女子寮の寮父は今日も彼女達の面倒を……おい、下着は自分で洗えよ!

マノイ

プロローグ

1. どうしてこうなった

「どうしてこうなった」


 窓から差し込む柔らかな日差しが部屋の中を程よく温め、眠気を誘う四月初め。

 多くの人が新生活を迎えてドキドキワクワクが世間に充満しているこの時期。


 俺は一人、机の前で椅子に座り頭を抱えていた。 


「はぁ……」


 何度も溜息が漏れてしまったからか、喉の渇きを感じたので飲み物を取りに部屋を出ることにした。


 その途中で、壁に掛けられている真新しい制服が目に入った。


「くそぅ、俺もワクワクしたいよ」


 俺もまた、新生活を迎える一人だ。


 めでたく第一志望の高校に合格した俺は、今年度から桜梅おうめ学園の高等部に通うことが決まっている。

 本来ならば、クラスに上手く馴染めるかな、何の部活に入ろうかな、可愛い彼女が欲しいな、などと楽しい不安を胸にソワソワしているはずだった。


 しかし今の俺にはそんな心の余裕は一切なかった。


「やっぱり広いな」


 冷蔵庫から取り出した冷茶を飲みながら、俺はキッチンからリビングの方を眺めて呟いた。


 五~六人が入っても狭さを感じないであろう広々としたリビングには、テレビに向かって低い机を囲うように複数のソファーが並べられている。

 キッチンとの間にあるダイニングスペースには広い机と椅子が並べられており、同時に六人座れるようになっている。

 どちらもキッチンと繋がっており、いわゆるLDKという間取りである。


 俺が頭を抱えていたベッドルームと合わせて1LDKというのが、俺の今の住処だ。


「何度考えてもありえねぇ」


 物語ではよくある、高校生での一人暮らし。

 とは言っても、いくら何でも部屋が広すぎだと普通なら思うだろう。

 しかし本当に突っ込むべきところはそこでは無い。


 何故この部屋がこんなにも広いのか。

 それはこのLDKの部分が寮のコミュニケーションルームの役割を持っているからだ。


 レオーネ桜梅。


 そう名付けられた寮の寮母、いや寮父?に、俺は何故かなってしまったのである。


「どうしてこうなった」


 いくら俺が家事が得意だからって、学生やりながら寮父もやるとかって無理があんだろ!

 あのクソ女め、くそっ、くそぅ!


