応援に駆けつけてきた警官たちに覆面の一団はほとんど抵抗らしい抵抗もせずに逮捕されていった。

 一方ぼくたちは、軽く襲われて返り討ちにした状況を説明し「もう少し詳しいことを聞きたい」という石本さん(刑事のお兄さんの名前だ)の提案で、例によってユウナのマンションへ行くことにした。シュンとチコは何か用事があるといって出かけ、ユウナもマンションに着くなり、大学へ出かけていった。

 事情聴取とか、良いのだろうか?

 ユウナもチコも、シュンも一応当事者だというのに。

 主無き部屋に男女四人。ぼくとハク、そして刑事の石本さん、宮城さん。


「佐竹くん、出て行ったけどいいのかね?」


 佐竹くん……? ああ、ユウナのことか。佐竹夕菜。普段は彼女の苗字なんて、誰も気にしない。意識しない。その事実はこの街の子供たちの異端さを強調していて、特殊な社会を作る一因となっている。ぼくの杜代にしても例外ではない。この街の中では、七家の名前さえも力を持たない。だからぼくは、この町に住んでいる。杜代家の呪縛から逃れるために。

 だからこんな風に、唐突に一般の社会と接触する時は、戸惑ってしまう。


「ぼくが合鍵を持ってますから」


 ひどく当たり前のように応えて。


「ほう、ならいいか」


 ひどく当たり前のように返された。


「それでだ、君たちが襲われた状況はわかった。だが、その原因は何だね?」


 ぼくはハクを見て、石本さんも、宮城さんも、ハクに視線を向けた。

 ぼくにわかっているのは、あの襲撃はハクの罠に嵌められた者たちの行為。けれどもハクが、何をどのように、どうやって、何のために罠にかけたのか、わからない。

 ハクは頭を掻いて、少し困ったようにつぶやいた。


「さて、何から話そうか……君たちが、何をわかっていないのか、わからない。おれにはわかっている事が多すぎて、何から話せばいいのか判断がつかない。よって、質疑応答にしよう。キョウ。何か質問は?」


 ……はいはい。

 ぼくはため息をつく。


「じゃあ、最初に。あの覆面連中は何者だったんだ? 凄く若かったよな? まだ十代……せいぜいが二十代だ」


 つまりぼくらと同じ年頃。ハクの応えは簡潔だった。


「【Silver Bullet】……【銀の弾丸】の連中だよ。【銀の弾丸】――魔物退治の銃弾――皮肉だよな」


 殺されたシホのいたチーム。逃げたタダシがリーダーだったチーム。少し驚いて、少し納得した。何がどう皮肉なのか、わからなかったけれども。


「どうしてやつらがハクを襲うんだ?」


 襲われるとわかっていたからこそ、ハクは、唯一の戦力であるぼくと二人きりになろうとしたのだろう。チコのあの態度は、予めハクから話を聞いていたのか――? いや、聞いていたんなら、ハクはわざわざ尋ねるような行為はしない。きっと、敏感にハクの態度から何かを感じ取ったのだろう。


「おれが、タダシの行方を知っていると思っていたからな。襲撃して、捕まえて聞き出すつもりだったのだろう」

「……なんでそんなことを思うんだ?」

「フジヤに頼んで情報を流してもらった」


 ――なるほど。つまりはそれが『罠』か。

 けれども、わからない。


「なんでハクは、そんなことをしたんだ?」

「おれの思いついた真相を、確認するためだ」

「真相って、何の?」

「決まってるだろう?」


 そうだ。決まっている。ここで語られる真相など、一つしかない。


「シホ殺しの……?」


 ハクはうなずいた。

 はて、ぼくは困ってしまった。

 真相ってのはシホ殺ししかないと思い、ハクも肯定したのだが、今日の襲撃と、それがどうつながるのかさっぱり想像が働かない。想像が働かないので、何を訊けばいいのかわからない。さて、どうしようかと困惑に襲われていると、「ちょっと待ってくれ」と石本さんが手を上げた。


「なんですか?」

「確認しておきたいんだがね、今日、私の携帯に匿名の電話を入れたのは、君だね?」

「入れさせたのは、おれです」


 ハクはうなずきながら、質問を訂正した。


「匿名の電話?」


 ぼくが疑問の声を上げると、石本さんはどこか楽しそうに説明してくれた。


「今朝早く、先ほどだけど、匿名の通報があったんだ。『』くんが、今日、シホ殺人の犯人に襲われるので、監視しておいた方がいい、とね」

 はぁ、それで今日、ああもタイミングよく駆けつけてきたんだ。通報があって来たにしては早すぎたし、何より刑事がくるというのは、今よく考えてみればおかしかった。けれども、そういう理由ならわかる。匿名の通報の命ずる通り、監視するつもりなのではなく、きっと保護するつもりで来たのだろう。

 ――って、あれ?


