第2話 途方に暮れる領主と王女

「どうするのよ、日が暮れて来たわよ」

 不思議な世界だが、ちゃんと太陽は沈むらしい。じっと水たまりを覗きながら、ふわふわの胸を押さえては「パンケーキ……」と感動しているセディスの頭にめがけてラブラミントは足を振り上げた。

「蹴るな! 僕はこれでもカモミール領の領主だ!」

「財産を食いつぶした能無し領主でしょ。なんで貯蓄や備蓄しないのよ。人民がクワ以て松明翳してお城にやってくるわよ」

「そこまで言うのか! きみは、本当に僕の婚約者か、それでも」

 ラブラミントはまた足を持ち上げた。

「いつでも婚約破棄してやるわよ。あんたのような役立たず」


 寄ると触ると、向かい合うとすぐに喧嘩である。(いっつもこうなのよね……)言えない気持ちを噛み締めて、ラブラミントはすいっと足を降ろした。喧嘩をしている場合ではない。

 英国のプリマス港に似ている港の入り江、しかし、どこかが違う。ただ、空気は元の世界に似ている。ラブラミントは手を広げて夕陽に透かして見た。ちゃんと、生きているから転生したとかではなさそうだ。

 これが、デキる執事のヴァタピールであれば、「ラブラミント様、今夜の寝床を作りました」とかもっと頼れるのだが、カモミールの財産を半分減らしたセディスが相手である。


 ただでも生きていけないゴクつぶしの領主が、サバイバルなどできるモノか。

 ラブラミントはいつぞやの時のように、(私がやるしかない)と拳を握りしめた。


 そう、私がやるしかない。


「セディス。まずは今夜の」

「ラブラミント、橋が出て来た……まるで風景が……変わったぞ」

「え?」

「見てみろよ」


 セディスの言葉に素直に見ると、先ほどまで海だった場所にはレンガのような大きな橋と、真っ白の帆船が浮かび上がり始めている。幽霊船というよりは、客船にも見える。潮が引いたわけでもない。海自体が、ゆっくりと街に変わって行っているような。


「さきほどまで、海だったんだ。逆に、こっちが水になりつつあるような気がする」

「え?」「魚がいるんだ」と呑気な視線を追うと、確かにうっすらと熱帯魚らしきものが見える。


 ――大変! とすると、この孤島は夜には満潮で海の中だ。


「ここ、海になるわよ。橋を渡るしかないわ」

「同意見だ。急いだほうが良さそうだ、ラブラミント」


 セディスは告げて、さっと手を差し出した。スマートな動きと、よくラブラミントを見詰めて来る褐色の目に動悸がする。

 

「そ、そうね」

「きみは心配しているが、今の君は可愛いし、僕を蹴り飛ばして掴み上げて来そうな怖さもない。従ってせいいっぱいのエスコートはさせてもらうつもりだ。しかし、肩が凝る」


 セディスは肩を揉みながら、巨乳をゆっさと揺らしつつ、ラブラミントにかがみ込んだ。「このほうがいいか」と抱き上げた。


(貴婦人の時は「重そうだ」とか言ったくせに……なんなのよ)


 長い髪はそのままに、ツインテールも変わらずで。貧乳も変わらずで、自慢だった手足の長さと背丈と、男にも負けない「高値の薔薇」の風体は失われた。

 セディスに至っては、中世の雰囲気はそのままだが、金髪の外はねヘアーはふんわりとカーブを描き、これ見よがしのモーニングを突き破りそうな危ない胸と、美女と見紛うような大きくなった瞳と、チェリーのような色の唇と……


「あはははははははははははは」


 見れば見るほどおかしい。この巨乳美女があのセディスだなんて。

「ちょ、暴れないで!」と抱き上げた声もどことなくハスキーだ。これはいい、カモミール領主のセディス=リルスとは言えど、これでは火遊びも出来ないだろう。


 そう、火遊び。


 思い出した。


 ラブラミントはぎり、と歯ぎしりして、セディスを睨んだ。


「自業自得よ! しばらくその美女のままでいれば?!」

「どうやら、夜は世界が変わるらしい。ミント、みろ。すっかり様変わりしたぞ。どうせなら楽しもう。これは夢だろう」

「夢じゃないのよ」


 ラブラミントは小さくなった心臓に手を当てた。ご丁寧に着ていたドレスはそのままの変化で幼少の子に合うようになっていたらしい。セディスは、モーニングだが、燕の緒がスカートに見える。ショートパンツにロングブーツのいで立ちはそのままフィットしたらしい。貴族の紋章入りネッカチーフはばいんばいんと揺れる胸の上で急カーブを見せていた。

 

「夢なら良かったわよ、醒めればいいんだもの。でも、これは夢じゃない。あんたの火遊びのせいで、あたしたちこんなハチャメチャな世界に吹っ飛んだのよ。魔女の黒魔法の暴走でね」


 橋を渡り切る頃には、夜がなぎ倒すようにやってきた。ブルーモーメントの空は英国にはないものだった。美しい景色だが、どこか物悲しい。

 それでも、セディスとラブラミントはつないだ手を離さなかった。

「夜は風景が変わる……夢だろう」


「夢じゃ、ないのよ。だって、こうなった原因はあんたが魔女を怒らせたから」


 話は二時間前に戻る――。

 

 

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