2
月明かりを反射して輝く腕時計。
針は四時過ぎを指し示していた。もう、早朝と呼べる、時間帯。
ああ、寝ていたんだ。
改めてぼくは気づく。
昨晩の酒がまだ抜け切れていないのか、ひどく頭が重い。
思考もゴムのように鈍く、柔軟なくせに変化しにくい。
けれども、決して酔っているわけではない。
酔いなど当の昔に醒めている。
酔っぱらいの妄言だと、言葉が頭を過ぎる。
いつもの公園には、誰もいない。
時間が時間だし。シホの事件があってから、少し人が減ったように思えた。
空を見上げると、蒼い光を放つ満月に、白い傘が掛かっていた。
今日、満月ということは、シホの死んだ夜は満月ではなかったということ。
なんだ……やっぱり、ただの噂。冗談交じりの誇張された物語に過ぎなかったんだと、納得する。
誰もいないベンチに座り、ぼくはぼんやりと、時が過ぎるのを待っていた。
師匠の家に寄って、借りてきた木刀を、手持ち無沙汰に玩びながら。
裏の丘では木の枝が風に揺れ、涼やかな音を掻き鳴らす。月の光を時折雲が覆い隠し、辺りを闇に満たす。
どれだけ時が流れたのか、やがて一つの足音が、ゆっくりと園内に入ってくる。
「……キョウちゃん?」
月明かりがシルエットとなって、その人物の姿はぼくの眼には影となって映る。
けれどもぼくは、よく知っていた。
彼女のことを。
ぼくが呼び寄せたのだ。
心音が、激しく音を立て始める。
自分の緊張を意識し、何とか静めようと、深呼吸を繰り返した。
彼女はぼくから十メートルほど離れて、足を止める。そして、黙って何も言わない。
ようやく心音が平常を取り戻した時、ぼくは彼女に声をかけた。
「ユウナ……どうして君が、吸血鬼なんだ?」
彼女は少し、驚いたように息を止めたようだった。けれども表情にはそれほど動揺は見られず、むしろいつもよりも優しく感じられる声色で、微笑んだ。
「……何を言ってるの? キョウちゃん?」
小さく息を吐いて、ベンチからゆっくりと立ち上がる。木刀を小さく、片手で振るう。
「別に、誤魔化さなくてもいいよ。たぶん、想像だけど、もうわかってる」
「……何が? 吸血鬼なんて、本当にいると思ってるの?」
「知らない。わからない。けども、吸血鬼が本当に存在すると考えれば、ハクの想像では説明つかなかった……ノイズとして排除するしかなかった事象を、綺麗に説明できるんだ」
「そうなの? よくわからないわ。でも……どうしてわたしが、吸血鬼にならなくちゃ、いけないの?」
「シュンが死んだからだよ。チコも、意識不明だ」
「……それが?」
ユウナはわからない、というように、頭を振った。
ぼくは応えた。
「……ハクならもう少し、正確にわかるのかもしれないけどね……けど、ぼくの知る限り、シュンとチコに関わって、シホ殺害に関わることのできた人物はユウナ、君だけだ」
断言に、ユウナは軽く首を左右に振ることで応えた。
「ダメよ、キョウちゃん……その論理じゃ、わたしだと断言することはできないわ。あくまでもそれは、キョウちゃんの知覚の範囲内だもの」
その通りだ。わかっている。
ぼくの説明は「ユウナならば可能だ」と言っているにすぎない。ユウナ以外の人間の、他のすべての人間の、アリバイを保障するようなものじゃない。犯人は、ぼくの知っている人物の中にいるという、推理小説的なルールの縛りの上にしかない結論だ。けど――、
「わかってる。けど、いずれは、わかることだよ。シホの件では証拠を残してないかもしれないけど、犯人は、シュンとチコの件では、しっかりと証拠を残してる。ユウナか、ユウナじゃないかは、数日でぼくにも、誰にでも、わかる」
たぶんこの時ぼくは、まだ、ユウナが笑いながら否定することを、期待していたのだと思う。
けれども彼女は、何かを考えるように視線を宙に泳がすと、やがて少し驚いたような表情で、ぼくの期待を打ち砕いた。
平然とした口調で。
「ああ、そっか……血液を残しちゃったんだっけ?」
力が、全身から抜けそうになる。