「ち、ちょっと待って!」

「どうしたのかね?」

って、誰です?」


 石本さんは一瞬きょとんとし、次いで不思議そうな表情になり、ハクを見た。宮城さんも首を傾げながらハクを見ている。


「あ――」


 ぼくは不意に理解の声を漏らした。


「ひょっとして、ハクの本名?」


 ハクはどこか少し、恥ずかしそうにうなずいた。

 へぇ~。

 なんだかよくわからないが、感心してしまった。


「なんて書くの?」


 ハクは紙を取り『篠本拓治』と書いた。


「どうしてこれで『ハク』になるんだ?」

「知らん。フジヤに訊け」


 ぶっきらぼうに答える。

 なるほど。今の『ハク』という名前はフジヤが考えたわけだ。機会があったら訊いておこう。


「……まったく、話には聞いていたが、本当に不思議な関係だな」


 感慨深げに石本さんはつぶやいた。


「最近の若いやつらは皆そうなのか?」


 別に、たぶん、この街の子供たちに限った話なのだろうと、思う。

 ぼくもハクも応えようとしなかったので、石本さんはすぐに諦めたように息を吐く。そしてハクに向き直って、言った。


「寺田志保さん殺害の犯人は、君たちの言うところの『タダシ』――『垣内忠』くんじゃなかったのかね?」


 ああ、なるほど。警察はそう考えたのか、と納得。全然意外でもなんでもない、当たり前の犯人。街の噂が囁く程度の結末。ハクもうなずいた。


「ええ。ですが、それは半分です」

「共犯者がいるということかね?」

「少し違いますね。主犯がいるということです」


 ハクの言葉の意味を、少し考える。

 シホ殺害の犯人は複数で、タダシは補助でしかないこと。


「誰だね? 君の言うとおり【Silver Bullet】が犯人なのか?」

 ぼくは首をかしげる。

 だったら、【Silver Bullet】のリーダーのタダシが主犯になるんじゃないのか?

「正確には、現在の【Silver Bullet】の統率者が、主犯ですね。実行犯なのか、命令を下したのかは、わかりませんが」

「統率者? しかし――」


 ああ、そうか。タダシが行方不明である現在【Silver Bullet】には組織をまとめられるような統率者はいないのだ。なら、今日、襲ってきたのはなぜだ? 全員の総意などという曖昧なものが彼らを行動に走らせたとでも言うのだろうか? そんな馬鹿な話はない。きっと、誰かが音頭を取っているに違いない。けれどもぼくは【Silver Bullet】にナンバー2がいるという話を聞いたことはなかった。知らないだけかもしれないが。――と思ったところで、昨日の【楽土】の話を思い出した。外にはタダシがリーダーであるように見せかけていたが、実質上のリーダーはシホだったという話。しかし彼女は亡くなっている。死者に統率などできるはずもない。たぶん。


「【Silver Bullet】にナンバー2がいたの?」


 ぼくは尋ねる。ハクはややもったいぶったように笑うと、うなずいた。


「正確に言えば、真のナンバー1なのかもな。タダシは戦闘力こそ、そこそこあるが、頭はそれほどよくはない。乱暴につるむことはできるが、【クレスト】に隠れて売春組織やクスリの売買に手を出せるほどの組織は作れないさ」

「タダシを裏で操っているやつがいたってこと?」


 シホの葬式の時に遠目に見たタダシを思い出す。確かにあまり、頭が良さそうには見えなかった。


「たぶん、二人な」

「一人は……シホ?」

「そうだ」


 なるほど、とうなずく。よくある話のように聞こえる。強引に女の子をモノにしているように見えて、実のところ操られている。粗野な男に関しては、どこにでもあるような話だった。


「ってことは、もう一人が現在の【Silver Bullet】のリーダー?」


 ハクはうなずく。


「それは、誰?」


 あっさりと、応えは提示された。


だよ」


 ――ええと、ハク様。

 また訊いたことのない名前なんですけど……?



