5日目
船が錨を降ろし、アラミアーナ西部の港——アレクサンドラ港へ停泊させる。桟橋からやってくる僕たちを、夕日に照らされた色とりどりの煉瓦造の建物が、中世の素朴だがどこか華やかな文化が、そして二年ぶりに顔を合わせたサルバトーレ氏が歓迎した。
「
「御無沙汰しているよ、サルバトーレ。僕はただ頼まれてガイドとして同行してただけなんだけどね」
彼とノヴァリスはお互いに握手を交わし、僕たちに向き直る。
「そしてようこそだ、盟友。ハイベリー君もよく来てくれた。さあ、長旅で疲れただろうから、まずは我が家へ来なさい」
言われるがままに僕たちは、サルバトーレ氏の家へ向かった。彼の家は港から歩いてすぐの位置にあり、遺跡発掘の出資をしているだけあり、大豪邸だった。庭には小さいながらも庭園が広がるだけでなく、大部分のスペースに石造りの船のオブジェが置かれていた。
興味を惹かれる物が多くキョロキョロしながら歩いていると、横でノヴァリスが笑いながら僕を見た。
「あのオブジェは彼が想像で彫った『愛の箱舟』だ。形が描かれている資料なんてどこにもなかったんだがね……どういうわけか詩物語だけを頼りに作ったそうでさ。嬉しいやら何やら……」
石造りの箱舟は現代——のものよりも少し古い帆船のような形をしていた。
「帆船とあんまり形は変わんないんですね」
「そりゃあそうだ。過去の資料が無いのだから、現代の——少し古い形に似るのは当然だろう」
荷物を屋敷の入り口に置いて、僕たちは応接室へ向かう。使用人が人数分の飲み物を持ってくると、教授はこほんと咳払いをする。
「さて。お前の発掘成果が実ったと聞いてやってきたわけだが。まさかあの帆船の彫刻だけで終わりとは言わんだろうな?」
「もちろんさ、盟友。まずはこれを見てほしい」
使用人が机に置いた小箱を、白手袋をして開ける。そこには古びたボロボロのメモ帳が入っていた。開かれているページを見ると、何やら長々と走り書きのような文字が続いており、サルバトーレ氏はその中の一文を指さした。首を捻る僕たちを見かねて、ノヴァリスがそれを読む。
「『アレクサンドラとフィルミアの間、ミアリの街の地下。賢人の扉の先、親愛なる友を忘れない』」
「
「モネッタといえば、フロニカを支えているモネッタ商事を思い出しますが」
モネッタ商事は僕の就職先候補として母親が挙げていた場所だった。そこに勤めれば収入も高額で家計も将来も安泰だ、というのが親の言い分だが、実際あの商社が何をしているのかは僕にはわからなかった。
「そうそう、そのモネッタ商事のモネッタだよ。伝手で代表のチャット氏に聞いてみたら、どうやら創業者の遠い先祖とのことでね。彼らが代表の名に代々使っている『チャット』という名も、そのマーシャの子孫にあやかっているんだそうだ」
目を輝かせながら話すサルバトーレ氏を前に、教授はうんと唸り、腕を組む。
「ここまで来ると、これはただの御伽話とはいかなそうですね、教授?」
「ウム。だが肝心の発掘成果がまだだ。お前はこのメモを元に発掘をしていたんだろう?」
そう言われてサルバトーレ氏が大きく頷くと、周辺地図を広げて出した。
「この街からそう遠くない場所に、アラミアーナ砂丘と呼ばれる大砂丘が存在する。その東部——入り口から大体2500キロほど離れた位置が発掘現場だ。砂に埋もれていたミアリの街も、まだ完全ではないが掘り出すことに成功している。——ここまで来るのに苦節5年……いや6年だったかな?なんと長い時間がかかったことか……」
感極まりおいおいと涙ぐむサルバトーレ氏に、教授は突っ込むように言う。
「それはいい。さっさと見せてくれ。砂丘を2500キロもどうやって移動するのだ。我々にはあと9日しかないのだぞ」
「ああいけない。そうだな、時間が惜しいなら今すぐ行こう。現場へは物資と人員の運び入れを兼ねて私鉄を引いている。それに乗っていけば、今からなら翌々日の早朝には到着するはずだ」