 俺は怒りに体が打ち震え、何度も地団太を踏んでしまう。

 そうしてまた、あの時の会話を思い出した。


――――――――


「お母さん、俺、一人暮らしがしたい」

「何言ってるの、ダメに決まってるでしょ」

「だよねー」


 桜梅学園への合格が決まってから数日後、俺はダメもとで家を出たいと母親に相談した。

 俺の家は家庭に『大きな』問題があるわけではなく、学園も家から通える距離にあるので、却下されるのは当然の事だろう。

 俺も冗談半分で認められるとは思っていなかった。


 だが、この冗談半分の言葉が俺の運命を大きく変えることになってしまったのだ。


「いいんじゃね?」

「「え?」」


 俺と母親の間に割って入った一人のクソ女。

 俺の一人暮らしを母親以上に認めないであろうそいつが許可するかのような言葉を発し、あまりの驚きで俺と母親は硬直してしまった。


「その年で自立したいとか、立派立派。流石私の自慢の弟だ」

「……何を企んでる」


 そのクソ女の正体は、まことに遺憾ながら俺の姉だ。


 我が家で一番発言力が高いのは父親でも母親でも無くコイツである。

 一人娘として溺愛されていることに加え、人気モデルとして大成功を収めて稼いでいるからか、両親はほぼ言いなり状態だ。


「企んでるなんて人聞きが悪い。お姉ちゃんは玲央れおを応援してあげたいだけさ」

「嘘だ! お前はそんな人間じゃない!」

「お・ね・え・ちゃ・ん、でしょ?」

「ぎゃああああ! 痛い痛い!」


 こいつは気に入らないことがあるとすぐに暴力を振りかざして来る。

 俺はもう高校生になるのに全く歯が立たない。

 この時もアイアンクローが外せなくて骨が軋む音が聞こえて来そうだった。


「お・ね・え・ちゃ・ん。分かった?」

「ぐああああ、お、おねえじゃん」

「分かればよろしい」

「かはっ、こいつ……」

「ん?」

「何でもないです、お姉……ちゃん」


 成長すれば暴力からは逃れられると思っていたのだが、まさか永遠に力関係が変わらないのだろうか。


「でもれい、本当に良いの?」


 俺への暴力など見なかったかのように、母親が姉貴へと言葉をかける。

 ちなみに、姉貴と呼んでも制裁が待っている。


「そうだよ、お姉……ちゃん。俺が居なくなったら困るんじゃない?」

「もちろん困るさ。愛する玲央が居なくなったらお姉ちゃん寂しくて死んじゃうかもしれないもの」


 泣き真似をする姉貴にイラっとしつつも、ここでまた感情に任せて何かをしゃべったら制裁を受けるのは目に見えている。

 だからあくまでも冷静に事実をぶつけてやる。


「そうじゃなくて、お姉……ちゃんは自分の事、何も出来ないじゃん」

「玲央は失礼だな。そんなことないさ」

「おかしいなぁ。俺、朝起こして、朝食用意して、弁当を用意して、洗濯して、身だしなみ整えるの手伝って、学校から帰ったら洗濯物とりこんで、荒れた部屋を掃除して、夕飯用意して、お風呂の準備して、パジャマも用意して、時には背中を洗って、晩酌の用意して、酔いつぶれた誰かさんをベッドまで運ぶのを、ほぼ毎日やってる気がするんだけど」


 そうなのだ。

 このクソ姉貴、自分の身の回りのことを全て俺に押し付けて、家の中では自堕落な生活を送っている。


「だってそれは玲央がやりたいって言うから任せてるだけじゃない」

「ぐっ……」


 そしてそのことに不満を言うと、いつもこうやって返して来る。


 我が家は両親が家事が壊滅的なため、昔は家政婦さんを雇って家の面倒を見て貰っていた。

 その家政婦さんが感じの良い人だったため、幼い俺は懐いていた。

 その大好きな家政婦さんが毎日家事をしているのが大変そうに見えて、つい言ってしまったのだ。


『ボクが家事をやるよ!』


 今から思えば家政婦さんは金銭に見合った仕事を普通にこなしていただけなので心配される謂れは無かったのだが、幼かった俺はそんなことは分かっていなかった。

 そして家事にも少なからず興味があったこともあり、その時から俺が我が家の家事担当になってしまったのだ。


「自分でやりたいって言ったことなんだから、責任もってやらないとね」


 俺がある程度家事を出来るようになると、我が家は家政婦さんとの契約を終了した。


 俺は家事を一人でこなす大変さにすぐに気付いたが、泣き言を言うと姉貴は幼いころの俺の言葉を引き合いに出して、辞めさせないように仕向けて来た。

 しかも姉貴は家政婦さんがやっていた仕事以上の事を俺に強いて来やがる、クソが。


「だ、だから俺はこれまで(我慢に我慢を重ねて)やってきたじゃないか。俺が居なくなったらまた家政婦さん雇うの? お姉……ちゃんはそれで大丈夫なの?」


 朝起こしたり、酔いつぶれた姉を介抱するなどと言ったことは家政婦さんの業務外だ。生活水準が下がるのを姉貴がヨシとするとは思えない。


「大丈夫大丈夫。安心しなさい」

「……」


 まったく安心できない。

 姉貴の生活が、ではなくて、こんなことを言い出す姉貴の言葉には間違いなく裏があるからだ。

 母親も胡散臭そうな目で姉貴を見ている。


「ただ、玲央が一人暮らしするには条件がある」

「「やっぱり……」」


 裏があって安心する辺り、俺も母親も割と狂っているのかもしれない。


「私が指定したところに住むこと」

「……それだけ?」


 嫌がらせでボロアパートを指定するのか?

 それともまさかこいつも隣に越してきて面倒見ろとか言ってくるんじゃないだろうな。


「後はこれまで通りに『役割』を責任もって果たしてくれれば良い」

「……役割?」


 え? どういうこと?

 一人暮らしで役割ってなんだ。

 勉強はちゃんとやれとかそういうこと?

 そんな温い条件の筈が無いよな。


 俺は姉貴の意図が全く読めていなかった。

 この時点で即座に断っていれば間に合ったのかもしれないのに。


「さぁて、それじゃあ手続するかな」

「ちょっと待ってよ! その『役割』について教えてよ!」

「何も難しい事じゃないさ。玲央の『役割』である『家事』をちゃんとやれば良い」

「家事?」


 姉貴に無茶を強いられてきたがゆえに、俺は家事が得意である。

 また、姉貴の対応は死んでも嫌だが、それが無ければ家事そのものは決して嫌いではなく、むしろ好きである。

 それをしっかりやれと言うのならば拒否する必要は無い。


「じゃね~」


 俺が考え込んだ隙を狙って自室へと退散しようとする姉貴。

 もっと詳しい話を聞かなければダメだと焦る俺よりも先に、母親が声をかけた。


「ちょっと待ちなさい、玲」


 お母さん、ぐっじょぶ。


「流石に貴方が良いと言っても親として許可できないわよ」


 ああ、こんなにも親の愛を感じるのはいつぶりだろうか。

 両親からの無茶ぶりは無いけれど、姉を全く止めてくれないから心の何処かで敵だと思っていたのかもしれない。ごめんよママン。


「山口さんのアレを玲央にやってもらおうと思うよの」

「ああ、なるほど! 玲央なら適任ね」

「おいコラ」


 やはりママンは敵だった!