けれどもぼくは、無理やり木刀を握り直し、ゆっくりと腕を上げて、切っ先をユウナへと、突きつけた。
「認めるんだな?」
「うん。認める。しょうがないからね。わたしが、吸血鬼です」
「……なんで、殺した?」
「えっと、やっぱり血を吸ってみたかったからかな? 吸血衝動ってやつ。吸血鬼による殺人理由にしては、平凡すぎてちょっといやなんだけどね。シュンくんは、わたしにアリバイが無いことを知っている、唯一の人物だったしね。喋られる前に、始末しておかなきゃって、思ったの。チコは、たまたまシュンくんと一緒にいただけ」
むしろ楽しげに、お気に入りの音楽の話でもするみたいに、ユウナは語った。
ぼくは小さく「そう」と呟いて。
「……なら、シュンの仇を、取るよ」
宣言した。
「うん、いいよ。キョウのこと、好きだからね。殺されてあげるのも、いいかも。一度、血を吸わせてくれたらね」
ひどい、戯れ言だ。
間違っている。間違っているのが、わかっている。
こんなのはユウナの態度じゃない。
こんな言葉は、ユウナの結論じゃない。
けれどもぼくは、この流れを止められない。
ぼくは応えず、木刀を握り、一気にユウナへ向けて、駆け出した。
腰を屈め、木刀を体の影に隠し、居合の要領で、一気に抜き放つ。
ひゅっ。
風を切る音は、しかし。
ばしっ。
何気ない動作で示された、ユウナの腕一本で、あっさりと止められた。
だがぼくは、それで止まることはせずに、さらに踏み込んだ。握られた木刀がびくともしないのを、一瞬で判断して、手を離す。そのまま拳を握り、突き出した。
ふわっ。
まるで風に舞う、タオルを打撃したかのような手応えの無さだった。
ユウナの体は風に流されるように、宙に浮かんでいた。ぼくは驚愕を消して、飛び退く。
そのまま空中を飛び去っていくような錯覚に襲われたが、すぐにユウナは、すたっと、音を立てて地面に降り立った。
安堵の息を吐く。
心音はこれ以上ないほど高鳴っている。
落ち着け――落ち着け、落ち着けっ!
「あ、あの日――」
言葉を放つと、声は震えていた。
恐怖に程近い、混乱。
「あの晩、ユウナは……一人でマンションを、出たんだね?」
「ええ、そうよ」
ユウナは平然と応えた。
あの日、ぼくらは――いや、ハクとチコはどう思っていたのかは知らないが、ぼくは、ユウナとシュンは、二人で買出しに出かけたのだと思った。けれどもそれはただの思い込みで、ぼくが見たのはシュンとユウナが連れ立つようにして部屋を出た――そこまでだ。シュンは酒に、それほど強い方じゃない。部屋を出て、そこで力尽きて眠ってしまったとしても、おかしな話じゃない。ただでさえぼくの方も、あの夜は飲みすぎて判断力が低下していたのだ。言い訳だけど。
ユウナとシュンが、一緒に買出しに行った。
ぼくはその思い込みをそのまま警察に話してしまった。
警察がぼくの証言を信じたのかどうか、わからない。ひょっとしたらチコ辺りも、ぼくと同じ証言をしたのかもしれない。石本さんが、多少疑念を抱くことがあっても、ぼくらは元より、死んだシホとの関わりは小さい。だから、さほど重要視しなかったとしても、不思議ではない。
――ユウナの動機は、わからない。
ユウナが右手を振り上げると、風が舞った。ユウナが放り捨てた木刀を目の端で確認して、疾駆。
木刀の位置を警戒して移動するユウナ。ぼくの髪が、ユウナの作り起こした風になびく。ぼくは向きを変え、右手で手刀を作り、振る。
指の先が、ユウナの服を裂いた。
驚きの表情でユウナは飛び退る。
再び重力を感じさせない動きで地面に降り立ち、笑った。
「へぇ……それが、キョウちゃんの、力なんだ……」
ひどく嬉しそうだった。
「……ぼくの?」
ぼくは首をかしげた。
指の先で、布を切り裂くような、鋭すぎる手刀の切れ味を生み出す、力。
どうなのだろう? 昔から、この力は杜代家の血によるものだと考えていて、ぼく自身の力だという実感はあまりない。
首を左右に振る。
否定の動作を、ユウナはどう捕らえたのか?
