第13話
あくる日、旋律と隠れ家の周辺で、少林寺拳法の稽古をした。まともにやり合うと、僕に勝ち目はなかった。僕は、少林寺拳法以外の技は、一切使えないルールを提案した。
旋律は、生意気にも「そんな弱腰では、武道家として成長できないぞ」と挑発する。
旋律の身体能力は、僕の比ではない。「男だろ、勝負しろ」と挑まれようと「女の子にモテないぞ」と馬鹿にされようと、真っ向勝負は、避けたいのが本音だった。
「まあなっ、最初は一緒に練習から始めよう」と、言われてほっとした。
周囲をメイドたちが取り囲み、見守る中で、二人は練習を始めた。
旋律は、自分と同じ動きをしろと命じた。最初のうちは、ゆっくりと型の演武を行い、徐々にスピードアップした。最後には、DVDに出てくる高名な師範よりも、素早く技を出せるまで、到達させるやり方だった。加えて、ダンス曲に合わせて、演武を軽やかに踊ってみる方法を強いられた。
旋律は、やり方を独自に編み出していた。
旋律によると、闘うのに必要な筋肉を、過不足なく鍛え上げるのを目指していた。神経線維、神経細胞、筋電、ニューロン、シナプス等々、科学者顔負けの術語をあやつり、得意げに話す旋律が、愛くるしく見えた。
旋律は、目にも止まらぬ速さで、僕の眼前に拳を突き出した。
「ぼやっとしていないで、大体の要領は覚えたな」と問いかけてきた。
僕は「まあ、何となく」と、生返事をした。
旋律は「さあ立て」と、僕を促した。
旋律の強さを心底知っている僕は、生きた心地がしなかった。
「メロぴゃん、まさか乱取りのときに、フル・コンタクトで当て合うの、ないよな」と尋ねた。
旋律は「俺が、お前ごときと、そんな闘い方を望むと思うのか、考えても見ろよ」と、強弁した。
練習が始まった。まずは、型をゆっくりと動く。ミリ単位とは言わないが、数センチずつ動けと命じられた。これが、驚くほど体に負荷がかかった。旋律の強さは、探究心の強さと深さにあった。僕はそう確信した。恐るべき少女だった。
ウォーミング・アップした後、旋律と、実戦の手合わせをした。組手を開始して早々、僕の上段突きをかわした旋律は、鋭い蹴りで返してきた。僕は、気がつくと仰向けに倒れ、空を見上げていた。
仁王拳だが、ごくごく初歩の技だった。それにもかかわらず、僕は開始して二秒で倒された。少林寺拳法の道場の門を叩いた、小学生の頃から数えても、初めての体験だった。
旋律の、目にも止まらぬ早業に圧倒されていた。不思議にも、身体のどこもそれほど痛くなかった。旋律は、瞬時の判断で、痛打を浴びせぬよう力加減をしながら、蹴るべきポイントに、正確に当てていた。
旋律は、弟子の僕を心配し、勝ち誇った素振りも見せずに「裕司っ、お前、大丈夫か」と、倒れた僕に手を差し伸べて来た。
「やっぱり、まだまだ、だったな。でもな、素質がないわけじゃないぞ。ここで、練習して、俺の足手まといにならないよう、成長してくれ」と、言葉と裏腹にやさしく微笑んだ。
ギャラリーのメイドたちは「キャーっ、裕司さん大丈夫」と、口々に叫ぶと、僕の方に駆け寄って来た。男勝りとはいえ、旋律はまだ少女の面影を残した小柄な女だ。そんな少女に僕は、呆気なく打ちのめされていた。
できれば、こんな姿をメイドたちに、見せたくはなかった。
旋律は「裕司は、タフだからな。気にしない、気にしない」と、メイドを見た。
メイドの一人が「ちょっとどいてよ」と、旋律を平手で追い払い僕の方に屈んだ。
僕は、我が目を疑った。
メイドの手は、正面から旋律の肩を捉えていた。
旋律は、間違いなくよけようとした。が、よけきれなかった。
メイドの無心な動きを、動体視力のすぐれた旋律が、素早く察知できなかった。
それは、メイドが、型どおりの動きではなく、闘気が読みにくく、視線の向きと手の動きが、バラバラであるのと関係があると、僕は分析していた。
僕にも、旋律に、勝てるチャンスが見いだせる。勝機があると、思った。
旋律は、まるで僕の心を読んだのか「あっ、今の、油断していた。ちょっと肩に触れさせてやりたくなった。彼女も、溜飲を下げるだろ」と、強気に答えた。
これだと、弟子の僕と師範との実力差は縮まるまい――と、絶望的な気分になった。
組手に何度挑んでも、旋律の巧みな足さばきに翻弄されたり、突きでぶっ飛ばされたりで、尻もちをついた。旋律は、絶妙の力加減と、タイミングと、技の角度で、僕が痛打を浴びて、怪我しないように瞬時に判断できていた。
僕は決して、弱い方ではなかった。実際に僕の通う道場では、上位クラスの力量があった。予想はしていたものの、旋律の圧倒的な強さの前に、自信がどうかなど、そんな疑問は、心の内から消え失せていた。
僕の世之介症候群は、いつまで続くか分からなかった。宿痾のようなものとなり、死ぬまで治らない可能性もあった。用心棒の旋律が、頼りになる女でも、いつかは別れる――と予想できた。研究所が僕の為に、誰か別の用心棒を雇い続けてくれる確証もなかった。結局、旋律のもとで鍛え上げ、自分の身を自分で守ること。それが、僕に課せられた命題だった。
メイドたちの前で、醜態をさらしたのよりも、自分の力不足を悔しく思った。
「まあ、今日のところはやめておこう」と旋律は、僕を労い、いつもの愛くるしい笑顔を見せた。旋律のアンバランスさが、僕には魅力的に見えた。
「裕司、ぼんやりしていないで、早く隠れ家の中に入ろう」
「もう、懲り懲りだよ」
野江は僕を見て、肩をすくめて見せた。何を意味するのか分からないが、僕のあまりの弱さに辟易した風でもなさそうだった。
菖蒲は、メイドたちの間を掻い潜り、僕に近づいてくると「大丈夫なの? 痛かったでしょ。気が気でなかったわ」と心配した。旋律を見て「今度からはお手柔らかにね」と声をかけた。
「裕司にとってはさあ、ビシビシしごいた方が、今後のためだ」と、旋律は思案深そうな表情を見せた。
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