僕たちは荷物をまとめて、サルバトーレ氏が運営管理している貨物列車に乗り込んだ。従業員が乗り込む客車でもあり、内装はさほど豪華でもない。運行時間上、一日を客車で過ごすため、二段の寝台を備えた寝台車となっていた。
ごう、と低い唸りを上げ、蒸気を噴き上げて列車が動き出す。赤橙に輝く港町から出発した列車の車窓を開けて顔を出すと、夕闇に映える平原と、その行く先に広がる黄土が目に映り込んだ。
今まで見たことも無い、自然が作り出した風景に息を吞んでいると、背後から声をかけられる。
「砂が目に当たると痛いから、そろそろ顔は引っ込めた方がいいよ」
言われるがままに車内へ戻ると、声の主であるノヴァリスは窓を閉めた。
「……元々この辺りは街道が通っていた草原で、当然その通り沿いには村もあった。今列車が通っている平坦な道も、崖が隆起していて、その上に城だって建っていた。アレクサンドラという名は、元々ここに建っていた城の名前でもあったわけさ」
寂し気に表情を帽子で隠し、ノヴァリスは語る。
「え……どうなったんですか、それは。聞く限りだと、崖ごと消えたとも捉えられるんですけど……」
「ああ、君が捉えている通り、崖ごと消えたよ」
遥か昔、愛の箱舟に乗ってフランティアンへと人々が逃れた頃、ドラグナシアは終末により焦土と化したという。アレクサンドラの崖もその厄災により崩壊、粉砕され、今の砂丘を形成する砂となった、と彼は語った。
更に地図を広げ、ノヴァリスは続ける。
「終末の後、無事だったザリヴ諸島の商人たちは、やがて日ごとに緑を取り戻していく大陸に目を向けた。商人が最初に降り立ったのは、ここから北の、カタリナ国の岸だった。とはいえ当時はそこに国など無かったのだけれど……彼らは残っていた骨董品や文献から様々なものを作り出し、ザリヴを通して世界へ流した。そうして稼いだ富が積み重なって、できあがったのがカタリナ国だ。南のアラミアーナ、ここはその雄大な自然を、未着手のままカタリナが守ってきた区域。アレクサンドラ港も、カタリナを作り上げた商家——メフシィ家が作り上げた港だから、彼らはきっと当時の名を覚えていて、後世に遺す為に名を付けたんだろうなと僕は思うよ」
「……成り立ちもそうですけど、それ以上に先生はすごい家の人だった、っていう点でびっくりしました」
驚きながら、僕はサルバトーレ氏の方を見やる。
「はっはっは!確かに我が家はすごいが、私は当主である父や兄には遠く及ばないよ。商家の人間が古代のロマンに現を抜かして発掘なんてしている、なんてさ。父は許してくれたけど、他の家では絶対勘当モノだと思うね」
冗談を言いながらヘラヘラと笑うサルバトーレ氏の横で、教授はウンウンと頷いていた。
「全くだ。発掘計画を持ち上げてから今の今まで、お前が考古学の世界からいつ追放されるかとばかり思っていたぞ」
「それでも追放されないどころか、支援してくれる者まで現れ、こうして発掘事業をワンステージ進めることができたのだよ、盟友。少しは誇らしく思わないかね」
「ウム。お前が見ている物が、熱砂が見せる蜃気楼でないことを証明できたら、それくらいは思ってやるとも」
* * *
その夜。僕は上段の寝台にうつ伏せで寝転がり、ノートに見聞したことをまとめていた。ノヴァリスから貰った現代語訳の詩歌を写経し、反復して読む。
右をちらと見ると、隣の寝台から興味深そうにノヴァリスがこちらを見ていた。僕は再びノートに目を落とし、夕方語ったことを思い返す。
「……ドラグナシアって、終末で焦土になったって言ってましたけど、そんな記録や証言をした人って、いたりあったりしたんですか?」
僕の何気ない質問に、ふむ、とノヴァリスは言った。彼の影は少しだけ首を傾げたように見えた。
「すみません。その手の詩人なのだから、どこかで資料を集めているものかと」
「——なるほど。そうだな……」
少し間をおいて、ノヴァリスは質問に回答した。
「今から向かう発掘現場の更に東に、フィルミアと呼ばれる地がある。そこはカタリナ国の取り決めで厳重に立ち入りが禁じられている森でね、国の人々からは『聖域』と呼ばれている場所だ」