 ぼくが聞いたことがないだけで、警察には関係者として情報が入っているのかと石本さんを見たのだが、彼も戸惑った表情をして宮城さんと顔を見合わせていた。宮城さんも困った表情で、手に持った手帳をめくり始めた。

 ああ、そういえばあの当時公園には一〇〇人の人間がいたのだ。全部の名前を覚えていなくとも、仕方がない。


「ええと、それは……」


 宮城さんが相変わらずのアニメ声で話し始めた。本日第一声。


「【Silver Bullet】の小室聡子さん?」

「違います」


 ハクは首を振る。表情こそまじめぶっているが、どこか楽しんでいる様子が窺える。宮城さんたちも、一々ハクのお遊びに付き合わず、ずばっと犯人の名前を喋らせればいいのに。付き合いの良いことだ。ぼくは、全然それでもかまわないけれども、警察としては困るのではないだろうか? 普通の推理小説に出てくる刑事なんてものは、もったいぶるような名探偵の態度に次第に苛々していって、文句を言うと「まあまあ、落ち着いてください警部殿。物事には順序というものがあるのですよ」とでも諭されるものではないのか?

 けれども宮城さんも、石本さんも妙に今の状況を楽しんでいる雰囲気がある。そもそも普通の警察だったら、こんなところまでわざわざ来やしない。公園で喋れることは全部、余すところなく喋らせるだろう。もしくは警察署で。本当に警察か? この人たち。ああ、そういえば警察手帳、見たっけ?


「じゃあ、チームは違うけど、佐藤健次郎さん? 佐藤藤悟さん? 里山和人さん? 九条千里さん? 西川久人さん?」

「いいえ違います。何言ってるんですか? 【Silver Bullet】の人間に決まってるでしょう?」


 じゃあ、誰なんだよ?

 サトなんて、名前のどこを取った愛称なのか、聞いただけではよくわからない。男かも、女かも。この期に及んで新登場人物なんて、これが推理小説だったりしたらひどく馬鹿にした話だ。つーか刑事さん。『サト』って呼ばれるやつ、この町にそんなにたくさんいたのか?

 ぼんやりと考えていると、ハクはなぜか思わせぶりに、ぼくを見てきた。


「キョウは会っただろう?」

「へっ?」


 何を言ってるんだか。【Silver Bullet】の人間に会ったことなんて、たぶんないぞ。


「いつの話?」

「ついこの前だ。五日前。シホの葬式の時」

「……って、遠目で見ただけで、会ったとはとても言えないと思うけど?」

「何言ってるんだ? お前、言ってただろう? 彼女のこと」


 彼女?

 つまり、件の『サト』は、女性ということ。

 あの時会った女性なんて、数人しかいない。

 ……

 ……えっと、それはつまり。


「はぁ?」


 ぼくは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「何言ってるんだ、ハク? そんなわけ、あるはずがないじゃないか?」


 立ち上がってハクを見るのだが、ハクの表情はいたってまじめで、ふざけている様子はどこにもなかった。

 えーと、えっ?

 混乱する。

 あっ? どうしてだ? なんで、そんなことになるんだ? おかしくないか? おかしいだろう?

 けど、ハクは、言った。


「……間違いないのか?」

「たぶんな」


 ハクの返答は、自信の欠けた答えのようだった。

 けれどもぼくは、ハクの出す「たぶん」とぼくらが普段使う「たぶん」のレベルの違いをよく知っていた。ハクが言うのだからその答えは、若干の不安定さは消し切れないものの、ほぼ確実なものなのだ。


「……誰のことを言ってるんだね?」


 石本さんはハクにではなく、ぼくに尋ねてきた。

 ぼくは答えた。


さんです」


 シホの妹の名前。

 足を痺れさせていた女の子の名前。

 姉の死の原因を教えてくれと、ぼくに依頼をした、少女の名前。

 ぼくは自分でその名を言葉にして、くらりと、眩暈がした。


「ちょっと待て! どういうことだ?」


 慌てたように石本さんはぼくに訊いてきた。

 そうだよ。どういうことだよ?

