霧の大陸、探訪

出立日

 その手紙が教授の元に届いたのは、春、僕達学生が進級し、いよいよ卒業論文に手を付け始めようと研究テーマを決めている、そんな時期のある日のことだった。

 教授曰く『少し前まで心から考古学を語り合えた友人』――二年前に民俗学の特別講師として弊学へ一度だけやってきた、サルバトーレ・メフシィ氏が、独自で出資・採掘していたとある遺跡を掘り当てた、という旨が書かれたその手紙を読むなり、教授は酷く大袈裟に首を振り、ため息を吐いた。

 ゼミに入ってから一度も聞いたことのない大きなため息だったもので、熱心に課題を解いていた学生は、作業の手を止める。……もちろん自分も手が止まってしまった学生の一人なのだが。

 「気になるかね」

 ばつが悪そうに教授が言うと、手紙を見せながら差出人と内容を簡潔に明かす。

 「……つまり、東方の……神話?にまつわる遺跡を見つけたから、見に来いということ――」

 「神話なわけがあるか!アレはただの御伽話だ。またデタラメの夢ばかり語って、私を驚かそうと手紙を寄越したんだ、あいつは。どうせ既知の文明の遺跡だろう」

 「いや、それはそれでも大発見なのでは……」

 僕がそう反論すると、教授はウンと頷いて唸り、再び机に向かう。卓上カレンダーをパラパラとめくりながら、スケジュール帳を開く教授の姿を見、僕は堪らず更に口を開いた。

 「行くんですか?」

 「当たり前だ。友人がくだらぬ発掘調査をし、その成果が出たんだぞ」

 減らず口を叩きながらも何だかんだウキウキしている教授を見ると、何故かざわついていた心が落ち着いたので、自席に戻り課題に集中することにした。が、ペンを取った束の間、教授に声をかけられる。

 「2週間だ。君たちの長期休暇も戴くぞ」

 「えっ!?ぼ、僕らも行くんですか!?」

 無慈悲にも教授の首は縦に振られた。卒論が、学生生活最後の長期休暇が、就活課題が、と僕を含むゼミ生から嘆きの声が上がる。

 「私の眠くなるような退屈な授業よりも、こちらの方が良い経験が得られるだろう。なに、たった2週間の海外旅行だぞ。旅費も向こうに出してもらうよう掛け合う。特にハイベリー君、君は彼の授業をもう一度受けたいのだろう。折角のチャンスを逃すのか?それに、休暇の全てが潰れるわけでもあるまい?」

 ああ、こんな事になるなら、授業アンケートで「もう一度メフシィ先生の授業を受けたい」なんて書くんじゃなかった。きっとこのメッセージを受け取った当時の教授は、これを予見してメフシィ氏に手紙を送ったに違いない。

 僕はスケジュール帳を開き、長期休暇の予定を確認した。幸か不幸か、特にこれといった用事も無かったので、観念して旅程を組むための2週間を教授に差し出した。

 「ウム。当日までに図書室で当該図書を借りて予習しておきなさい。私にとっては専門外の分野であるから、質問は当日にとっておくように。また、行きたくない、卒論を優先したいという声に応え、今回は予習レポートを提出した者のみ同行してもらうこととする。君にとってはチャンスでもあるのだから、一層予習課題に注力することだな」

 教授からメモを渡された僕は、再び自席につく。山積みの課題を目の前に、そんな無茶苦茶な事言われても、と肩を落とした。


 書籍――『東方大陸の民俗学』(サルバトーレ・メフシィ著)に拠ると、僕らが今暮らしている北フランティアン大陸から、エディーネ大洋を渡った先の東方大陸……地理の授業では“ドラグナシア”と呼ばれていると教わった土地には、神々の怒りに触れて滅びた、我々の先祖に当たる文明が存在しているのだと言われているらしい。

 我々フロニカ――北フランティアン大陸の大部分を治める大国――の人間は、ドラグナシア北西に位置するアヴァリア島の開拓使の子孫であるが、当のアヴァリアでは書籍にある文明の遺構らしきものは一つも見つかっていない。いや、正確には遺構はあるのだが、その文明とは全く関わりのないものとされている。そのため、滅びた文明がある!と書籍にあったとしても、現時点ではただのオカルトとして読み取れてしまうのだ。

 書籍に記されている主題である民俗学も、メフシィ氏が東方の玄関口であるザリヴ諸島出身であるがために、現地の衣食住文化や言語文化、伝説などを簡単にまとめた、そこまで厚くもない教本であったため、大した予習もできなかった。一体この少ない情報量から、何を考察すれば良いのだろうか、と僕は思った。


 海外旅行に関しては、特に両親から反対されることはなかった。研究室を上げて行く研修旅行のようなものだからなのだろうか、父は「学校が良いと言っているのだから行ってこい」と背を押してくれた。

 夏季休暇までに課題を終わらせた僕は、同時にドラグナシアについての予習レポートも提出した。A4レポート紙一枚に、書籍に載っていた伝説と、該当する大陸の地図の複写だけを記載して。

