第24話 ハッピーエンドへの共犯
放課後になり、帰る支度をしていたら万願寺が話しかけてきた。
「あのさ、今日晩ごはん作りに行っていい?」
顔色を窺うように訊かれ、俺は首を傾げてしまった。
「ああ。というか、随分日が空いたな?」
「あー……、なんか最円くん忙しそうだったし」
確かに、千代田のことでここ最近忙しくはあった。ただ、晩ごはんは俺のためじゃなく桜のためなのだから、気にせず作りに来てほしかったとは思ってしまう。
「買い出しは必要か?」
「まだ何作るか決めてないけど、買い物行くなら付き合うよ?」
「そうか。なら、好きに買ってきてくれ」
そう言って、俺は鞄の中から財布を取り出すと万願寺へと差し出した。
「へ? なにこれ」
「何って、買い出しの金だが……」
「最円くんは?」
「俺はちょっと用事がある」
「用事……?」
万願寺はしばらく、訝しげに俺を睨んでいたものの、何も答えず財布だけを差し出し続けていたら、渋々受け取ってくれた。
「用事が済んだら真っ直ぐ帰る。一応、先にマンションに着いた時のため、桜へは連絡しておく」
「わかった」
「じゃあ、また後でな」
そう言って席を立つ。
「最円くん」
そうして屋上へ向かおうとしたら、万願寺から呼び止められてしまった。
「どうした?」
「……ううん、やっぱり何でもない」
教室に取り残された彼女は、夕焼けの陽の中でそう言って笑う。
……なんとなくその光景が気になった俺は、再び彼女の元へ歩み寄った。
「……なに?」
「そういえば、連絡先を交換してなかったよな」
「あー……、うん」
ポケットからスマホを取り出すと、万願寺も慌てたようにスマホを出した。
「用事が終わったら連絡するから」
それだけ言うと、彼女は呆けたように俺を見つめ、やがてコクリと小さく頷く。
「じゃあな」
「うん……また後で」
連絡先を交換したあとで、改めて別れを告げる。その後、教室を出た俺は、その足で手紙にあったように普通教室棟の屋上へと向かった。
◆
屋上の扉が開いているということは、先に百江が来ているということでもある。
埃っぽい踊り場を抜けて扉を開けると、グランドで部活をしている部活動生たちの声がハッキリと聞こえてきた。
そして、そんな者たちを見下ろすように、百江は前回と同じ位置で俺を待っていた。
「待たせたな」
「わたしから呼び出したんだし、別に気にしなくていいけど」
「なにか用か?」
そう聞いたら、百江はジッと俺を睨んできた。その視線にはなぜか、敵意が含まれてる気がする。
「あんた……優を助けてくれたんだね」
「そのことか」
ようやく彼女が口にした言葉に安堵した。しかし、鋭い視線は相変わらずで、万願寺の友達としてお礼を言われるような和やかな雰囲気じゃない。
「それと……晩ごはん作って欲しいだなんて図々しいお願いしたんだってね?」
なるほど。どうやら用件はそのことらしい。これで敵意の理由に合点がいく。それに「ああ」と首肯すると、百江はため息を吐いた。
「助けてもらった相手にそんなことお願いされて、優が断れるとでも?」
「イヤなら断るだろ」
「……分かってないわね。優はそんなことができるような子じゃないの」
忌々しげにこちらを見ながらそう言った百江。それに、今度は俺がため息を吐く番だった。
「お前なあ、あいつに対してすこし過保護過ぎじゃないか?」
万願寺のためにクラスリーダーをやっていると聞いた時にも思ったことだが、百江は万願寺のことを思い込みで語りすぎている気がする。
万願寺は、そこまで弱い女の子じゃない。
「今回クラスが一緒になっただけのあんたに、あの子の何がわかるの?」
「知らねぇよ、そんなもん。俺は今、お前に対して過保護過ぎだって言ったんだ」
そう返したら、百江は眉をひそめた。
「……優をクラスに戻してくれってお願いしにきたから良い人かもと思ってたけど……結局、あの子に近づくための口実だったんだね」
放たれた皮肉に俺は唖然とするしかない。
「どこをどう取ったらそんな考えになるんだ……」
「あんた……優が可愛いからって、自分のものにしようと思ってるんでしょ?」
「は?」
それを聞いた瞬間、唖然を超えて愕然とした。俺が……なんだって? 万願寺を自分のものにする??
