に付き合ってくれている。


 お父さんにサッカーを教えられるというのは、先生の立場になれたような気がして、俺も正直気分が良かった。

 大人に何かを教えられるというのは、すごく嬉しかった。


 ...だからこそ、気になってしまった。


「ねぇ、お父さん」

 競い合うように走っていた足を止める。


「ん? なんだ?」

 吊られるようにして、お父さんも足を止めて、不思議そうな表情でこちらを見ていた。


「お父さんは、本当はやっぱり今も、俺に野球をやって欲しかったって思ってる?」

 こうやって付き合ってくれてはいるが、本当のところはどう考えているのか?

 我慢しているのではないか?

 ほんとうは今もサッカーではなく、俺と野球がやりたいんじゃないだろうか?

 そう思えてしまってならない。


 いや、きっと本心では……俺と野球がしたかったはずだから。


「無理に付き合わなくてもいいんだよ? 一人でも練習はできるんだから」

 俺は、本当の気持ちが知りたくなった。

 本当のことを知るのは怖かったけど、このままお父さんの気持ちを理解しないのでいるのは、もっと嫌だった。


「バカ言うなよ。俺がやりたくたくてやってんだ! ……いや、まぁむしろ弱すぎて練習にならねぇのか」

「違うけど。お父さんは嫌じゃないのかなぁと思って」

 お父さんの気持ちを考えれば、本当は野球を選ぶべきだったのかも知れない。

 しかし、俺はサッカーを選んでしまった。


 サッカーが好きになったことは後悔するつもりはない。

 それでも、申し訳ない気持ちが拭えなかった。


「確かに俺は野球が好きだけどさ、こうやってお前と練習すんのが好きなんだよ。だからそれが野球とかサッカーどかどうでもいいの。なんなら将棋だって、ピタットモンスターだっていい。野球である必要なんてないんだよ」

「…………」

 どこか納得出来ないでいる俺の顔を見て、お父さんは困っ様子で頭をかいた。


「そりゃあ確かに、お前に野球を好きになって欲しいという思いが、なかったわけじゃない。一緒にグローブを着けて、キャッチボールをすることも夢だったことはほんとだ」

 そりゃそうだよな。

 誰だって自分の好きなことを、誰かとしたいと思うのが当たり前だ。


「…………ごめん」

「謝るな! 今はこうやってお前とサッカーで戦えている。一緒に走っている。それが嬉しい。だからサッカーをやめて野球をやって欲しいなんて、微塵も思っちゃいない」

 いつものだらけたような表情とはとは違って、どこか真剣な顔。


「お前は小学生だろ。気にすんなよそんなこと。ほら、本気でかかってこい。俺の足の速さを舐めるなよ」

 そういってお父さんは、俺からボールを奪う。

 そしてまた走りだした。

 ボール裁きはけして上手くはないが、足が早いのでかなり手強い。


「いきなり走り出すとか、ずるいよ!」

 急いで後を追いかける。

 負けじと、本気でぶつかっていく。

 しかし、そんな俺をふりきって今度はお父さんがゴールを決めた。


「なぁ音夜―――」

戻ってきたお父さんは、そっと俺の頭に手を置く。


「お前は俺の自慢だ」


「突然何?」

 俺は恥ずかしくなり、その手をどける。


「お前は俺の自慢の息子だ。そんなお前と一緒にこうやってサッカーができて、本当に嬉しい」

 俺に疎まれても気にもせず、お父さんは楽しそうに笑っている。


「こうやって息子と一緒に遊べていることが幸せ過ぎて、心配することなんて何もないんだよ。音夜と一緒に競い合って気持ちをぶつけあえる。それが何より、俺がやりたかったキャッチボールだ」

 その声はとても優しく、穏やかに包みこむようだった。


「と、父さんはさ、いつも突然に恥ずかしいことを堂々と言うよね」

 気持ちがすごく暖かくなる言葉だったが、直接言われるとなんかむずむずしてしまう。


「ただなぁ、音夜はその優しいところがいいところなんだが、もっとこう……自分勝手でいて欲しいってのも父親としは本音なんだよなぁ」

「自分勝手って……なんだよ?」

 俺は何を言われているのか、よく分からなかった。



「でも、まぁそれがおまえのいいところだし、だからこそ安心してるんだけどな」

「………………なに、安心って?」


「友梨のこと、ちゃんと可愛がってやるんだぞ」


「……え?」

「友梨のことは、お前がしっか支えてやれよ」


 なぜ、そんな話をしてくるのか?

 今度はどこか寂しそうな表情に変わる。


「唯一無二の兄妹だ、なにがあっても友梨の見方でいてやってくれ」

 友梨とは、少し歳が離れた妹。

 彼女は無邪気でわがまま、俺の言うことなんて聞きやしない。


「あいつはわがままで、俺のいうことなんて聞かないよ」

 きっと俺は、面倒なんてみれない。


「はは、確かにあいつはすごいお転婆だもんな。まぁでも大丈夫だよ、お前なら」

 気付くと、また俺の頭に手をあてていた。


「友梨のことを頼んだぞ。……あ、でもな……」


「―――――――でいろ、いいな、忘れるなよ、俺との大切な約束だ」



 その日の練習は、お昼近くまで続いた。

 お互いに、息が切れるまで何度も戦った。


 楽しかった、すごく充実していた。

 お父さんはコーチではないから、技術自体の変化は感じられない。


 でも、なんの不満もない。

 だって本気でぶつかってくれるから、俺も何も気にせず戦うことが出来る。

 口に出しては絶対に恥ずかしくて言えないが、お父さんとのこの時間が、居心地が良くて大好きだった。


 来週もまた、付き合ってもらえるかな?

 上手くなっていく俺を、これからもずっとお父さんに見てもらいたい。


 ………………


 …………


 ……


 だが、その日を境に、俺がお父さんとサッカーをすることはなかった。



 この日から暫くして、お父さんは入院した。



 そして日を追うごとに、お父さんの体は、どんどんと動かなくなっていった。


 …………


 ……


 入院してから数ヶ月後、お父さんは病院から戻ることはなく、空へと旅立っていった。


 あの日のサッカーの練習が、最後の2人だけの時間だった。


 それなのに、未だにあの時、お父さんが言った言葉を、俺はハッキリと思い出せないでいた。

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