 「ウム、まあこんなものだろうな。馬鹿真面目に枚数稼ぎをと、ザリヴの衣食住文化をまとめていたら、突き返して文句を言っていたところだ」

 教授もこんなものだと分かっていながら予習課題を出すものだから、これから旅行で見に行くものは本当に大したことは無いのかもしれない。

 1枚の紙切れと、卒研前課題に受領サインを記し、教授は棚からチケットを出して僕に紙切れと一緒に渡した。

 「当日行くのは君と私だけになるだろう。他の者はどうやら、既存の課題や最後の夏休みのバカンスで忙しいようだからな」

 良いのだか悪いのだか。僕は呆れて苦笑いをした。


     * * *


 僕は大きいキャリーバッグに2週間分の着替えと、リュックサックに勉強道具を詰めて、家を出た。フロニカの夏は汗がじっとりと肌につくほど暑いが、この日は早朝、日が顔を出した頃の出立であったため、風も穏やかで涼しく過ごしやすかった。

 実家や学校は幸いにも地理的に海が近い。したがって、目的地であるフロニカ国際港へは列車で行くことができ、移動時間もせいぜい1時間とさほどかからない。

 打って変わってドラグナシア大陸へは、フロニカ国際港から飛行船に乗り、半日かけて大洋の上空を渡る。早朝に出立するのも、現地での行動時間を増やすためなのである。


 同じくらいの時間に教授も到着したようで、駅で合流した。同じく大き目のキャリーバッグに、ビジネスバッグを提げ、スーツとロングコートで整えた紳士的な装いで、いつも見る教授よりも恰好良く見えた。

 「楽しみか?」

 飛行船の待ち時間に珈琲を飲んでいると、教授が話しかけてきた。

 「あ、はい。それはもう」

 「だろうな。君にとってはまたとない、彼の課外授業を受けるチャンスなのだからな」

 「そう言っておいて教授も楽しみなんじゃないですか。オシャレな旅装しちゃって」

 授業アンケートのネタを延々と引っぱる教授にカウンターを入れると、咳ばらいをしてそっぽを向いた。

 「……あまり目上の人間に冗談は言わない方が良い。就職したての君の首が、飛ぶかもしれないからな」

 僕は、苦し紛れの教授の苦言を鼻で笑い飛ばした。


 飛行船は僕たちを乗せると、桟橋を離れて大海原へ直進し、エンジンを唸らせ、海上から空中へと浮き上がる。僕はリクライニングシートを倒し、離れていく故郷の港町を見送った。

 眼下に広がるエディーネ大洋を眺め、機内放送の音楽に耳を傾ける。青々と広がる海に、特に想いを馳せることもなく、ぼうっと煌めく水平線を眺める。

 やることのない僕は、図書室から借りてきた書籍をぱらぱらと読むことにした。


 目的地であるザリヴ本島国際港を擁したザリヴ諸島は、全体を通して温帯で過ごしやすく、船が行き交う交易の要である島国であるため、様々な国の品が集まっているらしい。

 諸島間は基本的に飛行を行わない船舶での移動を行い、ドラグナシア大陸中部へ向かうには、高速船でマミド島へ渡る必要がある。マミド島からは大陸に属する各国へ渡る大型フェリーが出ており、それに乗船することでアラミアーナに入国できる。

 フロニカからザリヴ本島へ10時間、ザリヴ本島国際港からザリヴ諸島観光船乗り場までは高速バスで4時間。マミド島まで高速船で3時間、アラミアーナまで3日。当時はあっという間だったが、こう書いてみれば片道だけで約5日と長い旅路だ。


 初日——出立日の昼食は機内食だったが、折角メニューにあったので、ザリヴの郷土料理であるパエリア、エディーネ・パラを注文した。とはいえ、現地の料理を再現した弁当を配っているようだったので、そこまで本格的なものでは無かった。

 丸い弁当箱に香辛料で彩った飯を詰め、色とりどりの野菜と貝を散らしたもの。蓋を開けると微かなオリーヴとニンニクの香りが食欲を掻き立てる。

 これが現地の味か、と味わいながら匙を口に運ぶが、されど弁当。冷や飯を食べて満足してしまい、僕、ハイベリー少年はこの後酷く後悔することになる。


     * * *


 フロニカとは約6時間の時差があるザリヴ本島へ到着すると、既に日は落ちており、商店は幕を下ろしながらも、街は明かりを宿し、行き交う人で賑わっていた。

 僕と教授は国際港付属のホテルにチェックインし、夕飯は街の民衆に紛れて現地の酒場で食事を取ることにした。

 入った酒場——大衆酒場「ローレライ」では、ミュージシャンが演奏を披露するステージもあり、今夜は人気も多く、熱狂的な曲が演奏されており、大盛り上がりだった。空いた席に座り、メニューを開く。機内食で頼んだエディーネ・パラとは別の料理を頼もうと思ったが、ここで教授に口を出される。

