第9話 先生にも人間的な問題がある

 最円薫の朝は早い。なにせ、愛する妹のため朝ごはんと昼飯の作り置きしなければならないからだ。


 桜が起きてくるのは七時半。それまでに全ての準備を済ませなければならない。


 とはいえ、俺は料理が得意じゃなかった。作れるレシピも豊富じゃなく、できる料理をなるべく飽きないよう使い回す程度のレベルでしかない。特に最近カレーの使い回しは酷いように思う。夜ご飯でしか作らないが、チーズカレーやカツカレー、トッピングを変えるだけの姑息な手段で毎回別の料理を出してますよ的な雰囲気で誤魔化している気がする。


 それを改善しなければと思いはするのだが、如何せん、そういった料理は手間がかかる。下ごしらえだけで多くの時間を要することを考えれば、お腹をすかせた妹のために迅速かつ効率的な料理に逃げてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。


 なにより、作ったことのない料理を桜に出すのは気が引けた。なんか、毒見させるみたいだったから。


「そろそろ時間か」


 ジュウジュウとフライパンのなかで音をたてはじめた目玉焼きを片目に、パンをトースターにセットする。ありふれたものだが、朝食のメニューが定番化されているというのはとても助かる。昼飯はハンバーグを用意して既に冷蔵庫のなかだが、これもつい先日つくったばかりのメニューだった。


 桜はどう思っているのか分からないが、同じ料理ばかりというのは引け目を感じてしまう。それでも、文句も言わずに食べてくれる桜に俺は甘えているのかもしれない。


「おはよう、お兄ちゃん」


 リビングの扉が開いて、まだパジャマ姿の桜が寝ぼけ眼で起きてきた。


 時計を見ればきっかり七時半。今頃、6組の連中は登校を終えたころだろう。


「おはよう桜」


 勉強が本分である学生が、意図して遅刻することは良くないと分かってはいたものの、俺には桜を置いて登校することなどできなかった。ただでさえ、昼飯をひとりで食べる桜の姿を想像すると胸が痛む。せめて、朝と夜くらいは一緒に食べたい。


 家族にすらぎこちないコミュニケーションしかとれなくなった桜を外食に連れ出したことはなく、料理の配達すら頼んだことはない。どう足掻いても自分以外の誰かと接しなければならない状況下で、俺がしてやれることは限られていた。


 それでも、それらを鬱陶しく思ったことはなかった。


 限られているということは、専念すべきことが見えているのと同じだったから。


 チンッ! と、トースターが鐘の音とともに焼き上がりを知らせた。目玉焼きの下に仕込んだベーコンが香ばしい匂いを漂わせている。食卓についた桜に合わせるように料理がのった皿を配膳し、跳ねた油のついたエプロンを取り外した。


 椅子に座ったタイミングで桜がいただきますを言い、俺もそれに倣う。


 何も変わらないいつもの光景。


 その光景を、俺はかけがえのないものとして認識している。



 ◆



 教室に入ると、まだ一限目の真っ最中だった。だが、時間的にそろそろ終わるだろう。


 教壇の上にはナマケモノのぬいぐるみ――ミハルくんが教室中を見渡すように鎮座している。机の上には、一人一つずつ用意されたタブレットが設置されていた。どうやら、オンラインで授業を行うというのは本当だったらしい。なんか……普通教室の奴らより設備よくね?


