第19話

 旦那様と想い合う仲になって、私は本来の、本邸にある妻の部屋へと移動した。

 もともと離れは旦那様が一人になりたい時に使っていたものらしかった。

 だから綺麗にされていたし、過ごしやすかったに違いない。


「それは……申し訳ありませんでした」


「いいや、俺たちも噂の『悪辣姫』がどんな人となりかわからなかったから、元より離れに住まわせて様子を見るつもりだった。ある程度は女性向けに内装も整えさせたが、不十分だったろう?」


「え?」


「え?」


 私としては十二分に足りていたと思うのだけれど。

 少し困ってアンナを見れば、彼女はなんとも言えない表情を浮かべていた。


「……貴族家の奥方をお迎えするには、諸々足りていなかったと思います。ドレッサーですとか、アクセサリーやドレスなどが」


「でも、夜会を開くわけでもないし私は人質だったのだから……日差しも気持ちよかったし、私には十分だったわ」


「そうだろう? 俺も時折〝辺境伯〟なんて堅苦しい肩書きが嫌で逃げたくなることがある。そんな時にあの離れで一人の時間を作っていたんだ」


「そうだったのですね」


「これからはヘレナも使えばいい。俺たちだけの離れだ」


 旦那様はさらりと言ってのけるけれど、私はまだ慣れない。

 私個人が持っていいもの、使って良いもの、それがここにはたくさんあると言われてもはいそうですかといきなりは受け入れられない。


 私の狭量さのせいだから申し訳ないけれど……こればかりは時間が必要なのだろう。


「奥様、こちらが奥様のお部屋になります」


「ありがとう」


 立派な部屋は、確かに辺境伯の妻が過ごすべき部屋なのだと実感する。

 王城内でも当然のことだけれど立派な部屋をもらっていたから、身分に相応の部屋を与えられるということは私も理解はできているのだ。


 内心の劣等感や、自分の無価値さについて言われ続けた私にとって王城の部屋は、豪華な牢獄のようだった。


(でも、これからはそうならないようにしないと)


 ギュッと、胸元で手を握る。

 震えを悟られないように。


(旦那様は、私なんかを求めてくださった。それに応えなくちゃ……)


 本当は、私なんか・・・って卑下した考え方をしてはいけないことくらいわかっている。

 だけどいきなり考え方は変えられそうにない。


「続きまでご夫婦の寝所となり、寝所を挟んで反対側が旦那様のお部屋になります」


 アンナの言葉に私は頷いた。

 砦も兼ねているという辺境伯邸では夫婦が別室で当然だろう。

 それぞれに大事なものを隠したり、時には密談などもあるだろうし。


「もういいだろうアンナ、ヘレナだって部屋を移動したばっかりなんだから説明よりも夫婦だけにしてくれよ!」


「かしこまりました。奥様、どうか旦那様のことをよろしくお願いいたします。差し出がましいですが、旦那様はこの通り実は女性と縁があまりなく経験のなさから奥様に苦労を初っぱなからかけてしまうという失態を犯す男性です。ですが悪い人ではないので、どうかお見捨てなきよう……」


「アンナぁぁぁ!!」

 

「それでは失礼いたします。そちらの呼び鈴を鳴らしていただければいつでもわたしが参りますので」


「え、ええ」


 アンナは離れで私の世話をしてくれていたけれど、このまま私の侍女としてついてくれるらしい。

 旦那様から聞いた話では武術の心得もあるので護衛を兼ねているんだとか……あと、幼馴染だから気安く話してくれるよう言ってあるんだそう。


「ヘレナと俺がちゃんとした夫婦になれたって言ったから、あいつも浮かれてるんだよなあ」


「え、そうなのですか」


「アンナはあの仏頂面で表情がわかりづらいんだよな。アイツがあれだけ饒舌なのって、大体機嫌がいいときなんだ」


「そうなんですね」


 つまり彼女は旦那様と私を、祝福してくれているってこと?


 ああ、私が自分を卑下してはいけない理由がまた一つ増えてしまった。

 より一層震えてしまいそうな手を、ギュッと握りしめる。


 そんな私を旦那様はジッと見ていて、思わず息を呑んだ。

 気づかれてしまっただろうか。

 情けないと思われただろうか。


 慌てて何か言い訳をしようとする私に、旦那様が笑った。


「部屋にあるものは何でも好きに使ってくれ。足らないものがあったら、まあ……予算もあるけど大体は揃えられるはずだ」


「わかりました。……辺境伯の妻として、私にできることは何でも仰ってくださいね」


「頼りにしてる。とりあえずは、俺を甘やかしてくれないか」


「え?」


 旦那様が私の手を引いて、隣の部屋、つまり私たちの寝所へと向かった。

 目を丸くする私をよそに、旦那様は寝所にあるソファに座ると私を膝の上に乗せて、ぎゅうっと抱きしめる。


「館の連中はみんなお前の味方で、頑張って口説いた俺を誰も褒めてくれないんだよな」


「……」


「だから、ヘレナが俺を褒めて、甘やかして?」


 優しい笑みを浮かべた旦那様が、私の手に頬ずりしてくる。

 まるでその様子は、大きな猫のよう。


(ああ、旦那様はやっぱり優しい人だ)

 

 私にこうして、旦那様に触れるきっかけをくださるのだから。

 怖くてまだ自分からは動けない、そんな臆病な私の手を引いてくださるのだから。

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