ありふれた悪魔

紫陽_凛

「加藤家」

冷めきった食卓(1200字程度)

 極彩色の轟音渦巻くパチンコ屋の一席で、加藤は煙草くさい息を漏らした。「ここは自分のいるべき場所ではない」――常に加藤の中に巣くって離れない感情だった。どこにいてもそれは悪魔のように付きまとい、背後から伸し掛かってくる。

 今日、会社で後輩の慶事を聞いたときもそうだった。結婚することになったと聞かされて、加藤は口では「おめでとう」と言えた。しかし内心では「は? さっさと離婚しろ」と思っていた。

 どうしてこいつだけが? なぜ自分はこんなに不幸なのだ? ここは、加藤のために用意された世界ではない。そうした不満が、加藤の浪費の源だった。

 パチンコの結果は、五千円の負け。軽くなった財布を抱え、雑音の絶えた空の下、自家用車へ乗りこみ、帰りたくもない家に帰る。夕飯はパチンコの前にさっと済ませてある。時刻は夜の十時。加藤はコンビニに寄るとビールとつまみだけを購入して、ひとりっきりの晩酌の準備を整えた。

 ところが、今日は何かが違っていた。リビングの食卓には、ラップのかけられた飯が用意されていたのだ。箸置きの上に丁寧に乗せられた箸だけが、美しかった。

「はあ? 俺にこれを食えってか?」

 思わず声に出た。目玉焼きらしい、ぐちゃぐちゃの卵の塊や、雑な盛り付けのサラダ。挙句に加藤の嫌いなオレンジが雑に切られてサラダの上に乗っかっている。

「残飯じゃねえかよ……」

 胸中が騒めいた。あの頼子がこんな真似をするはずがない。

 しかしながら腹も空いていない。見た目も全くそそらない。ビールのつまみにするにはひどい。どう考えても残飯に見えるそれらをどうするか迷った加藤は――それらを本当に残飯にしてしまうことに決めた。ビールとつまみを入れてきたコンビニの袋に、サラダの皿を突っ込む。皿だけを取り出すと、次は汚い目玉焼きにとりかかる――袋に皿を突っ込む前に、誰かが階段を下りてくる足音が聞こえてきた。加藤はぎょっとして、身を竦めた。

「パパ?」

 八歳になる娘のあやねだ。

「あ、ああ、なんだ、あやねじゃないか。寝てたんじゃないのか」

「……トイレに起きたの」

「ああ、あ、そうか、トイレか。行くといいよ」

「うん……」

 あやねは目をこすりこすり、言った。常ならば、九時ころにはすっかり眠りについているはずの娘が、唐突に起きてきたことに加藤は驚いていた。

加藤は目玉焼きのプレートを慌ててテーブルの上に置くと、背中にビニール袋を隠した。ゆっくりと後ずさり、あやねがトイレに入ったのを見届けると、すぐさま目玉焼きをゴミ袋に捨てた。その小さなビニール袋を燃やせるごみの袋に放り込んでしまうと、加藤は何事もなかったかのように皿を流し台においていつも通り晩酌を始めた。

 トイレが流れる音がして、先ほどより意識のはっきりしたあやねが、話しかけてくる。

「パパ、食べるの早いね。お腹空いてたでしょう。気づいた?きょうの晩御飯はね、わたしが作ったの」

「ああ、おいしかったよ。すぐ食べてしまった」

 加藤はちらりと閉じたゴミ袋を見た。加藤の背からあの悪魔が腕を伸ばして、あやねの父親の首を絞めた。

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