『最円、タブレットの起動は二限目からにしてくれ』


 ミハルくんから先生の声が聞こえた。あのぬいぐるみ……監視カメラだけじゃなく通信機能も搭載されてるのかよ。


 それに頷いてから空いている席につく。クラスメイトは誰も何も言わなかったが、万願寺だけが一瞬チラリとこちらを見た。


『一応聞いておくが、遅刻の言い訳はあるかね?』

「ないですよ。一限目は出ないって言ってたじゃないですか」

『キミがクラスメイトの誰からも相手にされていないようだから構ってあげただけじゃないか。なんだその反抗的な態度は』

「そ、そうだったんですね。すいません」


 遅刻の言い訳を聞いてきたのは、先生なりの優しさだったらしい。ただ、最後ので台無しになったけれども。


 そうして授業は再開されたが、思ったとおり終盤だったらしく、すぐに終わりを告げる。



『――最後に、なにか質問があれば受けよう』



 最後、先生がそう言ったので俺は手をあげてみた。


『キミは授業を受けていないくせに、なにか質問があるのかね? 最円』


 くせにってなんだ。くせにって。この先生、いちいち言葉にトゲがあるんだよなぁ。


「あの、オンラインで授業するなら家で受けたらダメなんですか? あと、録画できるなら授業の内容をあとで見返すこともできるんですけど」


 その質問にミハルくんから、ため息のノイズが聞こえる。


『他の者は先に休憩に入りなさい』


 それに京ヶ峰が無言で立ち上がり教室から出ていった。他の者クラスメイトたちもそれぞれに休憩をはじめる。


『さっきの質問だが、キミはなにか勘違いをしているようだ』

「勘違いですか?」

『そう。授業をオンラインで行っているのはキミたちが6組だからではない。単に、私が学校に出勤するのが面倒だからだ』

「……は?」

『一年生と三年生の6組では、普通教室棟の生徒たち同様に対面授業が行われている。だから、キミたちもそれに則って対面授業のたいを成さなければならない』

「え、じゃあこのタブレットとかは? 学校の支給品じゃないんですか?」

『出勤したくないから、私が自費で準備したものだ』

「マジですか?」

『大マジだ』

「なんで出勤したくないんですか」

『出勤したら他の教師と顔をあわせなければならないだろう?』


 いや、だろう? って問いかけられましても……。まったく共感できないんですが。


「それ許されるんですか?」

『私は生徒からの評価がいいからね』


 ああ、なるほど……。俺はとりあえず納得する。


 宗哲高校では、生徒が生徒を評価するが、同様に生徒が教師をも評価する。とはいえ、それは投票だとか格式張ったものじゃなく、アンケートみたいなもの。たしか5段階評価にマルをつけるだけで、最後の方にはお決まりの意見を書く欄があったはず。ちなみに俺は、適当に5だけをマルで囲ったあと、最後には『特になし』を記入していた。あれ、そんなに権力あったのか。


『ぶっちゃけた話をすれば、私は価値なしの生徒に授業をするような人材ではない』


 それは、ぶっちゃけ過ぎだろ。


『なのに、任されるのは6組ばかりでね? これだけが唯一の謎だ』


 謎でもないでしょ……。職場にこず、やりたい放題やってる人にまともなクラス担当を与えられるわけがない。


 つまり、オンライン授業は先生のワガママだから家で受けることはできないということか。


 言いたいことは山ほどあったが、俺はそのことについて、先生と話すことがあまりにも不毛に思えてきた。


「もう家で受けたいなんて言わないです。無理言ってすいませんでした……」

『そうか? 納得したならそれでいい。次の授業の準備をしなさい』


 なんとなく、俺は先生を不憫に思ってしまった。いや、真に不憫なのはこの人を雇っている学校側なのかもしれない。6組は他の生徒から価値なしとされる生徒が集められる場所だが、それはなにも、生徒に限った話ではないのだろう。


 そこを担当される教師もまた、同じ。


「ちなみに、なんで監視してるのがナマケモノのぬいぐるみなんですか?」

『私はナマケモノが好きなんだよ。彼らはほぼ木の上から降りることはない。つまり、生涯他の生き物を見下みくだして生きているということなんだ』

「……もういいです」


 最後、せめて先生の可愛げがあるところなんかを探してみようかと思ったのだが逆効果だったらしい。この人も人間的に問題がありすぎる……。


 俺は先生が6組を担当している理由の一端を理解してしまった気がした。

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