第70話 眠れない夜に
晴とした約束は、どれも言葉にできないものばかりで。
これから生きてくのに大事な一番底辺になる。
そういうものばかりだった。
例えばそれは、ケンカしたらちゃんと話し合いをして仲直りすることだったり。
怒らせたら、謝る事だったり。
泣いてたら、慰めることだったり。
”当たり前”に繰り返されてきたそれらの毎日はどれもそんな“約束”に溢れていた。
だから、交わせなかった約束ばかり思い出す夜は・・・・・物凄く困る。
”あれは、あーすれば良かったんだろうか?あの時あー言えば良かったんだろうか?”
そうしたら、ふたりの過ごした想い出は、もっともっと輝いて、もっともっと大事になった?
晴は、もっと、もっと笑えてたかな?
何度寝返りを打っても収まらない頭痛。
久しぶりに食欲も無くて、父親の晩酌にも付き合えずに、夕飯もほとんど食べないまま薬を飲んでベッドに入ったのに。
眠くなるどころか、痛みで目は冴える一方だ。
膝を抱えて布団の中で丸くなると
暗い部屋にひとりで取り残されたみたいな気持ちになる。
無性に、不安になる。
「だいじょーぶ・・寝れる・・・寝れる・・・」
明日はバイトだ。
と言っても、馴染みのリナリアだけれど。
だからこそ、余計に寝不足の不調顔では行けない。
ある意味早苗よりも早苗に敏感な人間があそこにはいる。
マスターも、常連客もみんな。
早苗にとっては家族同然の人達ばかりだ。
不調を見破られてしまえば間違いなく心配される。
「なんで無理してくるの」
困り顔のマスターが脳裏をよぎった。
昼間のうたた寝で見た夢。
海辺をただずーっと晴と歩く夢だ。
風が強くて、砂が目に入るってさんざん騒ぎながら。
晴はずっと笑ってたな・・・・・・
目を閉じてゆっくりと息を吸う。
ぎゅっと強く手を握った。
零れてくる思い出を閉じ込めるように。
一個だって忘れてやるもんか。
全部全部持ってってやる。
一つだって取りこぼしてやるもんか。
あたしの中の記憶。
満タンにして、抱きしめて、会いに行ってやるんだから。
基との約束を思い出す。
だから、忘れるな、あたし。
耳元に残る。
晴の声。
一番大事なものを呼ぶ時みたいに。
おっちゃんやおばさんを呼ぶ時みたいに。
”早苗”って。
携帯を開いたら、23時過ぎだった。
「・・・起きよ・・」
よっと勢いをつけて体を起してカーテンの向こうに広がる夜空を眺める。
雲が流れている。
風が早い。
静かに階段を降りて行ったら、風呂上がりの母親と鉢合わせた。
「あら、頭痛は?ご飯片付けちゃったけど?」
「・・・・・知ってる・・・まだ痛い」
「もう一回薬飲んだら?」
「いつものじゃないもん」
早苗の頭痛にはとある製薬メーカーのものだけが効果を見せるのだ。
「買い置きしてなかったあんたが悪いでしょう」
呆れ顔で言われて不貞腐れる。
「はいはい・・」
「え、ちょっと何処行く気?」
そのまま玄関に向かう早苗に母親が驚いたように声をかけた。
この時間からすっぴんジャージで行ける場所なんて限られている。
「友世んとこ」
友世は早苗と同じ鎮痛剤を使っているのだ。
「自転車で行きなさいよー」
「んー・・・」
「携帯と鍵持ってんの?」
「持ってるー。父ちゃんは?」
「もう寝ちゃったわ。ほら今日は消防団の人の集まりだったでしょ?あのメンバーで飲むといーっつもこうよねー。あんたからちょっとお酒控えるように言ってよ。肝臓がんで先に逝かれたら・・・!」
ぼやいた母親が慌てて口を噤む。
早苗の顔が一気に暗くなったのが見えたのだろう。
やっぱり、どれだけ時間が経ってもこの手の話題は苦手だ。