「待て。……なにか、誤解してないか?」
「誤解? 誤解もなにも、ご飯を作ってくれだなんて、それ以外の理由あるの?」
そこまで聞いた俺は、なにか、とてつもない勘違いがあることを理解した。
「それ……万願寺から聞いたんだよな?」
「そうだけど?」
「万願寺が、そう言ったのか? 俺が……あいつを自分の物にしようとしてるって?」
その雰囲気を察したのか、百江は眉をひそめながら小首を傾げた。
「いいえ? 言われたのは……ご飯を作ってくれってお願いをされたのに、何も言ってこないのは何でだろうって相談だけど……」
「いや、ただの相談じゃねぇか」
思わず食い気味にツッコんでしまった。というか、万願寺そんなこと思ってたのかよ。
「どういうこと?」
ようやく百江の視線が和らいだ。それに俺は再び息を吐く。
「確かに、俺は万願寺にご飯を作ってほしいと頼んだが、俺のためじゃない。妹のためだ」
「妹……?」
そこで俺は、そうなった
「――そういうことだったのね。てっきりあんたが、優を助けたのを良いことに、あの子を自分のものにしようとしてるのかと思っちゃった」
「なんでそうなるんだよ。つうか、それなら万願寺に忠告しろよ」
「言っても無駄よ。あの子、詰め寄られたら断れないもの」
「だから、詰め寄ったであろう俺に言いに来たのか」
「そう」
悪びれることなく頷いた百江に苦笑いがでてしまう。彼女が万願寺を想う気持ちはご立派だが、それで俺に圧をかけてくるのはもはや度を過ぎている気がした。
それでも――正直、そういう奴は嫌いじゃない。
「なあ、そこまであいつのことが好きなら元のクラスに戻せよ」
その提案に、百江は目を細める。
「優は、そんなこと望んでないわ」
「万願寺が望むかどうかなんて関係ないな。それより、お前がどうしたいかのほうが大事なんじゃないのか?」
「優の意志のほうが大切に決まってるじゃない」
「それは、お前が万願寺に嫌われたくないからだろ?」
「違う! わたしはあの子を尊重しているの! だから、無理やりクラスに戻したりなんてしない!」
百江の声が一際大きくなった。
それに黙っていると、彼女はカッとなったことを自覚したのか、気まずげに視線を逸らしつつも、歯がゆそうに唇を噛みしめる。
「私は……優の親友だから」
付け足すように言った言葉には、まるで力がなかった。
そんな百江の姿が俺には……やはり、怯えているように映る。
そこには万願寺に嫌われたくないという恐れがある気がした。
そして、そんな風に見えてしまうのは、たぶん俺の
だが……それがどうした?
そんなのは、人間なら当たり前のことだ。そして、そんな思い込みだけで勝手に手を差し伸べる行為を、人は「優しさ」と呼んでいるに過ぎない。
「嫌われたって別にいいだろ」
「え?」
俺の言葉に、百江はゆっくりと顔をこちらに向ける。
「嫌われたって、いつか万願寺がお前に感謝する日がくるかもしれない。もしかしたら、そもそも嫌われないかもしれない」
「そんなこと……可能性の話でしかない」
「たしかに可能性の話ではある。だが、お前から見て万願寺はこのままで楽しい学校生活を送れると思うのか?」
「それは……」
百江は言い淀んだ。当然だ。6組にいる奴らが楽しい学校生活を送れるなんて普通は思わない。思わないからこそ、誰もが追放されることを嫌がるのだから。
そんなもの今さら問わなくたって、答えはすでにでている。
「万願寺をクラスに戻してやれ。そのためにクラスリーダーになったんだろ」
「でも……、あの子がそれを望まなきゃ意味なんてない」
「意味なんてのは後からいくらでもつくれるさ」
俺はやはり自信を持ってそう言ってやった。それでも、百江の表情は不安そうなまま。強情だな……。
「一つ、教えておいてやるよ。ハッピーエンドっていうのは、一人では絶対に辿り着けないんだ。自分だけが良ければそれでいいなんて万願寺のような自己完結は、ハッピーエンドとは呼ばない」
「なに、急に……」
「大切なのは万願寺の意志じゃないって話だ。あいつが幸せになるためには、あいつ以外の誰かが強引に関わらなきゃいけない」
「それが、わたしだって言いたいわけ?」
「俺はそう思ってる」
「それが……あの子を裏切ることになっても?」
――裏切ることになっても。
百江はそう表現したが、俺から言わせればそれは裏切りにはならない。裏切りというのは、明確な意志をもって仲間を突き放すことだ。意志なき裏切りを裏切りと呼ぶのなら、この世界に表なんて存在しない。
彼女は、根本的な思い違いをしている。
「さっき、俺には妹がいるって話しただろ?」
「……そうね?」
「俺の妹は完璧なんだ。運動もできて頭も良い。それだけじゃなく、容姿だって俺なんかとは比べ物にならない」
百江は、突然なに? とでも言いたげな表情でこちらを見てくる。まあ、俺もできればこんなこと話したくなかった。
それは、俺にとって恥じるべきことでもあったから。
「昔の俺は……まるであいつが物語の主人公であるかのように感じていた。世界は俺の妹を中心に回っている。だから、俺が何かをしなくたって、妹は自動的にハッピーエンドを迎えるんだろうって、思っていた。だが、結局そんなのはただの幻想だったんだ。現実は残酷で、人は勝手に幸せになんてなれやしない」
