第12話 百江由利の憶測
「去年も優とは同じクラスだったんだけどさ、教室で私の財布が盗まれたことがあったんだよ」
百江の口から語られたのは、思い出というよりれっきとした事件だった。
「まぁ、机のうえに置きっぱなしにしてた私も悪いんだけど。警察が学校にきたし、全校集会でも話あったから覚えてるでしょ?」
「そんなことあったか……?」
記憶を辿ってみたものの何一つ思い出せない。それだけでも、これまで自分がいかに学校生活に無頓着であったかを思い知らされる。
とはいえ、警察が学校に来たと言ってもパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけたわけじゃないのだろう。おそらく、通報を受けた警官が話を聞きにきた程度のはず。全校集会で話があったというのも、注意喚起くらいで事態を重くしたりはしなかったに違いない。
しかし、俺の薄い反応に百江は呆れていた。
「あんたね……。まぁ、いいわ。それで、犯人の候補に優の名前が挙がったんだよ。犯行があったのは体育の時で、そのとき優は忘れ物を取りに一旦教室に戻ってたから」
「まさか……万願寺が犯人なのか?」
嫌な予感がして恐る恐る聞いたら、百江に鼻で笑われた。
「優が犯人だと本当に思うわけ?」
そして挑発するように質問された。ふむ、その様子から推察するに犯人ではなかったのだろう。少なくとも、犯人として決めつけられたわけでもなさそうだ。もしそうなら、万願寺の噂は宗教勧誘程度で収まっていない。
「優の私物からは何もでてこなかったわ。ただ、「犯人を目撃したんじゃないの?」って話にはなった。……でも、優は何も見てなかったそうよ」
最後、万願寺の主張を説明したとき百江はなぜか、俺から視線を外した。
「手がかりなしか。ちなみに被害総額を聞いても?」
「一万円ちょっと」
「まあまあな金額じゃねぇか……。学校にそんな金持ってくるなよ」
「仕方ないじゃない。ちょうど部費を持ってきてたのよ」
「じゃあ、机の上に置きっぱにするな」
そう言ったら、百江は俺を睨みつけてから諦めたようにため息を吐いた。
「あんたも先生たちと同じようなこと言うんだね?」
「なんだ。学校側からはそう言われたのか。酷い奴らだな」
「あんたねぇ……。どっちの味方なわけ?」
「俺は人類みな善人だとは思ってない。お前が誰かに働いた悪事が回り回って戻ってきた可能性だってあるだろ?」
そう説明したら彼女は訝しがるように目を細める。
「私が財布を盗まれても仕方ない悪人ってこと?」
「そういう可能性もあるってだけだ。もちろん、財布を盗んだ奴は悪人じゃなくてもはや罪人だから、同情の余地なんてないが」
「そういうこと……意外と冷静なんだ?」
視線には、少しばかりの感嘆が滲んだ。
「そういうわけじゃない。たぶん、興味がないだけだ」
そう答えたら、彼女は不思議そうにしばらく俺を見ていた。
「まあ、いいわ。でね? あるとき机のなかに一万円札が入った封筒があったのよ」
「一万円? 返ってきたのか」
それに百江は首を振った。
「優が入れたんだと思う」
「は?」
「なぜかあの子、その時だけバイトしてたから。たぶん、私が気づいてないと思ってるんだろうけど」
「え? じゃあ、やっぱりあいつが犯人なのか……?」
罪悪感に
「わかんない。でもさ、盗んだお金をわざわざバイトまでして返す?」
それには流石に共感せざるを得ない。
それでも、俺の考えは変わらなかった。
「あるんじゃないか? その時だけお金に困っていて、借りるつもりだったが言い出せなかった……そんなとき、ちょうど机の上に置きっぱなしの財布を見つけてしまう。あとは、さっきの通りだ」
それはあくまでも可能性の話。
「へぇ。まあ、なくはないかもね? でも、優は自分が疑われるような状況で財布を盗むほど馬鹿じゃないよ。やるなら、そもそも疑われないようにやったはず」
そんな百江の推測に、今度は俺が呆れる番。
「それは……信頼って言っていいのか?」
「どうだろう」
そう言った百江は再び金網に寄りかかる。カシャンと、寂しげな音が小さく金網全体を揺らした。
「これは……あくまでも私の憶測よ? だから間違ってるかもしれない」
うつ向いたまま百江はそんな前置きをする。
「もしかしたら――あの子、犯人を見たんじゃないかな」
彼女の弱気な声音には、確証のない半信半疑が見て取れた。
それでも、顔をあげてそう言った瞳の奥には、直感的な確信が確かに見て取れた。
◆
「あいつは……見てないって言ったんだろ?」
「ええ。でも、その犯人が優の友達だったなら、言い出せないでしょ?」
「……なるほど」
「優が、その人を庇うために嘘を吐いたとしたら、お金が返ってきたのも納得できるとは思わない?」
「罪人を隠した罪悪感で、ってやつか?」
そう聞いたら、百江は静かに頷いた。
「本人には聞いてみたか?」
「聞くわけないじゃない。てか、聞けるわけない」
彼女は半笑いでそう言ってみせた。それから、その半笑いはフッと表情から消え失せる。
「ただ、もしもそうなんだとしたら……優は私よりも、その人を友達として選んだってこと」
それは、苦しそうな呟きだった。
やがて、その苦悶をかき消すように、彼女は再び笑う。
「その後くらいだね。優が自分から追放されたいって言い出したのは」
それに、どう反応すればいいのかなんて俺に分かるわけがない。
「……そうだったのか」
「私と優は、それまで相互投票してたんだよ。だから、教室に残れてた。でも、その時に言われたの。もう自分に票は入れなくていい、って」
そして、それにもやはり、俺はなんて反応をすればいいのか分からない。慰めも同情すらも……全ては、百江の憶測の前提の上で成りたつものだったから。
そして、だからこそ俺は最後まで百江の話を鵜呑みにするわけにはいかなかった。
「事情はわかった。だが、それでお前がクラスリーダーになる必要はあったのか?」
「もしかして、まだ私を疑ってる?」
「……まあ、ちょっとは」
正直な感想を述べると、彼女は渇いたように笑った。
「たしかに、優を利用してクラスリーダーになる必要まではなかったのかも。でも、それは私のためじゃないよ」
「お前のためじゃない?」
「そう」
それから彼女は深く息を吐いた。
「あんたはさ、今6組にいるみたいだけど、そこから元のクラスに戻る算段はあるわけ?」
急な話の切り替えに俺は素直に首を振る。一体、何の話だ?
そんな俺に、百江は微かな笑みを浮かべた。
「もしくは――元のクラスに引き上げてくれる人はいる?」
そして、その言葉で何となくわかってしまう。
「まさか……お前」
その後を引き継ぐように彼女は口を開いた。
「私はね? 優が「クラスに戻りたい」って言ったとき、すぐに戻せるようにクラスリーダーになったのよ」
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