1-7

─赤比家

 ごく平凡な一軒家の2階に、礼の部屋はある。勉強机の上に置かれたマツモ一本とアカヒレ1匹の入った瓶を座りながら眺める礼の姿があった。唯が言うには、魚は輸送時の揺れによりストレスを受けているだろうから、安定した場所に水槽 (この場合はボトルだが)を設置後数時間は様子を見ろ。との事だった。帰宅後、机に瓶を置き、着替え、食事、入浴などを済ませた礼はアカヒレの様子を確認している。アカヒレは何事もなく泳いでいる。小さな体に付いた赤い鰭や、鰓蓋や口をちょこまかと動かす一挙手一投足が見ていて飽きない。


「そうだ、餌を……」


 光青から渡された小さなチャック付きビニール袋に入ったフレークフードを少しだけ入れる。多く入れすぎると水質の悪化を招くため、気持ち少なめに入れろと唯からは釘を刺される様に言われた。志麻からはマツモ1本の浄化能力ではアカヒレの糞までは分解できないので、明日以降にスポイトで糞を取り除きつつ瓶の水を4分の1程度、カルキを抜いた水に換水せよと、スポイトと透明な結晶状のカルキ抜き剤を渡された。


「何だか、やることが一杯で大変だなぁ」

  しかし、その大変さが新鮮で面白い。生き物の世話は2歳年下の弟が幼児の時に子守をした時以来だ。 と、礼は餌を吸い込むアカヒレの姿を見て思った。


「姉ちゃん、入るよ?」


 ドアをノックすると同時に外から掛けられた声は、その弟のものだった。


「クロちゃん?入っていいよ」


 姉の許可を得て入室した弟、赤比玖郎あかくら くろう。中学でバスケットボール部に所属する彼は既に170センチ近くまで背が伸び姉より頭一つ分は高い。


「分度器貸してよ。俺の、どっか行っちゃったんだ」


 しょうがないな、と言いながら礼は机の引き出しから分度器を取り出す。その時、机の上に置かれたボトルが玖郎の目に付いた。


「姉ちゃん、何ソレ?メダカ?」


 と、指さされたボトルを礼は持ち上げて弟に見せる。


「コレはアカヒレっていう中国の魚なんだって。可愛いでしょ?」


「ふーん、なんか姉ちゃんみたいな魚だな」  


「お姉ちゃんも可愛いってこと?」


「いや、チビでヒレがいつも着けてるリボンみたいだって事……っつーか自分で可愛いとか言うのはイタいぜ?」


 弟に言われた後で、礼は自分の言った事が恥ずかしくなった。


「それよりさぁ、この魚は何でこんな瓶で飼ってんの?」


「えっ?」


「よく解んないけど、魚って池とか水槽で飼うもんだろ?俺が魚だったら、そんな狭い瓶より広い所で泳ぎたいかな」


 そう言って、玖郎は分度器を持って自分の部屋へと戻る。


「そうだよね……その方が楽しいもんね、魚も私も」




─月曜日

 放課後、礼と唯は再び生物実験室を訪れた。


「オイッス!光ちゃん!」

「こんにちは、部長さん」


 部室には既に、光青がおり、水槽の写真をカメラで撮影していた。


「やあ唯に赤比くん」


 光青の前に二人は名前を書いた入部届けを提示した。そして、礼はアカヒレの入ったボトルを置く。


「部長さん、このアカヒレちゃんは、瓶より大きな水槽で飼ってあげたいです。私が、この水槽学部で!」


 初めて会った時の様な怯えた顔ではなく、新たな世界へ飛び込もうという熱意の籠もった顔を見て光青は言う。


「フフッ……二人とも、ようこそ翠涼学園水槽学部へ!そして礼くん、ようこそアクアリウムの世界へっ!!」


 光青は左右それぞれの手で礼と唯の肩を軽く叩く。


「クラスだけじゃなく部活でもよろしくね、礼ちゃん!」


「こちらこそよろしく、唯ちゃん!」


 笑顔の新入部員二人を、光青とアカヒレは微笑ましく見守っていた。

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