2. 寮生たち

「どうしてこうなった」


 女子寮の寮父になることが決まってしまった。

 念のため確認したが間違いでは無かった。

 電話越しでのクソ姉貴の笑いをこらえるような声が未だに耳に残っていてブチ切れそうだ。


 同世代の女子高生と同じ屋根の下で暮らせるなんて羨ましい。

 なんて俺の境遇を羨む人もいるかもしれないが、本気でそう思っているのならば喜んで交代しよう。


 女子寮に男が住む時点で、世間様は俺が彼女達を狙っていると思ってしまうのだ。


 警戒されまくりで針のむしろの状態で毎日を過ごすんだぞ。

 少しでも怪しいそぶりを見せたら学校中に俺の不評が流れて学校でも居場所がなくなるんだぞ。

 怪しいそぶりどころか、普通に生活していても勘違いされたり、些細なことで恨まれて破滅させられる可能性だってある。


 人生崩壊綱渡り生活がしたいのであれば、どうぞどうぞとお譲りします。




「ついにこの日が来てしまったか」


 そして今日がその綱渡りの第一歩を踏み出す日。

 寮生が引っ越して来る日だ。


 寮父がいる無茶苦茶な女子寮への入寮希望者など居ないだろうと思っていたのだが、どうやら酔狂な女生徒が三人もいるらしい。

 寮母さんが寮父に変わると決まってから、レオーネ桜梅への入寮希望は大半がキャンセルとなったのだが、その三名だけは希望を変えなかったと言う。


 この寮の寮費は近隣の賃貸マンションと比べて格段に安い。

 恐らく彼女達はこの寮に住まなければならない経済的な理由があるのだろう。


「ここで俺が何かしたらそれこそ本当に悪人だわ」


 彼女達は多少理不尽なことをされても、ここを追い出されないようにするために断れないかもしれない。

 それを分かっていて手を出した日には、地獄行きが確定だな。


「そろそろ時間かな」


 最初の一人がやってくる時間だ。

 俺は名前しか知らされていないので、どのような人物なのか分からない。

 出来ればお互いに程よく距離を置ける相手だと良いのだが。




 玄関ホールへと移動して待っていると、引っ越し屋さんのトラックが先にやってきた。

 ガタイの良い引っ越し屋さん達は、女子寮なのに男が出迎えたことに違和感を覚えたのか小さく首をかしげたものの普通に挨拶してくれた。

 プロとしてこの場で詮索しないでくれたのは有難いが、後でネットで拡散とかしないでくれよ。


 引っ越し屋さんが部屋までの間にシートを敷くなどの準備をしていると、待ち人がやってきた。


「ようこ……そ……」


 いらっしゃいませ。


 と笑顔で続けて好印象を与えようとしたのだが、大失敗してしまった。

 やってきた彼女を見た俺は驚きで言葉が止まってしまったのだ。


「(こんな美人が来るなんて聞いてねーよ!)」


 腰まで伸びる艶やかな黒髪。

 上から下までスラッとしたモデル体型。

 もちろん目鼻顔立ちは整っている。


 これらだけなら俺はあまり驚きはしなかっただろう。

 何しろ、見た目だけならハイレベルのクソ美人を毎日のように見ていたからだ。


 だが彼女は姉貴でも敵わないだろう特徴を備えていた。

 単に顔立ちが良いだけではなく、透き通っているかのような滑らかな肌の持ち主だったのだ。


 中学生や高校生であれば肌が瑞々しいのは当然だなどと考える人が多いとは思うが、実際は肌荒れに悩む年齢でもある。短期間で治るもののニキビ等に悩まされる人が多いだろう。

 だが彼女はそういった肌の問題など一切感じさせない。


 しかもすっぴんで、だ。


 このあまりの女性としての完成度の高さに、俺は思わず息を呑んでしまったのだった。


「失礼しました。わたくし、本寮の管理を担当させて頂くことになりました、春日かすが玲央と申します」


 気を取り直した俺は彼女に丁寧に挨拶をする。


氷見ひみ 都江美とえみ様でよろしいでしょうか?」


 今日のこの時間に来るのは氷見さんであると聞いていたが、念のため確認する。


「……」

「!?」


 怖ええええええええ!

 なんだこの目つきは。

 超怖いんですけど、俺の体を貫通するレベルの視線なんですけど!


 俺失礼してないよね。

 超丁寧に対応してるよね。


 嫌な汗出て来たわ。


 警戒されているとは思っていたけれど、まさかここまでとは。


 頑張れ、俺。

 下手に出て少しでも印象を良くするんだ。

 この先の平穏な学生生活のために!


「私もお手伝いしますね」


 氷見さんが来たから引っ越し屋さんが荷物を運び出し始めたので、手伝って好感度を稼ごうとトラックに向けて歩き始めた。


 しかし氷見さんは俺の行く手を遮った。


「余計なことしないで」

「ヒエッ」


 声量は少ないけど声質がくっそ重い!

