第18話

「わた、しは」


「ヘレナは、俺よりも賢い。そして俺よりも優しい」


「そんなこと」


「ヘレナ・パトレイア王女」


 私なんて。

 どうして、私なんて大した王女じゃないのに。


 そうやって否定も、望みも呑み込んで……当たり前のことにしてきたのに。

 私が何も言わなければ、誰も困らない。

 私を嫌う人がいても、そうやっていれば表面だけ見て踏み込んでこないから。


 諦めてしまった方が、早いから。


「このアレンデール・モレルの妻になっていただきたい。愛と信頼を、貴女と築く相手として俺を選んで欲しい」


「どうして……」


「今日に至るまで、俺は君と過ごしてきた。その中で、君の所作が綺麗で、物知りだと言うことを知った。それは努力をしなければいけないことだ」


「……」


「明け方に鳴く鳥の声に聞き入る横顔を見た。優しい目で見ていたことを知っている」


「……」


「領民の手を取ってくれた。泥に塗れた汚い手だといとわず、働き者の手だと褒める君の声はどこまでも真摯だった」


「旦那様……」


「たとえそれが自分を守るための嘘だったとしても。俺が知る、どこの貴族令嬢よりも君の志は尊く、そして優しく温かい」


 私が知らないうちに、旦那様は私を見てくださっていたのだ。

 私の、小さな一つ一つを。


 それを目の当たりにして、私は息をするのも忘れてしまったかのような苦しさと……そして『どうして』という行き場のない憤りを覚えた。


 家族が見てくれなかった『私』のことを、どうして他人のあなたが見ているの。

 かつて『私』が見て欲しかったのは、家族なのに。家族じゃない人がどうして。


(ああ、私は醜い)


 こんな感情は八つ当たりだ。

 諦めてしまったのは私で、周りにも家族にも訴えることを無駄だと止めてしまったのは、他でもない私自身だ。


 それでも『どうしていまさら』と思わずには、いられなかった。

 そしてどうしてこの人の言葉に、ここまで心を揺さぶられるのか理解できなかった。

 いいや、理解はしている。

 だけれど感情が追いつかない。


 自分の中にこんなにも感情がしまい込まれていたのだと、驚くほどに。


「ヘレナ」


 旦那様が私の名前を呼んだ。

 王女としてではない、ただの私の名前を。


 それまで『ヘレナ・パトレイア王女』と呼んでいた彼のその言葉に、私の目から涙が零れた。

 その場から一歩も動けないまま涙を零す私を見て、旦那様は何を思うのだろうか。

 醜いと思う? 哀れだと思う?

 ああ、もう、どうでも良かった。


 自分でもなんと単純なことかと呆れるくらい、私は愛情に飢えていたのだ。

 私を、私個人を見てくれて、ささやかな努力でも認めてくれたこの人の言葉に、こんなにも心が躍らされ、そして怯えている。


 私は、この人に期待してしまっている。

 恋をしただけでは飽き足らず、この人に認められて、妻として大切にされたいと・・・・・・・・・・・・――


「ヘレナ」


 もう一度旦那様は私の名前を呼んた。

 その顔は呆れるようなものでも、哀れむものでも、見下げるものでもなかった。


 ただ旦那様は微笑んでいた。


「俺にヘレナを愛する権利をくれないか。そして俺を愛してくれないか」


「……」


 息が詰まる。声が出ない。

 涙は、ボロボロと落ちていくのに。


「俺に枯れないスミレの花を贈らせてくれないか」


 旦那様が差し出したのは、スミレの花を象った首飾り。

 私の目の色のようだと言ってくれた、愛らしい花。


「スミレの花言葉は、小さな幸せなんだそうだ。俺はお前と、そういう小さな幸せを積み重ねる関係になりたい。……ダメか?」


 旦那様の顔を見る。

 相手の目を真っ直ぐに見たのなんて、いつぶりだろう。


 涙のせいでぼやけるけれど、その目は私を真っ直ぐに見ていた。


「私は、幸せを望んでも、いいのでしょうか」


「いいさ。パトレイア王国は切り離せないだろうけど、それでも俺は妻を幸せにするために努力できる」


「……私も、誰かを幸せにできるのでしょうか」


「ヘレナはいつも俺を幸せにしてくれているよ」


 恐る恐る、手を伸ばす。

 この首飾りを受け取ってしまってもいいのだろうか。

 私はいつか捨てられてしまうかもしれないのに。


 だけど、この手を取りたい。

 そう思った。


「旦那様、その首飾りを私に……つけて、くださいますか」


「……! ああ、もちろんだ!!」


 パッと笑ってくださったその笑顔は、まるで太陽のようだと思った。

 私という花を咲かせる太陽がこの方ならば、信じてみたい。


(たとえそれが、泡沫の夢であっても楽しい夢ならば)


 信じ切れない自分が、あまりにも情けないけれど。

 それでも旦那様の手を取ったことだけは、後悔しないように。


 首元に触れる旦那様の熱を忘れないように、私はそっと目を閉じたのだった。

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