 味方は居ない、死!


「家族に向かってその口の利き方は無いでしょ」

「ぎゃああああ! ギブ! ギブ!」


 結局その日は姉貴の折檻で話がうやむやにされてしまった。




 そしてその数日後。


「は? 寮の管理人?」


 俺は一人暮らしの場所が桜梅学園の寮であることを知らされた。

 しかも寮の一室ではなく、管理人部屋に住むように告げられたのだ。


「管理人室はコミュニケーションルームも兼ねてるから広くて良いぞ。家事のし甲斐があるだろ」

「いやいや、意味が分からないから!」

「不安なのは分かる。でも大丈夫だ、プライベートルームはちゃんとあるから、女の子を連れこめるぞ」

「そんなことを心配してるんじゃないから!」

「でも気をつけろよ。あまり激しくするとコミュニケーションルームまで聞こえるからな。そういうプレイが好きなら止めないけど」

「だから違うって言ってんだろ!」


 くそ、わざと話を逸らそうとして来やがる。

 そうじゃねーよ。

 高校生の俺が寮の管理人とか意味が分からねーよ。


「大体子供が管理人とかダメだろ。俺何にも分からないぞ」


 寮の管理人の仕事に何があるのか分からないが、単なる家事で済む話では無いことくらい俺にも分かっている。

 高校に通いながら中途半端にやっていたら、入寮者に迷惑をかけることは間違いない。

 いくら姉貴の無茶ぶりと言えども、他人に多大なる迷惑をかけることは断固として認められない。


「設備の管理とかセキュリティとか、大部分はプロを雇うから大丈夫。玲央はあくまでも家事の延長線上で寮の管理をしてくれれば良い。管理人というより寮母さんみたいな感じかな」

「寮母さんもプロを雇えば良いのに」

「それがな、良い人材が見つからなくて困ってたんだ」


 姉貴にしては珍しく、この話の裏を真面目に説明してくれた。


 桜梅学園は主に近隣住民が通う学園であり、元々寮は設置されていなかった。

 そのため、数少ない一人暮らしの学生は学園近くの学生マンションを借りていたのだが、近年一人暮らしの学生の割合が増えてきたこともあり新たに寮を新設することが決まった。


 その一つが今回話題に挙がった寮である。


 母親と姉貴の知り合いがこの寮のオーナー的な立場の人で、当初は寮母を担当する人も決まっていたが、その人が突然病気にかかり代役を探していたとのこと。

 そこで白羽の矢が立ったのが、俺ということらしい。


「話は分かったけれど、いくらなんでも高校に通いながら寮母とか無理だよ」

「玲央なら大丈夫だ。ほら、この寮の名前『レオ・・ーネ桜梅』だって。玲央のために作られたようなものだろ」

「まさかそんなくだらないギャグで決めたんじゃないよね」

「……」

「おい!」

「流石にそれは冗談だけど、玲央なら大丈夫」

「まったく安心出来ない!」


 姉貴の事だからマジでノリで決めた気がするのが怖い。


「それにほら、一人暮らししたいって言い出したのは玲央だろ。自分で言い出したことなんだから責任もってやらないと」

「いつもそれで丸め込まれると思うなよ!?」


 今回ばかりは引き下がるわけには行かない。


 俺の普通の高校生活がかかっているんだ。

 他人の面倒を毎日見るなんてとんでもない。


 まぁ姉貴よりはマシかもしれないけれど。

 あれ? このクソ姉貴より怠惰で暴虐な人間なんてそうそういるはずが無いよな。

 となると今よりも楽にはなる……のか?


 って危ない。そもそも誰かの面倒を見続ける生活が続くってのがあり得ないんだよ!


「そっかぁ、玲央はやってくれないのかぁ」

「いくらなんでも無茶苦茶すぎでしょ」

「じゃあ先方にお断りの連絡をするか」


 あれ、姉貴が素直に引き下がるなんておかしいぞ。

 何が何でも自分の思い通りにしないと気に入らない人種なのに。

 うっ……なんだこの嫌な予感は!