薄く笑って、仕掛けてきた。
一瞬で目の前に走りこんできて、上段へ蹴り。常人の動きを遥かに超えたスピードに驚きながらも何とか回避する。
――大丈夫。今までにないスピードだけれども、避けられないわけじゃない。
ユウナの攻撃を避け、逸らし、受け流して、ぼくは反撃の機会を窺う。
頭に浮かぶのは、理由。
人殺しの、理由。
理由なんて、どうでもいい。
他ならぬ、ユウナが言ったのだ。
吸血鬼の、吸血衝動。
血を、吸ってみたかったのだと。
なぜ、今?
世迷いごとだよ、そんなの。
本当にそんなのが、理由?
そんな一方的な、身勝手な理由で、シュンは死んだって?
信じられない。
だって、シュンは、ユウナにとってだって、友達だった。
シュンでなければ――チコでなければならない理由なんて、どこにもない。
何より、それぞれ殺害方法が違う。
シュンは刺殺。シホは頭部への撲殺。チコは死んでいないけれども全身への打撲、だ。
どうして――? なぜ? おかしい。不自然だ。
だめっ。考えちゃいけない。なぜ? なぜ考えちゃいけない? 今は戦闘中だから。戦闘の原因は? なぜユウナと戦う? シュンの仇だから。どうして? なんでユウナがシュンの仇になるの? なぜ、ぼくは、初めからそれを疑いもせずに信じようとするの? なぜ――?
ぼくは、ユウナの足の下を掻い潜って、下から手刀を振り上げ――
ユウナはぼくの、手首をつかみ――
ひどく中途半端で、途切れるような、細切れの瞬間の連鎖。
動作と動作の間に連続性はなく、別々の戦闘シーンを、細切れにつなげたかのよう。
本気だった。
本気で、許さないと思った。
けれども感情は、ユウナに向けたものではなく。
殺意は元より、害意すらも、皆無だった。
それはお互いに。
ぼくは気づき。
気づいてしまったからこそ、理解して。
その事実はユウナが犯人だという物語よりもよほど信じたくない真相で。
信じたくないという思いこそ、自分の身勝手な感傷でしかなく。
それにユウナを付き合わせている
何とも比較の仕様もなく。
最低最悪な結末しか生まないと気づき。
気付いた瞬間、ぼくは、ほとんど自ら倒れるも同然に、地面に仰向けに寝転がり、今にもこぶしを振り下ろさんとして硬直しているユウナと、目が合うのだった。
風が止まり、月光すらも停止したかのような瞬間だった。
倒れたぼくに、最後の攻撃を加えようとした姿勢のまま、ユウナは停止していた。
ああ、やっぱり、そうなんだ――
ぼくは諦めた。
ユウナは表情を消していたが、目元に、口元に、どこか困惑したような空気が、漂っていた。
「……どうして避けないの?」
ユウナはたずねる。ぼくは、うなずく。
――ユウナこそ、どうして止めを指さない?
その理由は、わかりすぎるほどわかっていた。
だから、応えた。
「シュンを……」
応えようとして、口ごもった。
信じたくない事実だったから。
その事実は、間接的に信じたくない結末を導くものだったから。
それでも、目をそらすことは誤りでしかなく、自分で自分が許せなくなるとわかっていたから。
「シュンを、助けようとしてくれて、ありがとう」
言葉を放った瞬間、ユウナの全身から、表情が一切消滅した。
「……ありがとう」
もう一度、ぼくはつぶやいた。
ユウナは少し後退りして、まるで恐怖に駆られたように、突然まくし立てた。
「――違うっ! キョウちゃん! そうじゃない。私が殺したのっ! 二人ともっ!」
声を絞り出すような告白を、ぼくは冷静に受け止めることができた。
ユウナの声は震えている。
けれども、その理由は、罪を告白するからじゃない。
罪に、気づかせてしまうことに、恐怖しているのだ。
気づかせる?
――誰に?
