第13話

 旦那様への気持ちを自覚してしまうと、今度は旦那様と触れあうことが恐ろしくなった。

 閨を共にしてほしいとお願いしたのは私からだったのに、今では旦那様がその言葉を口にするのが少しだけ、怖い。


(離れがたいと、思ってしまうなんて)


 旦那様が私に向き合ってくれているのだから、私も彼の良き妻となれるよう努力すればいい。

 それは頭ではわかっているのだ。


 でも気がつけば我が儘と言われ、悪辣と呼ばれた自分の過去を思うと踏み出すのが怖くなる。

 何かをしても、何もしなくても、私はそうやって嫌われて、最後はいない者扱いされたのだ。


 ここでもそうだったら。

 もしも旦那様の優しさが、表向きのもので……いいえ、間違いなくそうなのだろうけれど……本当に想い合える方に出会ってしまったら。


(私は、笑って送り出せるのかしら)


 この気持ちを自覚するまでは、喜んでそうするつもりだったのに。


 受け入れてしまって、旦那様のことを素直に慕ってしまったら……この温かさを、当たり前のものにしてしまったら、もう二度と立ち直れない気がする。


 家族に期待してはいけない、そう決めたあの時と同じように。

 あの時は、アンナたちがいてくれた。


 でも……ここには、私一人だから。


「ヘレナ」


「……旦那様、どうかなさいましたか」


「いや。少し具合が悪いのかと思って」


「いいえ、なんともございません。お気遣いありがとうございます」


「そうか」


 今日は、本邸の書庫に行く。

 仕事の書類関係の他に、どうしても必要な辞書があったからだ。


 他にもいろいろな蔵書があるから、侍女たちに取ってきてもらうよりも一度自分の目で確認しておいてほしいと言われてしまえば断ることはできなかった。


(そもそも私は旦那様の妻なのだし、夫には基本的に従えとあったし……おかしな話じゃ、ないのよね?)


 そんな呆れた教本の内容を言い訳にしなければならない自分の弱さに、呆れるばかり。 

 正直、本邸に足を踏み入れるのも怖いくらいだ。

 パトレイア王国から嫁いで来たというだけでも反感が少なからずあるということは理解しているし、実際何度目かの視察で怒りをぶつけられたこともある。

 その際は旦那様が守ってくださったけれど……それでも、それこそが本来の反応なんだと思う。

 

 アンナだって、本を貸してくれたり私を気遣うこともあるけれど……本心はどうだかわからない。

 旦那様は憎しみや悲しみには時間が必要だから、私に怒りをぶつけた相手のことを許してやってほしいと言っていた。


(でも、きっとその『怒りの矛先』になるために私は嫁がされたはずなのよね……)


 表向きは友好関係を築くためだけれど、人質として差し出された王女の役目なんて鬱憤を向ける標的にするためとしか思えない。


 だから、本邸で働く人たちだってそういう感情を持っているかもしれない……それを思うと、正直なところ足が竦む思いだ。

 怒りを向けられても、パトレイア王家の人間として受け止めなければならない。

 そう理性では理解しているけれど、怖いなと思ってしまう。


 本邸は、当たり前だけれどずっと離れよりも広くて、重厚感が漂う造りだった。

 いざという時に砦になるよう作られているということもあって、隠しきれない無骨さがそこかしこに見られる。

 天井は高い。

 これも槍を持った兵を配置することを想定しているものらしい。


 旦那様が、教えてくれた。


「ヘレナも妻として心づもりだけしておいてくれると嬉しい。もちろん、そんな状況にならないのが一番だけれどね」


「……はい」


 妻として。

 そう言われると、少しだけ返事をする声が震えた気がした。

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