第33話

 その夜、私はため息が止められずにいた。

 これまでは目を瞑って何も考えないようにしていたことに改めて直面して、己の浅はかさを感じずにはいられない。


「……ヘレナ。大丈夫か?」


「アレン様……いえ、私は何もわかっていないのだと、改めて思ってしまって……」


「そんなことはない。ヘレナは自分にできる範囲のことで、身を守っていたんだ。……パトレイア王国での件は確かに気になるし、イザヤに追加で調べさせてもいる。モゴネル殿の居場所もきっとわかるだろう」


「はい」


 先生にお会いできたら、何かわかるのだろうか。

 もしも私に関わったことで、先生に不利益が……ああ、悪いことを考えてしまう。


 教師、過去、私は一体何を知っていて何を理解していなくて、そして知らないのか。

 全てを知る必要は無いのだろうけれど、アレンデール様と生きていく上で知らないまま・・なのはいけないことだ。


 だけれど、思い出そうとすればするほど、私を嘲る声が聞こえてくる。


『あなたはオマケで要らなかったのに』


『殿下だけで十分だったのに、どうして双子なんて……』


 私の世話をするという名目で、髪を引っ張りながらそんなことを言う侍女オトナが怖かった。

 アンナが私の傍に来るまで、似合わない真っ赤なドレスを着せられてはクスクスと笑われて、私は耳を塞ぐことで心の平穏を保った。


 教師たちも、同じだった。

 

『王子殿下は優秀なのに……他の姉姫方もだ。本当にこの王女は国にとって必要なのか?』

 

『オドオドしてばかりのこの子供に何ができるのか。美しさも姉姫に及ばない』


 蔑む眼差しの中で縋ったのは……優しくしてくれた『ユルヨ』という教師だった。

 当時、異国からやってきたという美しい男性だった。

 ダンスを中心に音楽を教えてくださる先生だったけれど、私はこの人が今でも恐ろしい。


『貴女が声を上げても、誰も興味など示しますまい。ボクと貴女では、信頼の度合いが違う』


 思い出してゾッとする。

 あの人のことなんて、思い出したくもないのに。


「……ッ!」


 思わず自分をギュッと抱きしめた。

 そんな私の様子に、アレン様が慌てたように私を見る。


「ヘレナ?」


 ああ、でも。

 そうか。

 思い出したかもしれない。


 思い出したくなかったことに、鍵があるのだろうか?


「アレン様」


「どうした……?」


「話を、聞いてくださいますか」


 だけれどそれが正しいか私にはわからない。

 だからこそ、アレン様に聞いていただきたかった。


 口にするのは恐ろしい。

 でも、きっとアレン様なら受け止めてくださる。


 私を『悪辣姫』と知りながら、きちんと私自身を見定めようとしてくれたこの方なら。

 もしもそれで疎まれたならばこれまで何もしなかったことこそを罪として、私は罰として真摯に受け止めよう。


「ユルヨという、男性教師がいたのです」


「ユルヨ? 珍しい名だな」


「異国から流れてきたという学士で、音楽と舞踊に造詣が深い方でした。宮廷楽士にと願う声も多い方で、私たち王族の教育係を務めたのですが……」


 といっても、サマンサお姉様と兄、私だけだ。

 上二人の姉はもうすでに淑女教育を終えていたから。


「表向きは柔和で、とても優しげな風貌の方ですが……あの方は、恐ろしかった」


「ヘレナ!」


 ぶるりと体が、知らず知らずに震える。

 そんな私を、アレンデール様はギュッと抱きしめてくれたのだった。

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