約束 <2>
クグロフ氏は咳払いをし、サルバトーレ氏から一切の事情を聞いた。すると、クグロフ氏は大きくウンと頷き、悩む素振りをせずに僕の方を見た。
「まずは……今聞いた通り、あの森への立ち入りは国の取り決めで禁止だと決められていることは、君も知っているかね」
「はい」
クグロフ氏は渡された古い本を見ながら続ける。
「うむ。それでも行きたいと言う理由は、息子の言うように、この発掘された書物にそう書いてあるから……かね」
「……いえ」
今の問に僕が否定した事に対し、内心驚きながら続ける。
「えっと……自分でもよくわからないんですけど、その本だけでなくて、誰かに導かれている気がするんです。誰かに行けと言われたような……」
たどたどしい僕の言い訳を聞きながら、クグロフ氏はうんうんと頷いた。
「――少し奇妙な話をしようか。あの砂丘で息子が発掘作業を始めた頃にフィルミアの森の住民と出会って、聖域としての取り決めがされたのだが……つい最近になって手紙が届いてね。もしいつか彼が訪ねてきたら連絡をくれ、と、妙なことに君の名前が挙げられたんだよ、エドワード・ハイベリー君。それも、しっかりと『フロニカからやってくる学生』という肩書まで付けてな。何か、心当たりはあるかな?」
サーシャとサルバトーレ氏は驚いて僕の方を見た。当然だが自分も驚いていた。しかも何故かそれに心当たりがあると僕は思った。
「――心当たりが無い訳ではないんですけど……あまりにおかしな話なので、信じていただけるか……」
「構わんよ。何でも話してくれ」
僕はこれまでの旅の経緯を隠さずに話した。顔も名前もわからない人物に導かれ、学生時代に遺跡を見学したこと、またその人物と卒業後に再会し、遺跡の調査を行ったこと。そして、その人物が古びた魔法の本を使い、僕達に過去の幻を見せて扉の中へ消えたこと。そこでその人物からフィルミアへ行けと言われたような覚えがあり、それからその人物の記憶がきれいさっぱり抜け落ちたこと。
全てを話し終えると、クグロフ氏は考え込んだ。
「――不可思議な体験をしたようだね。しかし本当にそんなことが……」
「事実、彼はこの本を持って帰ってきたし……それに、どういうわけか誰のものかもわからない、風化していない
反論するサルバトーレ氏は、それに、と付け加える。
「それにね、パパ。僕は恐らくこの帽子の持ち主と少なからず交流がある気がするんだ。きっと彼、または彼女のおかげで、僕はこうして発掘を成功させたんだ、と、僕の中で僕が訴えかけるんだよ。だから、僕からも頼む」
頭を下げるサルバトーレ氏を見て僕は驚く。そこに、慌ててサーシャも続いた。
「わ、私も!私からもお願いします!エドも先生も嘘をつく人じゃないし、私もその人を見たことがあります!!私もよく覚えてないんですけど……、けれど私達は皆あの人と話して、あの人と旅して、あの遺跡までたどり着いたんです!どうか信じてください!」
クグロフ氏が首を傾げると、サルバトーレ氏はサーシャを紹介した。
「なるほど……勉学のためにと訪ねてきた子も拒まずにこれまでやってきたか。感心なことだ」
それでもまだまだ首を捻るクグロフ氏を見て、僕は質問を投げかけた。
「……ふと思ったんですけど。クグロフさんはフィルミアの人と取り決めをして、最近その人から手紙が来た……って言いましたよね。どうしてその人が僕の名前を知っているのかは知らないんですけど……それって誰だかわかりますか?」
「差出人はノヴァリスという名だったな。取り決めにサインしたのも——」
そこまで言うと、クグロフ氏は顔をしかめ、首を傾げた。
「——ノヴァリス……?……誰だ……、そんな奴居たか……?顔が思い出せん……」
クグロフ氏は少し待っていなさい、とバッグを漁り始めた。僕はノートを出してパラパラとページをめくり、線を引いた『ノヴァリス』という名を見つけて指を当てる。
誰もがノヴァリスに会っているが、誰もがその姿を覚えていない。説明がつかない何かが起こっている。不可思議な現象を前に、思わず僕は唾を飲み込んだ。
それからクグロフ氏はテーブルに書状と、手紙を出した。そこには確かに古代文字でノヴァリスと記名があり、ノートに貼られた詩歌を見ると、筆跡がほとんど一致した。
「——僕らは確かに同じ人に会っていて、そして、その人のことを忘れている……。けれど、これで繋がったと思います。ノヴァリスが手紙をあなたへ寄越して、先生がこうして頼みに来た……。僕まで付いてくると予見して……彼——または彼女……?が手紙を書いたのだとしたら……」
「『運命』、とでも言いたいかね」
欠けた記憶の中から、欠けた人物が僕に言い放った言葉を思い出す。
「そうですね。別々で起こっている、あたかも関係の無いようなことが、こうして一つに繋がる。そんな運命があっても良いんじゃないか。——あの人は、そう言っていました」
あの時自分をからかうかのように言い放たれた言葉を、自分の口から再び紡いだ。それを聞きながらクグロフ氏は、納得したようにテーブルに出した書状と手紙をしまい、お茶を飲んで一息ついた。
「——わかった。ノヴァリスが居ないのであれば、管理者である私の許可が必要だな。フロニカと連携して君の身元を調べ、間違いが無ければ後で許可証をしたためて、息子の屋敷に郵送しよう。許可証は君の分があればいいかな」
