9ー⑪
─東1ホール
東京ビッグサイトには東・西・南ホールに分かれた展示スペースがあり、同人誌即売会は 主に東スペースで行われる。
「コミケみたいな巨大イベントでは西ホールも使うんよ」
「へ~」
と、さくらの解説を聞きながら、寅之介はサークルスペースの設置を手伝う。同人誌即売会等のイベントでは、長机が会場内に並べられ、出展を申請した者─サークルが1つの机のうち半分に本などの頒布物を置いて売る。これをサークルスペースといい、出展の為に参加することをサークル参加という。
「サークル参加者は待機列に並ばなくていいから、コミケみたいに数万人規模の人が訪れるイベントはサクチケを転売したり、ダミーサークルと呼ばれる作品の頒布をしない人が申し込んだり……なんていう問題もあるんだよ」
「大変なんすね。同人活動って」
虹子の話を聞き、寅之介は今日まで全く無縁だった世界の陰を、ほんの少し知る。
「コミティアはオリジナルしか扱わない性質上、コミケに比べれば人も少ないまったりとしたイベントなんだけど、それでも問題が無いわけじゃなくてね……」
段ボールの封を解きながら虹子は続けた。
「女性だけのサークルスペースって、変な参加者に目を付けられやすいんだよ。ナンパだったり、威圧的な態度で絡んできたり……だから、寅之介くんみたいな強そうな男の人がスペースに居てくれるだけで助かるのさ」
数日前にいきなり、さくらから「日曜日暇?有明に遊びに行こう!」等と誘われた時は何事かと思ったが、蓋を開けてみれば同人誌即売会での用心棒だったというわけだ。
「ははは、変な奴が来たら任せてくださいよ」
身長190cm近い金髪の男を相手に喧嘩を売るような輩は、同人誌即売会においてはまずいないだろう。そして女性だからとナメて嫌がらせをするような奴は男として見過ごせないというのも寅之介の狭義心である。
「寅ちゃんも他のスペースに買い物とか行ってもええんよ。はいカタログ」
と、さくらは入場証も兼ねたカタログ「ティアズマガジン」を寅之介に手渡す。
「いやいや俺は別に……ん!?」
パラパラとページをめくり、流し見する寅之介の手が止まり、一つのサークルカットが目に留まる。
「………この絵、まさか……カワジャンミナミ先生!?」
「有名なん?」
「俺がガキの頃、月刊ギャグ皇帝で『ムーンサルトクソ野郎』を連載してた漫画家だ!!」
かつて、大手ゲームメーカーの出版部門から刊行され、惜しまれつつも廃刊した伝説の少年誌『月刊ギャグ皇帝』……その黎明期を支えた連載陣のひとつが『ムーンサルトクソ野郎』なのだ!
「ごめん、全部わからん」
「コミティアはプロの漫画家さんやイラストレーターさんも普通に出展してたりするよ。 気になるなら行ってきなよ。開場してすぐはウチも忙しくないから」
コミティアも、開場してすぐはプロの人気漫画家が出店する“大手”や“壁”と呼ばれるサークルに一般参加者達が殺到する。それが落ち着いてから、その他のサークルが忙しくなる……というわけなのだ。
寅之介は虹子の厚意に甘え、ひとり隣の東2ホールへと向かうことにした。
二人きりになったさくらと虹子。ふと虹子が口を開く。
「寅之介くん、見た目は少し怖いけど優しくていい子だね。さくらちゃんは素敵な彼氏がいて、お姉さん羨ましいや」
むせるさくら。
「かかかか彼氏ちがいます!ウチと寅ちゃんはそがな関係じゃのうて(r」
明らかに動揺して否定するさくらに、虹子は笑みを浮かべながら問う。
「違うの?朝早くからバイクで二人乗りして来る程なのにぃ?」
「はい…同じ部の友達で、そんでアクアリスト仲間で……」
「ふぅん……でもさ、お姉さんから一つアドバイス。もし君が彼を好きになったら、ガンガン行きなよ?チャンスを逃したら、私みたいになっちゃうぞ」
と、笑う虹子。26歳独身。
「(うん、ウチと実ちゃんはただの友達…部長さんと志麻さんみたいな関係やない……じゃあ、なしてウチはこがぁに……)」
ドキドキしているのだろう。と、さくらは思い返す。確かにさくらは寅之介の事はただの 友人として見ていたはずなのだ。……虹子に指摘されるまでは。
「(……初めて寅ちゃんのバイクに乗せてもろうた時も、今日来る時も、ウチ思い切り抱きついとったやん……)」
思い返して急に恥ずかしさが押し寄せてきた。
「青春だねぇ、ラブコメだねぇ……」
虹子はさくらに聞こえない声でつぶやいた。
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