幕間 その頃の、兄

 両親がいない王城は、なんて平和なのだろう。

 構い倒されることもなく、執務に専念することも、空いた時間に信頼できる侍女や侍従を連れて一人で図書館に行くこともできる。


 こんなにも、呼吸がしやすい日があるなんて!

 両親のことは愛しているし、尊敬だってしている。


 ただ、少しばかり……苦しい。

 僕は唯一の男児だから、大切にされている。

 その事実は理解しているし、大切にされていることに対して文句をつけるのは良くないのだろう。


 妹は、そのせいで辛い思いをしていたのだ。


 僕は一人になる時間がほしかったけど、孤独になることもなくただただ大切にされていた。

 あの子は、束縛されない代わりにずっと独りぼっちだった。


 どちらが良いのかなんて、比べようもない。


(……あの手紙が真実なら)


 先日、隣国の王太子である義兄から手紙が届いた。

 両親がいないこのタイミングで、僕に宛ててのその手紙の内容は……正直、見なかったことにしたい事実で溢れていた。


 僕を大切にするあまり、まるで目を向けられることのなかった妹。

 王家に向ける不満を、日々の小さな不満を、あらゆる悪意が妹に向けられる。


 ただ、王女であるから。

 それも誰も大切にしていない王女だから!


 王家の姫という立場が、あの子を傷つけたのだ。

 もしもあの子が大家族の末っ子でしかなかったら、きっと可愛がられたに違いない。


 パトレイア王家の末姫。

 それだけであの子に全ての鬱屈が行くなんて、誰が想像しただろうか。


 そこに大勢が『誰かもやっていることだから』『自分だけじゃないから』と責任を逃れ、そして『誰かが親切にするだろう』という他力本願で目を逸らし続けたのだ。


 勿論、問題はそれだけじゃない。

 それだって、恐ろしいことではあるけれど。


(……サマンサ姉様は知っていて、それらを知らないことにした。でもそれも理解できる)


 悪意の恐ろしさを知ってしまったら、それがこちらに向くかもしれないという恐怖を感じるのは当然だろう。

 僕だって、いやだ。


 妹のことなのに、あの子の境遇を知るサマンサ姉様の言葉を王太子経由で知った自分が情けないと同時に、恐ろしくてたまらない。

 だが、王太子からの手紙の末尾にあった『知ったからには王子としてせねばならないことがあるだろう』という言葉に僕自身を奮い立たせる。


(妹が嫁いでいなくなったからといって、なかったことにはならない)


 あの子が受けていた虐待も、あの子が受けた屈辱も。

 そしてそれに加担したものも、利用した者もいるはずだ。


(……あの子の部屋は、質素だった。だが王女の生活費はどうなっていた? 母上の侍女と、父上の執事がついていたなら報告だってあったはずだ。なのに何故、誰も気づかなかった? それとも全員が気づいていて・・・・・・・・・、なかったことにしたのか?)


 さすがにそんなことはないと信じたい。

 どこかで、ほんの一部によって握りつぶされたのだと思いたい。


 だがまさか、父もそれを黙認していたとしたら?


 その考えに至って、僕はぶるりと体を震わせた。

 母はおそらく何も知らない。

 というか、気にしていないに違いない。

 あの人の関心は、僕だ。

 正確には『パトレイア王国唯一の王子』で『王太子の僕』だ。


 王太子の母であり、王妃である自分。

 昔はどうだったか知らないが、少なくとも今の母はそうだ。

 だからただ単純に、妹に興味が無かったのだ。きっと、今も。


 でも父はどうだろうか?

 時折会いに来てくれる父は、優しくて尊敬できる大人だと思っていた。


 だけど、妹にとっては?


 わからない。

 わからないことが多すぎて、自分は何も見ないようにしていたことを突きつけられる。


(ああ、もう見ない振りはおしまいにしなければ)


 王子として、息子として、そして一人の兄として。

 僕は償わなければならないのだと、覚悟を決めるしかなかった。

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