 ぼくはハクを見る。

 ハクは答えた。


「【Silver Bullet】はクスリの密売買や中高生の少女売春斡旋をしていた。その運営を巡って【Silver Bullet】内でトラブルが起きた。ひょっとしたら、恋愛も関わっていたのかもしれない。結果、一方の運営者だったシホが殺され、もう一方の運営者だったリホが両方の運営権を得た。いや、一方、他方なんて明確な区分はなかったのかもな。姉妹だし、共同作業だったのだろう。権益を独り占めしようとしたのか、それとも、男を独り占めしようとしたのか、動機はおそらくその辺りだと思う。リホがシホを殺して、組織の運営権も、男――つまりタダシも手に入れた。しかし、少し頭の悪い男は、そんな女が怖くなったのか、商品を持って、行方を眩ました。以上、証明終了」


 ――おぃ。

 きっぱりとハク様、それ以上話すことは無いとでも言うように、断言した。

 何の証明になってるんだ?


「すまない。もう少し詳しく」


 まだ腰低く丁寧に石本さんが尋ねる。刑事らしくない。相当にイイヒトだ、この人。出世できないな。


「詳しくと言われてもね――何がわからないのかわからないと、答えようがありません」

「えっと――動機はいいよ。ぼくらも、石本さんたちも【楽土】の婆さんに聞きに行ってるから、その背景はだいたい予想通りといってもいいんじゃないかな」


 ぼくは言葉を続けた。


「何で里穂ちゃんなんだ? どこからそんな、答えが出てくるんだ?」

「状況証拠だよ。【Silver Bullet】に【サト】と呼ばれる女の子がいるってのはおれだけの事前知識かもしれないけどな。それを抜きにしても里穂が【Silver Bullet】の関係者というのは、容易に想像がつく」

「どうして?」

「キョウが言ったんだ。君も気づいていてもおかしくない。いや、疑念を抱いても、だ」

「だから、何を?」

「正座で痺れたのが、キョウと里穂さんだけだ」

「は、い?」

「確証はない――あまりにも低すぎる根拠だ。いや、根拠というのも馬鹿らしい。けれども、正座で痺れたのは、君も里穂さんも、学校へ行かず、体育の授業で柔道や剣道をしていないからだ、と考えることはできないか?」

「そ、そうとは言い切れないじゃないか!」


 ――暴論だ、と咄嗟に思った。

 正座で痺れる完全な理由には到底なりえない。例え、本当に里穂が学校へ行ってないにしても、ただの登校拒否と区別などできない。あほらしい。柔道や剣道をやっているから痺れなくなるというのは、確実性のある論理ではないだろうし、正座が苦手なやつは、いつまでたっても、何をやっても慣れることはなく、苦手なままだろうと思う。そもそも柔道や剣道を授業に取り入れていない学校もあるだろう。


「言い切れないさ。もちろんね。けれども、彼女の態度が演技だと、疑念を抱いてもおかしくない傍証の一つだと思わないか?」

「……ご、強引だ。まず結論ありきの推論にしか聞こえないよ」

「強引だよ。所詮は傍証だしな。例えばキョウ、君は彼女を『聡明』だと思ったのだろう? 彼女には【Silver Bullet】の組織を運営するだけの能力があるとは思わないか?」

「ひ、十分条件だけ、持ち出されても……」


 意味がない。

 同じ理由なら、当のハクにも当てはまってしまう。

 これのどこが推理なんだ?


「そういえば、犯人が『吸血鬼』だと広めたのは彼女自身だったな」

「そ、それに何の意味がっ!」

「そもそもおかしいと思わなかったのか? どうして母親は、里穂さんをのか?」

「は……い?」


 何の話だ? ……と一瞬わからなかったが、すぐに他ならぬ里穂自身が、告白していることに気づいた。

 チコが、里穂から訊いたのだ。『母が家から出してくれない』と。


「それは……危険だから……って意味じゃないよ、ね?」

「その一面もあるだろうけどな」


 それ以上はハクに言われなくてもわかった。

 出してもらえないのは、母親が娘を信頼していないから。

 変な連中と関わって、シホと同じように殺されることを、母親が恐れたから。


「つまり……里穂もシホと同じだったから?」


 同じ、ロドレンだったから。

 素土の街の、異端な子供たちの仲間だったから。

 あのどこにでもいる、真面目で聡明な女子中高生の姿は、演技だったというのか?