 呪ってるんじゃないかと思える程の静かで低くて強烈に昏い声が怖すぎる。


 やべぇ、体が全く動かねぇ。

 体育の時のマラソン後以上に心臓が早鐘打ってるし嫌な汗がとまらねぇ。

 体の震えも酷いし、まともに息も出来ねぇ。


 めっちゃ体が冷えてきた感じがするんだけど、まさか俺、睨まれただけで死ぬんじゃね?


「……」


 あ、死んだ。


 なんて思って固まっている俺を無視して、氷見さんは部屋の中に入って行く。


 しばらくすると、ようやく俺の体は自由になった。


「ぷはっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、何だ今のは!?」


 長時間水の中で息を止めていたかのように、俺は空気を思いっきり吸って体の調子を整える。


 そんな俺の異様な様子に、引っ越し屋さん達は同情する目つきを向けてきた。


 ああ、あの子、この人達にも同じ対応したのか。

 なんでだよ。やましいことを考えていると思われてそうな俺はともかく、彼らは仕事してるだけじゃねーか。


「ん、姉貴?」


 狙ったかのようなタイミングでスマホに姉貴からの通知が来た。


『今日来る子、男嫌いだから気を付けてね』

「あらかじめ言えよおおおおおおおお!」


 あのクソ姉貴。

 また分かってて言わなかっただろ。


 引っ越し屋さん達も男の人だから睨まれたって訳ね。

 なるほど、分かった分かった。


 うん、関わりたくねぇ。


 でも男嫌いでこれだけ嫌われてるなら接触してこないよな。

 俺の顔なんて見たくもないだろうから寮のサービスは使わないだろうし。

 向こうから積極的に避けてくれるなら楽じゃね?


 よし、ポジティブに考えよう、ポジティブに。


 結局その日は氷見さんに再度会うことも無く、引っ越しは無事に終了した。

 寮に関する話は紙に書いてポストに入れとこ。




「二人目もやべぇ奴ってことはねーよな」


 氷見さんが入寮した翌日。

 二人目が引っ越して来る予定だ。


 俺は昨日と同じように寮の入り口で待っている。


 ちなみに案の定、氷見さんは俺のところに顔を見せる気配はない。


 寮のサービスとして、コミュニケーションルームで朝食と夕食を提供するのだが、実質俺の部屋みたいになっているところに来るつもりは無いのだろう。

 食事は俺が作らなければならないので、来ないなら来ないで手間が省けて大助かりだ。


「お、来たかな」


 一人目について考えていたら、引っ越し屋さんのトラックがやってきた。

 今回もまた、入寮者が後から来るケースのようだ。


「せめてまともに会話出来ますように。せめてまともに会話出来ますように。せめてまともに会話出来ますように。せめてまともに会話出来ますように」


 しまった。

 小声で祈っていたのが引っ越し業者の人達に気付かれてしまった。怪訝な表情になっている。


 言い訳して取り繕うかと考えていたが、その前に待ち人が来てしまった。


「ちわーっす」


 お、明るく挨拶してくれるってことは、会話が成立するかも。


禅優寺ぜんゆうじ 栄理えり様でよろしいでしょうか。私、本寮の管理を担当させて頂くことになりました、春日玲央と申します」


 ど、どうだ……?

 殺人目つきはもう勘弁だぞ。


「ふ~ん、キミがそなの。よろ~」


 おおおおおおおお!

 会話が出来た!


 良かった、普通そうな人で本当に良かった。


「どったの?」

「ああ、いえ、何でもありません」

「ふ~ん?」


 手を後ろに組み、前かがみになって下から覗き込むように見上げてくる仕草は狙っているのだろうか。

 禅優寺さんもかなりの美少女。そのことを自分で分かっていてこちらを揶揄ってくる、小悪魔系っぽい振る舞いだ。


 禅優寺さんは氷見さんとは違い、美少女っぷりをしっかりと作り上げている。

 ショートボブな髪型は毛先まで手入れされていて乱れた様子は一切ない。

 服装も単なる外出着ではなくておしゃれを意識した陽の者な雰囲気が漂っている。

 そして年相応に、かつ素材を上手く引き立てる程度にうっすらと化粧を施している。


 氷見さんが素材の力だけで美少女っぷりを発揮しているのに比べ、禅優寺さんは己の力で美少女像を作り上げていた。


 態度は陽キャ風な雰囲気であるし、こっちを蔑むような感じは今のところ見られない。

 もしかしたら上手くやっていける当たりの相手なのかもしれない。


 よし、狙っているとか思われない程度に好感度を稼いで、寮の事について会話が出来る程度の関係にするぞ。


「引っ越しのお手伝いをしますね」


 だが、氷見さんの時と同じようにトラックに向かって歩き出そうとすると、禅優寺さんも俺の前に立ち塞がった。


「うわ~見え見えの好感度稼ぎキター。きも~い」

「へ?」


 あれ、なんか唐突に雲行きが悪くなってきたぞ。

 なぜに!?


「余計なことしたら、コ・ロ・ス、から」

「え? ぎゃああああああああ!」


 いだっ! 痛いっ!