そんなの、決まっている。
ユウナでなければ、この場にいるのは、ぼく、一人だけ。
「うん。だけどもう、どうしてユウナがそんなことを言うかも、わかったから」
愕然と、ユウナは緊張を解き、拳を解き、肩を落とした。
「ぼくを絶望させないように、かばってくれたんだろ?」
ユウナはまだ否定するように首を振っていた。
ぼくは体を起こしながら、目をそらさないようにじっとユウナを見つめる。
力を込めたつもりはない。ユウナはぼくの視線から逃れるように首を左右に振っていたが、ぼくがそらさないとわかると、諦めたように息を吐いた。
「……そっか、気付いちゃったんだ」
「うん」
ぼくはうなずいて、服についた砂埃を払い落としながら立ち上がる。ユウナが全身から力を抜くのが見える。
本当は、最初から気付いていた。ただ、どうしても認められなかった。
認められなくて、気付いていないふりをしていた。
「チコはぼくを殺そうとして、それを止めようとしたシュンを刺した。そこに偶然ユウナが来て、チコと気付かず、シュンを助けようと吹き飛ばしてしまった。二人とも致命傷に見えた。ユウナは吸血鬼の特性を利用して、二人を生かそうと、血を吸った。シホの時も、そうだった?」
たずねる。ユウナは、苦しそうに応えた。
「うん。シホのこと――あの夜、シュンくんのことは、別に意識してアリバイを作ろうなんて思ったわけじゃ、なかったの。わたし、見ての通り人間じゃないから、力には自信があったし、シュンくんがいきなり寝ちゃって、ちょっと驚いて、助けを頼もうかとも思ったけど、一人でもお酒、持って帰れるかな? って思って、そのまま家を出たの。でもね、あの日、わたしたちが放り出してきた公園が、どうなってるかちょっと気になって、一応見ておこうと思って、裏から丘へ登ったの。わたし、人間よりは夜目が効くから、岩に登って、公園を見下ろした」
「そこで、シホが殺されるのを、見た?」
「暗くて誰かはよくわからなかった。被害者も、加害者も。けれども、とっさに助けなきゃと思って……そうね、暗い夜道を、人間離れした視力で登ってきたせいかしら? わたし、自分が吸血鬼だってこと、思い出してしまったの。近寄って、シホちゃんだって、気づいた。とっさの衝動で、正体を隠すことなんて忘れていた」
助けようと、シホの首筋に牙を当てる、ユウナ。
ぼくの脳裏にイメージが浮かぶ。
「シホに、血を含ませなかったのは?」
「体液交換すること、知らなかったの。みんなで、吸血鬼について話すまで」
「うん、ぼくも実は、知らなかったわけじゃなかったけど、勘違いしてた。血を吸うだけで吸血鬼は感染するのかと思ってた。いや、実際に、あとの里穂の噂は、血を吸うだけで吸血鬼に感染する証明かもしれないけど」
やはり、里穂が自分以外の犯人の存在を示すために、わざと流した誤情報だという可能性も捨てきれない。
いや、たぶん、後者の理由の方が正しい。
けれどもその真相をぼくが知る術はないだろう。
「チコちゃんとシュンくんの時には、ハクが言ってたことを思い出して、やってみたの。シュンくんへは……今となってはやりすぎだったと思うけど、あの時は、すごく気が動転してたの。チコちゃんだとわかって、びっくりしてたし」
「体液交換……っての?」
思い返せばあの会話。
吸血鬼に関する無邪気なディスカッション。
あの時勘違いしたのは、ユウナではなかったのか?