終末で焦土と化したドラグナシアだったが、唯一内陸で難を逃れたのがフィルミアの森であると彼は語る。曰く、神の怒りを買った大地は焼き尽くされ、あの森だけは神の慈悲により守られたのだ、と語り継がれているそうだ。
「……カタリナの国家機密だからあまり大声では言えないのだけれど、僕はそのフィルミア出身でね。話も詩歌も、全てそこで語られてきたものだ」
「え、ま、待ってください。国家機密ですよね?そんな簡単にバラシていいものなんですか——」
驚く僕を見、しーっ、と口元に指を当てて静寂を促す。
「良いんだよ。君は悪い奴じゃないからね。フィルミアを、彼らを、僕らの歴史を脅かすような」
僕は唖然とし、首を傾げながら再びノートと向き合った。フィルミアの位置と名をノートに綴り、うんと唸る。
「……どうして、ノヴァリスさんはそんな聖域から、こちらへ出てきたんですか?取り決めで立ち入れないのが分かっていたならば、出てきたら帰れないのでは……」
「表向きではザリヴ国民ってことにしてもらっていて、本当はフィルミアからカタリナ国へ招かれた国賓ってことになっている。そもそも僕があの森を出たのも、彼が発掘を始めようと計画をして、砂丘に拠点を構え始めてからなんだよね」
当時、砂丘の異変に気が付いたフィルミアの民は、拠点の建設を進めていたサルバトーレ氏に何をしているのかと言い寄った。これに対し、氏は謝罪をし、メモを見せて発掘計画を話したのだという。盗掘などではないと知ったフィルミアの民は、それならばと知恵のあるノヴァリスを寄こした。現在ノヴァリス自身はカタリナ国によってフィルミアへの出入りが自由となっているそうだ。
僕は彼が語った始終をノートにまとめ終えると、仰向けに転がり、一息ついた。今日はここまでにしよう、と目を閉じた時、横からノヴァリスが喋りかけてくる。
「……エドワード。突然だけれど、今度は僕が質問してもいいかな」
「何ですか」
微睡の中でノヴァリスの呼びかけに応じる。
「——もし、これまで僕が君に語ったことが、全て嘘であったら、君はどうする」
思いがけない問いに、僕は微睡から目を覚ます。
「どうする、って……」
彼の方を見ると、僕の答えを待つように、腕を組んでこちらを見ていた。端に置いたノートを手に取り、暗がりでじっと、これまで綴ってきた文字を見やる。
「……今回は僕は課外授業として来ていますし、当然レポートとしてまとめるわけなんですけど……これらが全部嘘であったら困るんですよね。虚偽をまとめて卒業できるかと言われたら……」
そこまで言ったら、隣からため息が聞こえた。
「意地が悪い質問をしてしまったね。けれど、そう言うのはあまりよくないと思うな。僕には学校というものはわからないけれど、調査が簡単ではないような事柄を調べに行って、虚偽をまとめて卒業できないなら、これとは違う簡単に調べてわかる事柄を調べて、真実をまとめて卒業すれば良いじゃないか」
言い返す言葉も無かった。ノヴァリスは更に続ける。
「何度も言うが、君もサルバトーレも、人の話を鵜呑みにするのは悪い癖だと思う。成り行きでも何でも、ここまで来たのであれば、学生としてでなくて、歴史を見つめる者として、見聞きして帰ってほしい、と僕は思うよ」
「……忠告、ありがとうございます」
僕は、ノヴァリスの言葉を深く嚙み締め、飲み込もうとした。自分はどうしてこの旅に同行していたのか。ただサルバトーレ氏の課外授業を受けてみたい、という軽い気持ちから、ではあったが、それだけでは目先の謎を解くことは難しいと思った。
「『謎は嘘より産まれ、真実は錯覚にて創られ』……、か……」
もしかしたら自分は、思っているよりも深い霧に足を踏み入れているのではないか、と考えながら、僕は眠りに就いた。
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