第12話

 旦那様は、酷い人だ。

 旦那様は、素敵な人だ。


 旦那様は、優しい人だ。


(ああ、そうだ……認めよう)


 私の隣にいて、微笑んでくれて。

 他愛ない日々の話をしてくれて、抱きしめてくれる。


 この空っぽな私を、包んでくれるこの人が――私は、好きだ。


 本当は、ずっと気づいていたの。

 旦那様は私に対して、妻に迎えた私としっかり向き合って、関係を築こうとしてくれているってことに。


 でも私は弱い人間だ。


 王家の姫としても大切にされていないような人間だったから。

 生まれてしまったから『仕方ない』と育てられたような、そんなもの・・だったから。


 大切なものができたら、それを失うことが怖くなるでしょう?

 

 だから、私には……いつ飽きられてもいいように、気づかないふり・・をし続けることしかできなかった。

 気づかないふりをして、何事もないように肌を重ねて、いつかの別れに備えるつもりだったのに。


「ヘレナ。庭を散歩しよう」


「……はい、旦那様」


 日課のようになった、離れ周辺に植えられた花を見ながら二人での散歩。

 

 旦那様は私よりもずっと、物知りだ。

 私は本にあるものを知っている。王城にある本を、何でも読んだから。

 でもそれは探究心とかではなくて、ただ時間を……たった一人で過ごすことを、無為に過ごす時間を、埋めたかったからだ。


 それも、当てつけがましいと言われてやめてしまったのはいくつの頃だっただろうか。


「どうした?」


「いえ……小さな花」


「どれ?」


「ここに。……いつも庭を見ておりましたのに、気づきませんでした」


 それは青い色の、小さな花。

 図鑑で見たことがあるような気もするけれど、名前は知らない。


 ただ小さくて、可愛らしくて……何故か目が奪われた。


「スミレか。綺麗に咲いたものだ」


 スミレという花らしい。

 旦那様によると、小さく、健気に咲いているけれど割とどんな土地でも生える、強い花なんだとか。


「ヘレナの色だな」


「……私の?」


「ああ、お前の目の色は光に当たると紫がかった青なんだとわかる。綺麗な色だよな」


「そう、でしょうか」


 そんなことを言われたことなんてなかった。

 そういえば、家族と繋がりがあるのだとすれば私のこの目の色なのだろうか。


 ふと、そんなことを思った。


「それにこんな辺境地にも咲いてくれる花だ。お前も、こいつも」


 旦那様は、優しい人だ。

 旦那様は、素敵な人だ。


 旦那様は……酷い人だ。


「今度スミレの髪飾りでも探すとしよう。きっとヘレナに似合うから」


「……ありがとうございます」


「礼なんて要らない。妻に喜んでもらえるなら、俺も嬉しいからな」


 期待なんてさせないで。

 私に失う恐怖を思い出させないで。


 何も気づかないでいられたら、何も求めないで要られたら――傷つかないで済むのだから。


「ヘレナ」


「……はい」


「俺は、お前を妻にできて嬉しいよ」


 旦那様が、笑う。その顔が眩しくて、見れなくて俯いた。

 ああ、胸が苦しい。


 この気持ちに、蓋をしなきゃいけないとわかっている。

 自分自身のためにもそうするべきだ。


 臆病な自分が、そう告げるのをわかっているのに――私は縋る思いで旦那様の言葉に、小さく応える。


「……私も、旦那様に嫁げて幸せでございます」

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