鬼の眷属~平安京のまぼろし
美池蘭十郎
第1話
私は太古の昔から、鎮守の森にすむ精霊だ。令和の現在では由緒ある神社の境内で、注連縄をめぐらされ神木として崇められている。私は長くこの世に生きてきたが、今でも平安時代の鬼の眷属と、彼らを成敗した勇敢な英雄たちのことを思い出す。私のうちにある膨大な歴史の記憶の中から、今でも鮮明に残る――平安京のまぼろし――ともいえる出来事を紐解いてみた。
※
百鬼夜行という言葉がある。夜になると魔物どもがどこからともなく現れては、乱暴狼藉の限りを行い、人をさらい、盗みを働き、日が昇るまでに何処ともなく立ち去っていく。これらは、人の内に棲む強欲の仕業なのか、貧窮に苦しめられた人々の阿鼻叫喚なのか、それとも魑魅魍魎が跋扈する魔界の使者たちの成せる業なのか、誰にも判断のしようがなかった。
京の都の治安を守るため、検非違使が眼を光らせても、強盗、殺人、強姦などの凶悪な事件は後を絶たなかった。平安京を造営したとき、桓武天皇は最高の都にするために風水思想を取り入れた。道教で理想とする「四神相応」の地とするため、四神である青龍=東の流水、白虎=南の沢畔、朱雀=西の大道、玄武=北の高山を配置した。
つまり、東の青龍は「大文字山」、南の朱雀は「巨椋池」、西の白虎は「嵐山」、北の玄武は「丹波高地」がそれにあたる。また、都は鬼門の方角に比叡山延暦寺、裏鬼門の方角に石清水八幡宮があり、都の繁栄と守護のための鉄壁の構えとなっていた。
風水的には青龍、白虎、朱雀、玄武に守られた四神相応の好立地に造営した平安京でも、いつの間にか魔が忍び寄り、妖怪どもがたびたびのごとく現れては悪事をしでかしていた。一条大路と二条大路の界隈では、彼らの姿が幾度も目撃されていた。
特に「あわわの辻」は、異世界との境界ともされており、辺りで妖怪に出くわして命を失ったものが多くいた。同時代の妖怪には、動物が変化したもの、人が変化したもの、道具が変化したものなど多種多彩なものどもが徘徊していると考えられていた。
夜の闇の深さが、平安京の人々の恐怖心と想像力を掻き立てた。
巨大な害虫の大百足、猿の頭に狸の胴体で尾が蛇にして虎の手足をもつ鵺、巨人ダイダラボッチなどの伝説が人々の想像力を大きくし、時には恐怖のあまり震えさせた。なかでも、もっとも恐ろしい妖怪が酒吞童子、九尾の狐、土蜘蛛とされていた。
そのような時代にあって、赤痢、食中毒、流行性感冒などの疫病が原因で多くの貴族が命を失っていた。また、都は東を鴨川、西を桂川の二本の大河に挟まれていたため、大雨の際にたびたび氾濫し、都の人々を悩ませていた。
さらに、九三〇年の夏に、帝の居所である清涼殿の坤の第一の柱に落雷が直撃。同じ場所にいた公卿のうち、大納言正三位・民部卿藤原清貫の装束に引火し即死、従四位下・右中弁内蔵頭平希世の顔に火傷を負う惨事となった。死傷者が出たため、「菅原道真の怨霊によるもの」と噂が広がり、宮中の人々を怖れさせていた。
九七五年の夏、平安京では朝方に三分二四秒に及ぶ皆既日食が観測された。此の時、都の人々に、多くの疑心暗鬼と呼ばれる心の鬼が棲みついた。
花山天皇は生後十か月で立太子し、十七歳で即位したものの、有力な外戚が他界していたため、僅か二年の在位で退いた。若くして即位し、正室の実の妹で意中の女性である藤原忯子を女御に迎えたものの、忯子は懐妊中に死去した。天皇は――出家して忯子の菩提を弔いたい――と考えて、宮中を出て剃髪し仏門に入られた。
当時、周囲では「帝は女御に先立たれたため出家した」と噂する者もいた。
花山天皇は心中の深いところで――妖怪変化や魑魅魍魎は、むしろ人の心の内側に存在する。妖狐のように人をたぶらかし、鬼神のように人を恐怖に陥れるのは、人の仕業ではないか、人の心の中の悪辣な思惑が天を呪うのではないか――と、考えておられた。
天皇は出家し法皇となった後、紀伊国の熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行につとめた。花山法皇となった後で、観音霊場を「西国三十三札所」として定めた。各霊場は、仏教信仰の拠り所として現在でも大勢の巡礼者を迎え入れている。
花山天皇が退位し、新しく即位した一条天皇は、下人や所従の娘ばかりか、適齢期の公卿や殿上人の娘たちが次々と神隠しに遭遇する事件に心を痛めておられた。怪異が起こると、朝廷は陰陽師を招聘し対処を尋ねた。一条天皇も法力に信任を置く、陰陽師・安倍晴明と芦屋道満の二人を清涼殿に招き事の次第を話して尋ねた。
「蜀の国の宰相、諸葛亮孔明は奇門遁甲の秘術を使いかの国を守護し、繁栄させた。わが国でも、危急存亡のときには陰陽道に通じるそなたたちが頼りじゃ」
「私一人にお任せいただければ、すべて解決してご覧にいれます」
道満が得意げに嘯くと、晴明は「それはあまりにも、危険でござります。無実の者に罪をなすりつけ、都を窮地に陥れる事態になりましょう。此の天文博士に一任いただければ、そのような非道な情勢にはなりません」
天文博士従五位下陰陽頭・安倍晴明と前任者の芦屋道満は犬猿の仲で、ことごとく意見が対立していた。だが、どちらが優れた陰陽師なのかは宮中でも意見が分かれていた。彼らの本質を見極めるため「二人を競わせて、優れた見立てをした方を重く用いよう」と、左大臣の藤原道長が朝廷に諮り、実現した。
「はてさて、どうしたものでしょう?」と公卿で皇后宮権大夫の源博雅が言葉にした。道満は「獄所から逃げ出したものと、仲間の仕業でしょう。罪人の家族に口を割らせて、居場所をつきとめるのです」と、別当と同じ意見を述べた。
晴明は「魑魅魍魎どもの仕業と思われます。私が占いにて居場所を突き止めて差し上げましょう」
二人の陰陽師の答えが分かれたため、帝が思案深げな表情をしていると、道満が口を開き「晴明殿といずれの呪術が勝るか、力比べをさせてください。勝った方の意見をお聞き入れください。もし、私が負けるような事態があれば、此処にいる天文博士の弟子になっても構いません」と自信満々に言い放った。
帝は従者に命じ、みかんを十五個入れた長持を二人の陰陽師には見せずに持ち出させ「中に何が入っているかを占うが良い」と命じたところ、早速にも道満は長持の中身を予測し「みかんが十五個入っております」と答えた。
だが、一方の晴明は小首をかしげた後で、加持祈祷を行い「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」と唱え終わると、冷静な口調で「鼠が十五匹、中にいます」と答えた。
周囲にいた大臣たちは晴明が当てられなかった事実に落胆したような表情を見せた。私は、次の瞬間にはっと息をのんだ。晴明が長持を開けると、中から鼠が勢いよく十五匹飛び出してきて四方八方に、内裏を駆け回っていた。
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