釣瓶落としの後始末

判家悠久

Episode 1. Complete satisfaction.

 そこでの感覚は、体重は2倍になった重さになる。俺は確かにいるが、手がどうしても届き様が無い。プロのサッカー選手なら、手がいるかになるが、目が覚めると、いつもそれは切実になる。


 俺と歳差11歳。そのファニーフェイスの松永美夏さんは、完全に大人の女性だ。その豪放磊落も、長い艶やかな髪も、石巻の魚市場ではフォークリフトを自由自在に操る居なくてならない存在で、細かな衝突がつい起きては、まあ美夏さんがそう言うならで、円満に動いていた。

 俺は。当時高校生で名札だけの辛うじての存在感にも関わらず、俺がサッカー部と知ると。


「応援、行くに決まってるでしょう。日曜日は魚市場休みだし、私サッカー好きだもの。日韓ワールドカップは予選にトーナメント、しっかりスタジアムで見届けた強者なのよ」


 今もサッカー選手してますは、辛うじて顎が動くが二の句が継げない。


「ほら、たっちゃん。早く台車持ってきて。豊勝水産のみん坊のトラック、あいつはね、積載のロスを、走行で相殺にするから、そう言うの止めさせないと」


 みん坊は、石巻へのリターン組の一人だ。これと言って普通のサラリーマンだった為に鉄火場に慣れていない。ただその性格として、親の面倒見たいと、皆に可愛がられている。交通事故は無いに越した事は無い


「だから、たみおさん。熱い競りは良いけど、駆け引きで時間押すの止めてよ。皆慈善事業で働いてる訳じゃ無いから、時給ちゃんと与えないと。たっちゃん、そうでしょう、おこずかい欲しいでしょう」


 たみおさんの競りは抜群で、良い商品は適正な価格で、揚がった商品は、結構な料亭に買い取られている。石巻ブランドを支えて尊敬もするが、その交渉好きが、いつも美夏さんに窘められている。まあ、アルバイト代は大いに越した事は無い。携帯電話の通信料がまだ高い時代だから、助かるには助かる。


「もう、しげさん、面白いな。遠洋漁業行きなさいよ。もう体力がって、それって、カラオケバーに行けないだけでしょう。私がいるからって、おじさんに口説かれてもね。タクシー代わりの海岸巡り付き合ってるでしょうは、そこはたっちゃんも込みでしょう。ねえ」


 石巻の海岸巡り。しげさんと美夏さんに連れられての、満腹食堂巡りは食べ盛りには大いに役立ちました。ただ今は。多くの店がどうにも店仕舞いしちゃって、何て、いつも言えそうに無い。


「明日は有給取りなよ、マス、しんじ、これちゃん、と四人で名画座行って来なさいよ。でも女子いないしって、そんなの繁華街で調達しなさいよ、男子持ち、その為に皆アルバイトしてるんでしょう。ねえ、たっちゃん」


 まあ、男4人で映画鑑賞で感動しに行くわけでなく、美夏さんに見透かされている。「少林サッカー」で押していたが、「アメリ」じゃ無いかで、近場の女子高生と映画デートは出来た。ただ、どこがツボかなのだろうで、ああそうと、合わせるサッカーのボランチの特性は存分に生かしたのは、ただ淡い経験だ。


「ああ、そうでしょうね。年上女房も何も、私、子供が身篭れない体質だから、何となく別れて、地元に帰ってきて、私は私らしく生きたいかなって。ああ、別にたっちゃんを振ったとか、そうとかじゃなくて、そういう平行線でしか生きられない、人間関係もあるのよ。大人の事はよく分からない。そういう事言って無いでしょう、たっちゃんは本当に、もう」


 俺の初アタックは、美夏さんでけんもほろろ。とは言え、魚市場では普通に接してくれて、そう言えば振られたかなの感触しか無い。今の俺だったら5回はトライしていただろうが、若さって、そんな当たり障りの無い所に落ち着きたがる。青春って、今でも分からない。


「ああ、たっちゃんは、しげさんの漁船に乗れないから。でも、マス、しんじ、これちゃん、たみおさん、みん坊、そしてしげさん、私美夏さん乗ってる筈でしょうって。ごめんね、たっちゃん。行く先分からないから、付き合わせる訳には行かないの」


 ここはいつもだ。俺がしげさんの漁船に飛び込もうとしたら、抜群のタイミングで出航し、俺は湾内の海中に真っ逆さま。ただ溺れてる感覚はまるで無い。そうでは無い、何処、何処へと。


「美夏さん!!」


 雄叫びと共に、俺の感覚は地球の重力に戻される。悪夢って、一瞬の筈だろう。疲れてると、どこか眠りが浅いよなと、毎度の事に深く浸る。そして、寄宿先のホテルからの夜の風景をぼんやり見てると、ドアがノックされる。一人しか思いつかない、琢磨さんだろう。