 簡単には信じられない。里穂と実際に会って、話しているからなおのことだ。石本さんも信じられなかったのだろう。若干弱々しく、ハクの言葉に抵抗するように喋った。


「しかし、寺田里穂さんが【Silver Bullet】やロドレンの一員だったなんて話は……」

「当の本人が真面目にしているのに、母親や親戚が話すとでも思いますか? せっかく真面目になっているんだから、わざわざ話すこともない。そう考えたとしてもおかしくはないです。けれどもおれは、里穂さんは普段、本当に真面目にやっていたんじゃないかと思います」

「どういうことです?」

「一般に長子より、妹や弟の方が要領が良いと言われてますけどね」


 ハクは苦笑して、ぼくを見た。

 例外もある、といいたいのだろう。ぼくは長子ではないけれども、要領はそれほどよくはない。まあ、兄もそれほど良いとは思えなかったけれども。

「里穂さんは、ひょっとすると普段から演技をしていたのかもしれません。あの自然な真面目風の演技は、長年の経験から培われたものなのかも。だから、母親を除いて、親戚も近所の人たちも、皆あの姉妹を『不良の姉と、良い子の妹』という風に見ていたのだと思います」

 けれどもあの態度はすべて演技で、妹もまた、姉と同じ世界に属する者だった。

 ああ、そうだ。

 高校生の売春は、姉のシホが斡旋していたのかもしれないが、中学生の売春は、妹の里穂が斡旋していたのかもしれない。

 リホ――里穂――サトホ――サト。

 一方では真面目な少女の外面を示しながら、他方では姉と同じように【Silver Bullet】と付き合っていた。


「けど、結局は想像でしかないよね?」


 納得がいかなくて、ぼくは抵抗を試みる。ハクはあっさりとうなずいた。


「ああ、いくつかわからない点もあるがな。けど、今日確かめたように【Silver Bullet】は今も組織的な活動を続けている。そしてタダシの跡を追い、クスリを取り返そうとしている。その指揮者がいる。おそらく、それほど外れてはないと思う」


 いくつかわからない点――それで思い出した。


「そうだよ、ハク。吸血痕はどうなったんだ?」


 首筋の二つの穴。

 あれが何なのか、まだわからない。


「吸血鬼か……結論から言えば、そんなもの、存在しない」


 きっぱりと、断言。


「……今朝言ったことと違わない?」


 ハク様。今朝さんざんぼくに『吸血痕』を無視してはいけないと言ったのは何ですか?


「そんなことはないさ。ちゃんと考慮に入れている。その上で、吸血鬼は存在しないと言ったんだ」

「なぜ?」

「吸血鬼の噂を広めたのは里穂自身だったのだろう? つまり彼女は、犯人が吸血鬼であるという状況を増やして、自分が疑われる可能性を減少させようとしたんじゃないかな?」

「……って、吸血鬼なんて誰も信じないでしょ?」

「それでも吸血痕らしきモノは実在するんだ。その実在する可能性を考えないわけにはいかない。噂は無視できない形となる。現実が都市伝説となり、仮想の存在へと変貌する。シホの死体の吸血痕。火葬場での蘇り。後者の噂を流したのは明らかに里穂だし、彼女以外の参列者からその噂を聞いたことは一度もない」

「あの吸血痕は、吸血鬼を想像させようと痕を付けたって言うの? ちょっと苦しくない?」

「苦しいな。やるならもっと過剰に、それらしく演出するだろう。だから吸血痕は演出の結果ではなくて、何かの偶然か、まったく別の要因が絡んでるんじゃないのか? 吸血鬼の噂が流れるのは、里穂たちにとっても予想外のことだったんじゃないのか?」