「はいはい、明日小言言っとくー。ほら、お母さんも早く部屋行きなよ。風邪ひくよー」
ひらひら手を振って、そのまま玄関を出る。
”年老いて”
”逝く”
”死ぬ”
”この世から消える”
生まれた以上絶対に誰しもにやってくること。
”最期”
知っているし、分かってる。
いつもはこんなに敏感じゃない。
田舎のこの町は、馴染みのお年寄りが亡くなる事も珍しくない。
それだって全然平気なのに。
なんで、身近な人になるとダメなんだろう。
今日は特にダメだ。
理由は分からない。
けれど、たまに嵐みたいに寂しくなる。
不安になって、どうしようもなくなって。
自分が足元から沈んでいく気がする。
誰もいない場所に。
天国なら晴に会えるのに。
自転車の鍵を持って出るのを忘れた。
今更取りに戻るのも面倒くさくてそのまま門を開ける。
ここ数日で一気に季節が進んだ。
吐く息こそ白くは無いが、随分冷えている。
パーカーのポケットに手を入れて携帯を取り出す。
友世に今から行く事を連絡しようとメモリーを引っ張り出したら塀の向こうから声がした。
「こんな時間から散歩行くの?」
「わっ・・・びっくりした・・・・・颯太」
植木の間からこちらを覗く彼を見止めて、早苗がほっと肩の力を抜いた。
その表情を見て、颯太が来いこいと手招きする。
「ちょっと寄っていきなさい」
「えーなに?お茶菓子出るの?」
「みかんあるよ」
「おー!みかん、いいね!」
「早苗ちゃん、好きだろ?」
「うん!果物中でもトップ3に入るくらい好きだよー。安上がりでしょう」
「そこは胸張るとこじゃないよ。ついでに、家にも持って帰りな」
「え、そんなあんの?」
「学校で校長先生が段ボール3つ分も配り歩いてさぁー・・・・・実家がみかん作ってるらしいよ。1人じゃ持て余してたから、明日にでもご近所さんとリナリアに配る予定だったんだ」
颯太が亡くなった祖父と同じ地元の小学校教諭であること、そして、今年再び早苗たちの母校に戻ってきた元副担任の近藤の同僚であることを聞いてから、藤野家を始めとする地元住民と一気に打ち解けた彼は、今では正井のじい様の孫としてこの辺りで知らない者はいない。
休日にはリナリアに顔を出すことも多くて、最近はガンたちが続けている草野球チームにも近藤と一緒に仲間入りを果たしていた。
笑うと目尻に皺が寄るところは、正井のじい様によく似ている。
「あー・・・・そーなの?」
答えた早苗が、玄関前で足を止めた。
「ん?どーした?」
「・・・・縁側、まだ閉めて無かったんだね」
「あー」
「あたし、こっち座っててもいい?」
「いいけど、寒いよ?」
開けっぱなしの縁側を見て颯太が怪訝な顔になった。
「月、見てたいんだ」
「・・・・じゃあ、あったかいお茶でも入れますか」
頷いた颯太にお礼を言って縁側に滑り込む。
古い板間に座って夜空を見上げた。
三日月がぽっかり浮かぶさまはまるでおとぎ話のようだ。
「はー・・・」
寝癖がついたままの髪をくしゃりとかき混ぜて早苗は吸い込んだ息を吐き出した。
胸にある、鈍い痛み。
癒えない甘い痛みは、涙なんかじゃ消せない。
そのたび、思い知る。
どれくらい、晴が大事だったか。
「早苗ちゃん」
呼ばれたけど、顔を上げられなかった。
俯いたまま右手を差し出す。
おそらく湯のみが来るだろうと思ったのに、その手が掴んだものは颯太の手だった。
そっと握られた優しい手。
伝わる温もりが優しくて早苗は泣きそうになる。
「ありがと・・・・」
ほんとはあなたの”大丈夫”の声が心に届いたから、泣きそうになったの。
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