「あれ、何か変な画像が添付されちゃったけどまぁいっか、そのまま送」

「誠心誠意! やらせて頂きます!」

「あらそう? じゃあ頑張って」

「くっそおおおおおおおおおおおおおお!」


 やっぱりやりやがったこのクソ姉貴が!


 姉貴のスマホには俺を脅迫するための画像が沢山保存されている。

 全て姉貴が俺を罠にかけて撮ったものだ。

 あれらが公開されたら俺の人生は終了する。


 結局俺はクソ姉貴の言いなりになるしかないのだった。 


「これで安心して出発できるな」

「は?」


 出発?

 なんのことだ?


「あれ? 言ってなかったっけ?」


 何が『言ってなかったっけ?』だ。

 そのにやけ顔、明らかに分かってて言わなかったって顔だろうが!


「私、来週からアメリカで仕事するのさ」

「ああ、そういう……」


 モデルという仕事をしている都合上、姉貴は撮影のために海外に行くことが珍しくない。

 単に心残りの問題に片が付いたから安心して海外で仕事が出来るって意味だったか。


 ……あれ?

 来週から・・って言ったよな。

 なんか無性に嫌な予感がするぞ。


「ちなみに、いつまで?」

「三年間くらいかな」

「は?」


 三年間。

 つまり日本の仕事で海外にちょっと行くのではなくて、海外に拠点を移して仕事をするってこと!?


「それじゃあ一人暮らしする意味ねーじゃん!」

「どういうことかな?」


 クソ姉貴から逃げたかったから一人暮らししたかったんだよ!

 なんて素直に言ったら折檻だ。


 絶対に分かっていて嫌がらせしやがったくせに!


 怒りで頭の中がどうにかなりそうなのを我慢しつつ無難な答えを返そうと考えていた俺に、姉貴は更にとんでもないことをぶっこんできた。


「実はちょっと迷ってたんだ。寮の管理人にするか、ついてきてもらうか」

「は?」


 ついてきて……もらう?

 三年間、アメリカで、姉貴の面倒をみる?


 ふざけんなよ。俺の青春時代を何だと思ってるんだ!


 あっぶねぇ、一人暮らししたいって言っといて良かった。

 そっちの方がまだマシだわ。 

 姉貴だったら本気でやりかねないからな。


「いやぁ、三年間も広いところで家事が出来るなんて幸せだなぁ」

「でしょ? お姉ちゃんに感謝なさい」


 感謝してもらいたいなら、普通に暮らすって選択肢を下さい。


 俺はこの時、油断していた。

 より悪い選択肢を見せられることで、寮父生活がマシなものと思い込まされていたのだ。


 いや、実際、寮生との相性次第ではちょっと風変わりな面白い青春時代を過ごせる可能性もあったのだ。

 もちろん姉貴がそんな甘い現場を俺に提供するわけが無いのであった。




「どうしてこうなった」


 そして引っ越しの日。

 俺は重い足取りで寮へと向かっていた。


 寮は桜梅学園の敷地内では無いが近くに建てられている。

 通学が楽なのは寮生にとっては嬉しいだろう。

 それとも下校を楽しめないのがマイナスだろうか。


 俺としては始業ギリギリまで家事が出来るのが嬉しい……ってすでに現実を受け入れて今後の生活について考え始めている自分が悲しい。


「おお、割と良い建物じゃん」


 地図が示すとおりに移動すると、目指す建物が見えて来た。

 付近には他に集合住宅らしきものが無いのであそこで間違いないだろう。


 二階建ての小さな新築集合住宅。

 入り口は電子キーで施錠されていて、監視カメラが目立つように設置されている。有名な警備会社のシールが壁に張られているのが外からも見えるようになっているのは、セキュリティがしっかりしているから変な気を起こすなよという悪い人へのアピールだろうか。


 今時こんなにも小さな集合住宅を建てるのは珍しいのだが、俺がそのことを知ったのは大人になってからだった。


「おっと、念のためちゃんとここが正しい場所か確認しないと」


 地図的にここで間違いは無いが、念のため建物の名前を確認しておこうと、俺は入り口付近の何処かにあるであろう建物名を探した。


 すると、俺の目にこれまでの悩みが吹き飛ぶくらいのとんでもない文字が目に入って来たのだった。


『レオーネ桜梅』


 確かにここは俺がこれから生活する場所に間違いなかった。

 だが、その建物名の前に予想だにしなかった言葉がくっついていたのである。


女子・・寮 レオーネ桜梅』


 男の俺が住むのだから、寮といったら男子寮だと思うに決まってるだろ。

 何かの間違いだと思ったが、あのクソ姉貴の性格上、絶対にわざとだ。

 今ごろ俺が焦っている姿を想像してほくそ笑んでいるに違いない。


「ふざけんなああああああああ!」

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