「できれば先生とサーシャの分もお願いします」
わかった、と頷くと、クグロフ氏は続ける。
「わかった。それと、よかったらもう一つ頼まれごとをしてほしいのだが、いいかな。ノヴァリスの後任となる、カタリナとの連絡担当者を一人見つけてほしい。今あのフィルミアの森は、未開とはいえカタリナに守られている区域だからね。万が一に際して連携できる人間が居れば、お互い困らないだろう」
僕は氏からの依頼を快く受けると、握手を交わした後、ビルを後にした。
* * *
フィルミアの森への立ち入り許可証が発行されるまで数週間を要した。僕はその間書物の翻訳作業を進め、サルバトーレ氏は発掘作業を進めていた。
その間に出土した遺物は数知れずあり、その中には現代でも使われている調理器具や、堆積した土の影響で固まって開けずに読めなくなった冊子などが出土した。
発掘現場からフィルミアの森へは更に距離があるが、クグロフ氏から砂丘を渡るための四輪バギーを譲ってもらった。カタリナ国を支える四大商家の一角、マミド商会の試供品とのことだった。
運転ができる使用人に運転を任せ、僕達は砂丘をバギーで渡った。出せる速度は列車とさして変わらないようで、砂丘の道中で休み休み向かった。砂丘から眺める星空はなかなか見ることができるものでは無く、大自然であることも相まってとても綺麗だったことを覚えている。
2日間の旅路を経て、僕達はフィルミアの森の入口へたどり着いた。
未開の地であったため、固まってはぐれないように僕達は森の奥へと足を踏み入れた。
鬱蒼と茂る森は人を寄せ付けないような雰囲気を帯びており、爽やかな空気が木々の間を通り抜けていた。手つかずの自然をかき分けて、帰り道を見失わないように、草を折り曲げて跡を付けながら進んだ。
ふと僕は木々の向こうに開けた道を発見した。まるで誰かが整えたかのような、獣道を広げたような林道に出ると、左手の方に開けた廃村があり、その先には山道が続いていた。
誰も居ない村へやってくると、まず声を上げたのはサルバトーレ氏だった。
「
興奮気味に村を見て回るサルバトーレ氏を前に、僕とサーシャはうんと伸びをした。
「もう!こんなになるなら汚れてもいい服を買うんだったわ」
僕はノートを取り出し、村の光景をスケッチすることにした。ふと何かを思いついたサーシャは、辺りを見学するサルバトーレ氏の元へと走っていった。
すぐに戻ってきたサーシャは、僕に古びた本を差し出す。
「ね、あの魔法使ってみようよ。この本を持ってるってことは、私たちもできるかもよ」
「とは言ってもなあ」
古びた本をパラパラめくり、フィルミアの森の村の記述がある部分を探す。それはティスが記した記述にあったが、その
「……フィルミアには魔法に詳しい人が住んでいたらしい。もしここに人が居れば使い方を教われたんだけどな」
僕はスケッチを終えると、氏に合流した。氏は山道を塞ぐゴロゴロと転がった大岩の山を見つめていた。
「ああ、ハイベリー君。どうやらこのバリケードのような岩、昔からあったものではないようだ。比較的新しく、何者かに積まれたような、そんな印象を受けたよ」
「この先に人が居るんでしょうかね」
「だといいけれど。その上で、こちらに友好的であることも願おう」
岩を避けてなだらかな山道を上がっていくと、まるで神殿のような大きな建築物を発見した。その横に現在も使われていそうな木造の家が建っており、近辺を子供たちが走り回って遊んでいた。
僕達が恐る恐る歩み入ると、子供たちはこちらに気付き、建物に入っていった。
しばらくすると、建物から一人の女性が出てきて、怪訝な表情をしながらこちらへ向かってきた。
「——立ち去りなさい。何者かは知りませんが、ここはあなた達が立ち入って良い場所ではありません」
女性は懐から短杖を構えると、僕達に向ける。試しに僕は女性に対して名乗りを上げた。
「僕はフロニカからやってきた、エドワード・ハイベリーといいます。ノーヴァルシアの歴史を調査するためにここへやってきた者です」
すると、女性ははっとして短杖を下ろし、こちらへ歩み寄った。
「——まさか、そんな。どうして……本当にやってきたというのね。ああ、神よ……」
女性は僕の手を取ると、ペコリと頭を下げた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。遥か終末を超え、あなたの来訪を、ずっとお待ちしておりました。一族共々歓迎いたします」
「え、あの」
僕は驚き、手を解いて一歩下がった。横でサーシャは腕を組み、不満げな顔でこちらを見ていた。
「そうだ。本物のエドワード・ハイベリー様であれば、ノーヴァルシアの神々が記した歴史書をお持ちかと思いますが……持っていらっしゃるでしょうか」
言われるがままに僕は、古びた本を取り出して見せた。
「ああ……本物だ。先祖代々ここを守り続けて良かった。ありがとうございます。どうぞ、ご案内しますのでついてきてください。神々が遺された全ての答えを知りたいのでしょう?」
僕達は女性に言われるまま、木造の家へと向かった。
僕は家に入る前に隣に佇んでいる神殿を見た。風化しながらも形を留めていたそれは、奥から神聖な風を吹かせながら、僕達を誘うように大口を開けていた。
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