 「ハイベリー君、機内食では舌鼓を打っていたようだが、それで現地の味に満足したつもりかね」

 「いえ、一日に同じ飯というのも味気ないかと——」

 教授は店員を呼びつけ、エディーネ・パラを2つ頼んだ。

 「ただの旅行ではないんだぞ?ハイベリー君。帰ったら君には更にレポート課題を課すからな。現地の食文化にもきちんと触れることだ」

 「……僕たちはザリヴの衣食住文化じゃなくて、新たに見つかった古代文明の遺跡を調べに来たんですよね?食文化をレポートにまとめる必要はないのでは……」

 「ウム。彼奴の遺跡調査のページなど1ページにも及ばないだろう。余白分を埋める知識も集めておいて損はない」

 これならば、ザリヴの衣食住文化をまとめて予習レポートとして提出しても、説教を食らうだけで長期旅行についていけたのだろうな、と僕は思った。


 食事を待っている間、僕は件の書籍をぱらぱらと読んでいた。すると、何者かにトントンとテーブルを指で叩かれた。

 「お兄さん達、もしかしてサルバトーレの知り合いかい?」

 見ると、男性とも女性ともわからない綺麗な顔立ちの黒衣の青年が、こちらを見ていた。

 「何だね君は」

 教授が聞くと、青年は帽子を脱いで、金色の髪をサラリと揺らしながらこちらに一礼する。

 「この地で稼いでいる、しがない詩人だ。この国でその本を読んでいるのは、協力者である僕か、せいぜいフロニカからやってきた、勉強熱心な彼の教え子くらいなのでね」

 「つまり君は彼の協力者ということかね」

 青年は頷き、隣のテーブルから椅子を1つ持ってきて、僕と教授の間に座る。そして、懐から僕が持っている本と同じ本を取り出した。

 「——一曲どうかな」

 教授は答えなかった。僕は教授の様子を見て、間を置いて、チップを差し出す。

 「お願いします」

 「ああ、お代はいいよ」

 青年は壁に立てかけているハープギターを取り、慣れた手で弦を鳴らし始める。



 五つの神は人を作り

 人は神を裏切った

 神は後に悪魔を名乗り

 人を海へと沈め封じた


 人は争いを繰り返し

 淵にて選定が下される

 剣を賜った淵の英雄は

 人の英雄により屠られる


 選定されし賢人は

 やがて人へと牙を剝く

 心優しき巫女たる使徒は

 世界を救う刃を振るう


 争いの歴史は切り取られ

 追想の戦歌は切り取られ

 やがてそれらは霧となり

 一つの安寧が紡がれる



 旋律を聞いている間、僕はまるでこの場に僕と彼しか居ないような感覚に陥った。酒場の喧騒も、民衆を昂らせる熱情の律動も、オリーヴオイルで料理を炒める音さえも無くなり、彼の弾くハープギターの重厚な音色が、僕の耳を支配していた。

 「お待たせしました、エディーネ・パラでございます」

 スパイスの効いた海の香りが嗅覚をくすぐり、はっと我に返る。

 「……お、いいチョイス。温かいうちに食べなよ」

 僕は青年に勧められるままに、一口食べる。

 ほっこりとした魚介の味が口に広がる。できたての温かさと、コーンの甘味がそれを引き立てる。飯が美味いのもあるが、先ほどの歌もあり、僕の情緒は複雑に、ぐしゃぐしゃになっていた。

 「……うまい」

 「でしょう?」

 青年の顔を見て、僕は頷く。

 「ええ。とても。引き込まれるような、空想を掻き立てられるような……まるでおとぎ話を語る童歌を聴いているような——」

 青年は困惑し、帽子を深くかぶった。

 「あ、ああ、そっちか……」

 僕の食べる手が止まっているのを見やり、青年は早く食べるように手で促しながら続ける。

 「詩歌には続きがあるけれど、これ以上は君がエディーネ・パラを冷ましてしまうからやめておこう」

 そういうと、青年は懐から一枚の紙切れとペンを取り出し、読めない文字で短文を記し、僕に渡した。

 紙に記された文字は見たことも無く、メフシィ氏の書籍にも載っていなかったため、解読することはできなかった。僕はそれを受け取ると、すぐに取り出せるように胸ポケットにしまった。見届けると、青年は教授にぺこりと挨拶する。

 「……それじゃあ。お邪魔しました」

 「待て」

 青年が頭を上げる前に、教授が呼び止める。

 「お前は彼奴の協力者と言ったな。名を何という」

 詩人は頭を上げ、教授をじっと見る。更に教授は続ける。

 「お前にもこの旅路に加わってもらいたい。チップはいくらでも払おう。ちょうどガイドを雇いたいところだったからな」

 「やれやれ、僕はガイドじゃないんだけれどな——まあいいだろう。その大役、しかと請け負った」

 再び帽子を取り、一礼する。

 「僕のことは『ノヴァリス』と呼んでくれ。よろしく」


 ノヴァリスの分の部屋をホテルで借りていないため、彼とは翌日ホテルで落ち合うようにと伝え、一度解散した。居室で僕は受け取った紙切れを取り出し、書籍を重しにして机の上に置いた。

 未だ見たこともない文字で書かれた4行詩を前に、ウンと唸る。

 現代で使われている公用文字に近い形状をしているという印象を受けたので、公用文字を書き出すところから始めたが、長旅の疲労に負け、結果卓上で眠りに就くこととなった。

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