 パンプスで俺の足を思いっきり踏みやがった!

 ぬおおおおおおお、いてえええええええ!


「春日クンはな~んにもしなくて良いから、ね」


 くっそ、流石にこれは文句を言っても良いだ……


「ヒエッ」


 目が笑ってない笑顔きたああああああああ!

 くそぅ、本心では微塵も気を許してなんかいないってことだったのか。

 だったらもっと分かりやすくしてくれよ、踏まなくても良いだろ!


「じゃね」


 禅優寺さんは痛みで顔をゆがめている俺を生ゴミでも見るかのような眼で一瞥して寮に入っていった。

 引っ越し屋さん達は俺と禅優寺さんとの会話を聞いて無かったので、俺が彼女に何かをやらかして怒られたのだと勘違いしたのか、彼らも俺を生ゴミを見るような目で見てくる。


 美少女の味方をするのは当然だね、うん。


 もう心が折れそうだよ。




 俺は学んだ。

 俺の好感度は最初から超絶マイナスの状態なのだから、普通の対応など望んではならないのだと。


 必要最低限の話はポストへの投函や掲示で対応するとして、最初は完全に距離を置こう。

 相手もきっとそれを望んでいるはずだ。


「今日は挨拶だけして退散しよっと」


 日を跨いでも足の痛みが残る中、俺はまた玄関で最後の入寮者を待っていた。

 距離を置くと言っても、顔は覚えて貰わないと寮内で偶然顔を見られた時に不審者として通報されてしまうかもしれないからだ。


「はぁ……気が重い」


 射すくめられ、足を踏み抜かれ、今度は何が待ち受けているのだろうか。

 まぁ、これまでの流れから察するに、引っ越しの手伝いを申し出ずに部屋に戻れば痛い目を見ることは無いだろう。


 大丈夫だ、俺。

 これ終わったら病院に行って足を見て貰おう……


「来たか……」


 恒例の引っ越し屋さんが先に来るパターン。

 引っ越し準備を横目に見ていると、最後の入寮者がやって来た。


「……ぁ」


 彼女は俺の存在に気付くと、か細く言葉を漏らした。


 ちいさいな。


 氷見さんが高身長、禅優寺さんが平均的、そして最後の入寮者はとても小柄な女性だった。

 なお、あの部分の大きさは真逆である。

 この女性は姉貴に匹敵するくらいの立派なモノを持っているけれども、そこを凝視して最底辺の好感度を更に下方に限界突破させるような愚かな真似はしない。

 姉貴で見慣れている分、耐性はあるのだ。


 しかし表情が見えないな。

 前髪が目元にかかる程に長いのと、やや俯いていることから、表情が伺えない。


 まぁいいや、ダメージ受ける前に挨拶してさっさと退散しよう。


栗林くりばやし うさぎ様でよろしいでしょうか。私、本寮の管理を担当させて頂くことになりました、春日玲央と申し」


「いやああああ! 犯されるうううう!」


「……………………え?」


 ナンデ、オレ、ナニモシテナイヨ。


 栗林さんは何故か泣きながら寮の中に駆け込んでしまった。

 おい、引っ越し屋さん、通報しようとするな!

 今日はちゃんと見てただろ!

 普通に丁寧に挨拶しただけなんだよおおおおおおおお!


「どうしてこうなった」


 少し後で知ったことだが、どうやら寮父の権力を使ってエロいことを要求されるのではないかと不安だったが故の奇行だったとのこと。


 そんなの知るかよ!

 傷ついたのは俺だよ!

 初対面の女子に泣いて逃げられるとか精神的ダメージ半端ないんですけど!




 だが俺はすぐに気付いた。

 三人とも完全に俺とコミュニケーションを取るつもりが無いということは、本来俺がやるべき寮のサービスを提供しなくて良いということに。


 だってそうだろう。


 そもそもレオーネ桜梅のサービスは主に四つあるのだが、その殆どが、俺との関りを拒絶するのならば受けられない物なのだから。


 サービスの一つ目は朝食、昼食、夕食の提供。昼食は平日のみで弁当だ。

 これは前述したように朝食や夕食はコミュニケーションルームに来ないとダメだからNG。

 そもそも俺が作った料理など、何が入っているかも分からないから食べたくも無いだろう。


 サービスの二つ目は洗濯。

 男の俺に洗濯してもらうなんて考えるまでもなくNG。


 サービスの三つ目は共同風呂。

 風呂に何かを仕掛けられていると疑ったり、使用済み風呂場を掃除されるのを嫌って、自室に設置されているシャワールームを使うだろう。


 サービスの四つ目は寮の掃除。

 これだけは彼女達に関係なく可能である。

 掃除は嫌いでは無いし、他のサービスが停止状態ならば俺の負担はかなり少ない。


 つまりだ。

 俺は一人暮らしで、あの広い部屋を自由に使って、快適に暮らすことが出来る。


 もしかして最高の環境じゃないのか!?


 この時の俺は、そう前向きに捉えてワクワクし始めていたのだった。

 それなのにまさか、あんなことになるなんて……

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