「どうした森山、叫んじゃって。そりゃあ連戦続きで、身体がそれなりに仕上がってるから、興奮するよな。でも、美夏さんって、そんな女子選手いたか」

「ああ、それはいつか話したアレの、色々挟んで、そう行っての、初めて撃沈したお相手です」不意に涙が伝った。

「アレな、きついよな、俺さ、気を使い過ぎたな。連戦続きで、森山は俺と同部屋より個室がいいだろうって。いいよ、一緒にいるよ」

「ああ、」


 副監督兼トッププレイヤー琢磨さんの押しは、俺より強い。琢磨さんはソファーに滑り込んでは。45秒で野放図に就寝した。海外選手経験長いと、やたら寝付き良いものだなと、毛布だけは掛けておいた。



 琢磨さんがいたお陰か、練習の無い日の目覚ましで熟睡出来た。俺は琢磨さんを起こし、ビッフェに行っては、昨日迄の世界初の男女混合サッカーAマッチ、キリンスーパーラバーズチャレンジカップクリスマスの話題に、適度に頷いた。美夏さんの丸顔の面影が、あれからだいぶ経っても鮮明なのが、片隅にずっと残っている。


 それから、解散式の前に、朝の囲み取材を各人が受けた。それもそうか、3試合の視聴率平均58.3%。何より海外同時中継でSNSが沸騰している。

 さぞや得点したプレイヤーに殺到するだろと思ったら、思いの外、守りのボランチにデフェンダーに記者が着いた。

 今や同輩のボランチ片野華が、今日は外国人優先と発すると、同じくボランチ陣が丁寧に仕分けして行く。こういう察しは、仮にもA代表かで楽チンな思いをする。序でに言えば、英語が堪能すぎる、片野華にインタビュー全て任せて、そうですよねと聞いてくると、健気にナイスファイトとグッドサインを上げる。

 それが外国人記者に受けたか、ボランチ勢、俺森山拓史・片野華、瀬山清康・忍川昌信の4人は、グッドサインのポーズで集合写真を撮る。



 解散式も無事終了し、皆、イタリアとアルゼンチン相手に勝利した上機嫌の浮つきよりは、男女混合サッカーのほぼぶっつけ本番で得られた、チームの一体感に今も包まれている。サッカーの可能性って果てしないかだ。

 そんな思いのまま、東京駅迄の送迎バス前方指定席座っていると、不動の最終ラインの統率者清白麗が隣の駅に滑り込む。こいつは何から何まで表情を読み、おもてなしを欠かさない。確かにな今回の招集でスウィッチ多かったし、良い加減な俺に、ここで鉄槌が下るかと、ファイティングゾーンに入り込んだ今身を固くする。必死になろうか。

 いや思いの外、麗は、サッカー良いですよねの話で繋いで、地元今治の話でほんのりさせる。それは定番でも有り、同じ話が巡っても、自然と心象風景が映えてくる。結局、とても良い雰囲気で終わった。


 そして東京駅前丸の内側到着。地方に帰る皆全てと、最後の労いに入り、どう構成を考えたか、麗が最後の挨拶者になる。


「今治、いつか行きたいよな。でもJ3との試合って、天皇杯でもあるかどうかだからな」

「そういう事でなくて、森山さんの佇まい、笑顔でも、口元が下がってますよ。悲しみを隠す必要、私達に有りますか」

「そこは、時間掛けないと、分かっていかない事も大きくあるさ」

「森山さんの地元、石巻、そして東日本大震災ですか」

「そういう感じかな。何かを失う事って、長く生きて、そういう思いを少しでも背負って、やっと話せるかなって」

「森山さん、そうやって大人のフリしてると、疲れて、早死にしますよ」

「そういう不謹慎な事言うなよ。心が痛むよ」

 麗の左手拳が、元気ですかの挨拶を求める。と言うべきか左手人差し指の関節に黒子なんて、初めて見るなとつい見つめる。

「もう、森山さん、あまり黒子見ないで下さい。そこ、私の強いる性格がよく出ている相だから、兎に角照れ臭いです」

「まあ、そう言うな、それを含めての麗なんだから」

「そうですけどね、たっちゃん、ふふ」


 たっちゃんの人懐っこい響きが、今ここでか。誰に俺の話を聞いたか、琢磨さんしかいないだろうけど、仕方ないよなで、俺達は左拳同士を重ねる。

 この距離感はまるで嫌いでは無い。言葉に言わずとも、拳と拳で、互いの身体を循環して行くから、サッカー選手って因果なものだよなと。俺の口元は、やっといつもの位置に戻る。

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