第10話

「……仕事……?」


 ギョッとした様子のご主人様は、それでも私のことを即座に否定するのではなく少し考える素振りをしていた。

 まあ突然の申し出だものね、最初から否定されることも想定のうちだわ。


 でもこのままここで何もさせないというのも、きっと旦那様にとっても良くない話。

 だからこれはどちらにとっても利のある話だと、冷静に考えてくださったらわかるはず。


 旦那様はナマケモノの妻を飼っている・・・・・なんて周囲に言われなくて済むし、私は寄付用のお金を貯めることができる。


「なるほど。わかった」


「……どのようなお仕事を?」


「本邸には来たくないんだよな?」


「え?」


 なんだろう、噛み合っていない気がする。

 だけど私は本邸に行くべきではないと思うので、少し考えてから頷いた。


 すると旦那様はにこりと微笑んで、アンナのほうを見た。


「アンナ、俺の執務室にある書類をここに持ってこさせろ。全部だ」


「かしこまりました」


「資料その他もだぞ」


「承知しております」


「……え?」


 困惑する私をよそに、旦那様は一人満足そうだ。

 旦那様の執務室にある仕事、それは辺境伯としてのお仕事……領内の運営に関する書類を中心に、陳情書だったり被害状況の把握のものなのだろう、とは思う。

 そのくらいの想像はできるつもりだ。


(でも、どうしてそれをここに? 私に仕事を与えるって……)


 少し考えて、なるほど、と納得する。

 私が辺境伯の仕事を代理でこなせば、彼は自由時間ができて新しい恋人、あるいは別れてしまった恋人との時間を捻出できるということね!


 ならば私ができる範囲を可能な限り、きちんとこなさなくては……!!

 これは責任重大だわ。


「ここで一緒に仕事をすればいい。本邸に君が来てくれないなら、俺が通えばいいだけの話だったんだ」


「え?」


「……何度も言っているが、俺には恋人なんていない。妻はヘレナ、君だけだ」


「そ、それは存じて、おりますが」


 真っ直ぐに見られると、どうしていいのかわからない。

 まるで、旦那様の仰りようだと私だけを妻として、大切にすると言っているみたいで……そんなはずはないのに。


 だって私は、嫌われ者の、オマケの、王家の人間という立場でしか価値のない『悪辣姫』なのに。


(……愛されてみたい、だなんて)


 決して私は、不幸ではなかったと思うのだ。


 両親も、姉たちも、兄もいて、彼らの関心が薄かっただけで……衣食住は、足りていた。

 飢えることもなければ、病になれば医者が来てくれた。


 着るものの好みが合わない、食事の量を変えたい、そんな私の我が儘が王女として相応しくない振る舞いだと叱られただけ。


 学ぶことも許されたし、あくせく働くことを余儀無くされる……なんてこともなかった。

 ぼんやり庭を見ていることを、許された……怠惰な姫、だったのだから。


「俺のところに来る手紙は異国のものも含まれる。確かヘレナはよその国の言語も読み書きができたな?」


「は、はい」


「頼りにしている」


「……は、い……」


 どうして。どうしてそんなことを言うのだろう。

 旦那様は、私をどうしたいのだろう。


 初めて会った時には嫌っていた様子だったのに。

 恋人がいて、お役目を守って、私との距離は……同居人の、それだったはずなのに。


「もちろん、給金は出すぞ。妻だからと言ってただ働きをさせるのは趣味じゃないんだ」


「……でしたらば、こちらに必要な仕事を指定していただければ……その、旦那様にご足労をかけることもないと思います」


「俺が君と過ごしたい。だめか?」


「……だめ、という、わけでは」


 知らない。

 私はこんな風に言われることがなかったから。


「そうか」


 満足そうに笑みを浮かべる旦那様に、私はどうしていいかただ困り果てるのだった。

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