百江は訝しげな視線を向けていたものの、黙って聞いてくれた。今の桜が不登校だとか、そういう事を話すつもりはなかったが、もしかしたら……何となく察してくれたのかもしれない。
「俺がもっと自分勝手だったらって思うよ。もっと、あいつに関わっていたら何か違ったかもしれないって」
「だから、わたしにそう言ってくるわけ?」
「まあ、そうだ」
どんなに完璧な容姿を持っていても、どんなに凄い才能を持っていても、人がひとりでできることには限界がある。
それを俺は知っている。
「それに、万願寺をクラスに戻すのは俺も共犯だ。お前一人で企てたことじゃない」
「あんたも……?」
「こうしてわざわざ薦めてるんだから当たり前だろ? お前がそれに罪悪感を抱くのなら、俺もその片棒を担いでやるよ。ひとりじゃハッピーエンドは迎えられないからな」
そう言ったら、彼女はあからさまに呆れたような顔をした。
「あんたって、もしかして詐欺師かなにかなの?」
「詐欺師だと思ってくれてもいいが、裏切ることはないぞ。万願寺をクラスに戻すのなら、あいつがクラスに戻って良かったと思えるよう全力で協力する」
「協力って……6組じゃ何もできないでしょ」
「ああ。だから、俺も1組に戻るつもりだ。それなら、問題ないだろ?」
「戻るあてはあるわけ?」
「今のところない。取りあえず今度のテストで特票は獲得する予定」
そこまで言ったら、百江はおおげさなため息を吐いた。
「そんなので信じろと言われても無理よ」
「信じろなんて言ってないぞ。騙されてくれればいいんだ。俺は詐欺師だからな」
肩をすくめてそう言ってやったら、百江に睨まれてしまった。流石に皮肉過ぎたらしい。
しかし、その睨みは長くは続かなかった。
「……もういいわ。あんたと話していても
「別に俺は強要してるわけじゃなく、提案をしてるだけだ。結局どうするのかはお前次第だよ」
「うわ、でた。そうやって、最終的な判断を相手に委ねて責任逃れするやつ。わたしそれ嫌いなのよね? そういう人に限って、「でも、自分はこうしたほうが良いと思うけど」って最後に念押しするのよ」
「なんだよそれ……。まあ、俺は万願寺をクラスに戻したほうが良いとは提案したが」
「……やめてって言ったでしょ」
さらに鋭く睨まれ、無意識に両手を小さく掲げて降参のポーズ。ちょっとやりすぎたかもしれない。
「でも……優が気に入ったのもなんとなくわかる気がするわ」
「万願寺が気にいる? なにをだ?」
未だ両手を掲げたまま訊いたら、再び睨みが戻ってきた。
「あんたよ」
「……俺?」
それに彼女は頷いた。
「そもそも、優は誰かのことで相談なんて滅多にしてこないから」
「そう、なのか?」
「そうよ。優は誰かに好感を抱いたりしないの」
そんな百江の説明には違和感を覚えてしまう。もしも、万願寺が誰かに好感を抱いたりしないのなら、誰彼構わず助けようとなんてしないんじゃないだろうか?
「……いや、あいつ結構なお人好しだと思うが」
自分が提出する以外の課題を用意してたし、ナンパだと分かっていながらホイホイ付いていってたし。
そう言ったら、百江に腕組をしながら嘲笑われた。
「優は、嫌な気持ちとか態度に出さないだけよ。でも、それは相手に好感を抱いてるんじゃない。笑って済まそうとしてるだけだから」
「じゃあ、内心は嫌ってるってことか」
「あの子、ああ見えて結構な偏食家よ? しかも、わたしなんかよりずっと見切りをつけるのが早い」
「見切りって。それって偏食家というより食わず嫌いじゃないのか?」
まだよく知りもしないのに、簡単に『嫌い』に分類してしまう人はいる。
しかし、百江はそれにも鼻で笑った。
「優はね、嘘を見抜く能力があるのよ」
そして、今度は俺が鼻で笑いそうになった。
「嘘を……見抜く?」
それを抑えて真面目に返したら、やはり百江も真面目に頷く。冗談を言っている感じじゃなかった。
「だから、あの子は見切りをつけるのが早いのよ」
むしろ悲しんでいるようにすら見えた。
嘘を見抜く能力なんて、本気で言っているのだろうか。
「あんたは詐欺師かもしれないけど、優が気に入ってるってことは……それなりに信用できる人間なのかもね」
そう呟くように言ったあと、百江はこちらを向く。沈む夕陽に照らされているせいか、その顔には精悍さが滲んでいる。
「わかった。今度の投票で優を2組に戻すわ」
そして、静かに彼女はそう言ってみせた。
それは結局、俺に騙されてみたわけじゃなく、万願寺を信じたからこその決断らしい。ただ、過程がどうあれ、万願寺をクラスに戻すという結果自体は悪いことだとは思わない。
「ついでに俺も1組に戻せたりしないか?」
「はあ?」
「……なんでもないです」
その流れに乗じて俺のことも頼んでみたのだが、やはり睨まれて終わってしまった。人生そう上手くはいかないらしい。
いや、言ってみただけなんだけどね。
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