「だから、もうわたし、処女じゃないんだ」
少し笑って、ユウナは言った。
ぼくは何も言えなかった。
冗談めかしたようにユウナは続けて。
「本当は、キョウちゃんにもらってほしかったんだけどね」
「無理だよ」
間髪いれずに、否定してしまった。
ユウナは特に傷ついた様子もなく、うなずいた。
「うん。キョウちゃんが男の子だったらよかったのに、ね?」
さて、世界が反転する。
「ぼくは……そんなのごめんだね」
ぼくは、冷たく応えた。
ユウナはまた、たいして傷ついた様子も見せずに、あっさりとうなずいた。
「そうね、キョウちゃんは、ずっとハクしか見てないもんね」
ぼくはその言葉を否定しようとして、失敗した。
押し黙ったぼくを見て、ユウナはひどく哀しそうに微笑んだ。
「知ってほしくなかったの」
言葉を、続けようとしてユウナは、口ごもった。
「動機は、嫉妬?」
ぼくは尋ねた。
ユウナは首を左右に振る。
「いいえ。冗談のように聞こえることを承知で言うけど、動機は愛よ」
うなずくしかなかった。
「チコは、ぼくのハクへの思いを知って、気付いて、察知して、嫉妬したんだね」
「それをシュンくんが察知した。シュンくんだけが、察知できた。なぜかはわからないけど」
ぼくには、わかるような気がした。チコとシュンは、同類だったから。
チコはハクに恋をして、けれども受け入れられなかった。うぬぼれかも知れないけれども。自意識過剰かもしれないけれども。それは、ぼくに対するシュンの想いと同じものだったのかもしれない。
「シュンは、ぼくの代わりに、刺された」
通りがかったユウナが、それを目撃して、あとは悪意に近い偶然という名の必然の仕業。
「死ぬのは、ぼくのはずだった」
チコは、ぼくを狙ったのだから。
理由はひとつしかなくて、真実はひとつしか見えなくて。
けども、ユウナは否定した。
「違うよ。ひどいことを言うようだけれどね、シュンが割り込んだりしなければ、誰も死なないはずだったの」
「……なんだって?」
「わかってるんでしょ? チコちゃんには、キョウちゃんを殺すほどの力はなかった。シュンくんは無駄死にだよ」
「それは……」
ユウナの言う通り。
ぼくだったら、素人のチコなんかに、簡単に殺されはしなかっただろう。どう考えても、たとえ不意打ちだろうとも、殺されるような、刺されるような、そんな要素は見付からない。シュンにもわかっていたはずのことだった。幼いころからずっと一緒にいる、シュンなら。
それでも不安ならば、一言警告すればいい。
チコのぼくに対する害意がわかっているのならば。
一言、ぼくに告げればいい。
それでぼくはチコを警戒し、チコに対する隙はほとんどなくなる。
その一言が、シュンには言えなかったとでもいうのだろうか?
そんな馬鹿な。シュンは、まったく喋れないわけじゃない。
なのに、どうして?
「どうして、シュンは……」
つぶやきに、ユウナが応えた。
「キョウちゃん……きっとシュンくんは、あなたのために死にたかったんだと思うの」
「それは、どういう意味?」
「貴女の中に、自分の名前を刻み込むために。貴女のために死んだという、事実を残して。シュン君は、チコの妬心を利用したの」
「……それで、動機は《愛》?」
「半分以上、自殺のようなモノよ。シュンくんは、チコの持つナイフに、自ら刺さりに行った。」
嫉妬と愛。
ああ、なら、ユウナにわからないわけがない。
なぜユウナがぼくを庇い、罪を被ろうとしたのか? その理由と同じ。
全部、ぼくがここに存在していた、ただそれだけで起きた、事件。
すべてがあるべくように崩壊した、ただそれだけの事件。
ため息をつき、ユウナから視線をそらして、ぼんやりと歩き、ベンチに腰を掛ける。
月を見上げた。
「……これから、どうするの?」
「う……うん。チコちゃんへは、何らかの形で責任を取らないといけないと思う。けど、もう、この街から出る事にする。とりあえず、フランスへ帰ろうと思う。あっちが、わたしの故郷だから」
「そっか……じゃあ、お別れだね」
相変わらずに、ユウナはあっさりとうなずいた。
けど、最後にいたずらっぽく。
「お別れのキスしてくれないの?」
笑った。
ぼくは首を左右に振る。本心は、それぐらい、いいかと、思ったんだけど。
「ごめん。ファーストキスは好きな人と、決めてるんだ」
「女の子同士のキスは、カウントには入らないのよ?」
「カウントに入らないキスでいいの?」
逆にたずねると、ユウナは少し驚いた表情をして。
「……ううん。よくない」
泣きそうに微笑んで。
「さようなら」
と言った。
ぼくは小さくうなずいた。
小さな風が吹き、その瞬間、風にさらわれるように、目の前で、ユウナの姿は掻き消えた。
魔法を見ているように鮮やかな。
認識を操作したかのような完璧な、消失だった。
ぼくは、最後の風が通り過ぎ、公園に静寂の帳が完全に下りるのを待って、つぶやいた。
「さようなら」
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