「なんだよ、それは?」

「わからないさ。だから、今日、おれの想像――いや、妄想が正しいか、試したんだ」


 ああ、そうか。

 ハクの想像が正しければ、タダシを追うために、タダシの居場所を知るために【Silver Bullet】は組織的行動を続け、ハクを襲撃するだろう。

 想像が外れていれば、ハクは別組織、例えば藤沢組に狙われるか、もしくは何にも狙われない。

 ああもう、なんて無茶な。自分勝手な。

 眩暈がひどくなる。


「けど……証拠はありませんよね?」


 石本さん。困惑を隠しきれずに、言った。


「そうだな。ただ、自分の想像が正しいか試したかっただけだ。証拠はない。けれども、結果に納得した。だからおれは満足だ」


 断りなくぼくを巻き込んだというのに、ハクはまったく悪びれない。呆れる。けれども非常にハクらしい。

 しかし、さすがにそれだけでは自分でもまずいと思ったのか、ついでにように、言葉を付け足した。


「けどまあ逮捕された【Silver Bullet】のメンバーに尋ねれば、きっと何かわかるさ。証拠集めは、警察の仕事」


 そうかもしれない。

 けれども今のところ、すべてはあくまでもハクの想像。

 想像でしかない。

 きっと、ハクにはハクにしかわからない、ハクにも言語化できない、細かい様々な情報があって、その結論に至ったのだと、思う。

 ぼくも想像する。

 あの日、シホは妹か、恋人のタダシに言われ、丘に行くシホ。はたして恋人を待っていたのか、妹を待っていたのかは、わからない。里穂とタダシは恋人同士の振りをして、丘へ行く。恋人同士が行くのは当たり前の行為。誰も注意して見ようとはしないし、気にもかけない。ひょっとしたら行為を覗こうと考えたものもいたのかもしれないが、さりげなく【Silver Bullet】のメンバーが遮ったりする。妹か、タダシか、待っていると背後から殴られ、シホは昏倒する。ほとんど即死。その後、里穂とタダシはこっそりと丘を下りる。ひょっとすると実際に行為をしたのかもしれない。ああ、なんて下品な妄想。

 二人が去った後に、死体を発見する吸血鬼。

 吸血鬼は死体の血を吸い、去っていく。

 夜が明けて、死体の吸血痕を見て驚くタダシたち。里穂は思う。よし、この噂を利用してやれ。犯人は吸血鬼だ。

 濡れ衣を着せられた吸血鬼。吸血鬼の罪は、死体損壊だけ。


 ……ばかばかしい。


 石本さんと宮城さんの二人は、半信半疑なのだろう。首をかしげながら帰っていった。何かわかったら、連絡すると約束して。ぼくだって、半分しか信じていない。

 二人が帰ってぼくはハクに尋ねてみた。


「自分の言ったことをどこまで信じてるんだ?」


 ハクは悪びれもせずに答えた。


「二割だな」


 おぃ。

 ぼくより信じていなかった。

 何なんだ、こいつは。


「でたらめを言ったわけじゃない。正直な、おれの想像だ。だが、想像は想像でしかない。妄想と言った方が、より言葉に正確かもしれない。計算式に組み込めないノイズも多いしな。現実はもっとばかばかしいものなのかもしれない。それに、より込み入った事情が関わっているだろう。今言った説明だって、二つ以上の選択肢をわざと残して説明した部分が多々ある。おそらく半分も当たってはいないだろうが、話の筋だけは、そう外れてもいないという、確信がある」


 それは里穂が、ぼくらと同じ異端だという、想像のことだろうか?

 憂鬱な気分でぼくは息を吐いた。

 それからユウナの部屋にあったワインやらビールやらを二人で飲んで、ユウナが帰ってくるのを待った。

 夕方、五時前にユウナは帰ってきて、まず部屋の惨状に呆れ、ぼくとハクの話を聞いてさらに呆れた。

 部屋の掃除をして、三人で外に飲みに出かけた。

 チコとシュンも呼ぼうとしたのだが、二人とも珍しく他に用事があるらしく、来なかった。

 カラオケで何時間かぶっ続けで歌い、飲んで、別れ際、いつものようにユウナのマンションに誘われて、一瞬迷ってから、いつものように断った。別れたのは十一時半過ぎ。

 酔い覚ましにふらふらと歩いて、アパートに辿り着いた時は、ちょうど日付も変わろうとする、瞬間だった。

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