〇第三十三話 決別、そして動き出す闇
――瞼を閉じれば、今も鮮明に浮かぶ紫色の炎。
妖を滅する、涅槃の炎。その炎を自ら熾し、毅然と入っていった母の後ろ姿を、静とて忘れた日はなかった。
クロと同じだ。静も、未だにわからない。
時代なのか、戦争なのか、大義なのか、それとも別の理由か。なぜ母が滅せられなくてはならなかったのか、なぜ自分は母を助けなかったのか。
その答えは、百年経った今でもわからないままだ。
《あの時、なぜ静は
「……だから裏切ったのか」
《最後の妖火を頼りに集まったとて、このままでは妖は滅びる。妖には闇が必要なのだ。欲望のままにすべてを明るく照らし、闇の存在を許さない今のヒトの世に、我ら妖の居場所は無い》
「だから、妖火を薫に渡すと?」
《そうだ。京極薫は妖を喰う。だから妖を滅ぼさない》
静は大きく息を吐いた。
妖はその性凶暴だが、驚くほど純粋でもある。
薫が猫鬼のわだかまりを利用して裏切るように仕向けたであろうことは、容易に想像がついた。
「何を言っているのかわかっているのか、
《このままヒトの欲望に滅ぼされるよりマシだ。それに、京極薫はすべての妖を喰うわけじゃないと言った。妖火に集まった妖には保護を与えると言った》
「そんなの嘘に決まっているだろう!」
《では静よ、おまえが妖を救ってくれるのか!》
クロは長い牙をむき出しにして唸った。
《おまえは《最後の妖火》の《守り人》だ。主様よりその役目を託された者だ。それは認める。だが、おまえは我ら妖を保護してこなかった。《最後の妖火》の《守り人》に徹するだけで、我ら妖を顧みたことはない。そうだろう?》
「…………」
《時代のうねりから、ヒトの世の移ろいから、おまえは我らを守ってくれない。おまえは、半分我らと同じで、半分ちがう。だからおまえは、我らの苦しみを完全には理解できない。故に、我らを
静は言葉を失った。
母に闇灯籠を託されてからの長い年月、ひたすらに《最後の妖火》を守らねばと思ってきた。
しかし「守る」とは、どういうことなのか?
その意味を本気で考えたことが、はたしてあっただろうか。
(俺は、考えることをきっとどこかで放棄したんだ)
あの涅槃の炎の夜、静は闇灯籠だけを持って、人々の前から姿を消した。
母を見殺しにしたことで、抜け殻のようになって。呪術師である意味も、わからなくなって。
ヒトでもあり、妖でもある、自分の存在意義すら、わからなくなって。
社を築き、結界を張り、ひたすら闇灯籠を守ってきた。誰とも何とも接触せず、時代の流れを見ず、結界の中に閉じこもった。
闇に閉ざされた道を、ただひたすら木偶の坊のように歩いてきただけだ。
(猫鬼の言う通りだ)
妖火を守り、妖を守ると言っておきながら、自分は妖を顧みたことなど、きっと無い。時代の流れが急激に変わる中で、妖の
これでよかったのか? 母が自分に託したことは、こういうことだったのか?
《我は、雛子の様子を見てくる》
クロがゆっくりと立ち上がった。
《雛子を巻きこんでしまったことは、悪いと思ってるのだ。妖火を外したら雛子は絶対に無事で元の世界へ帰してくれと言ってあるが、京極薫は何を考えているのかわからないところがあるからな》
猫鬼は割れた窓を飛び越え、夜闇に消えた。
***
――リビングの
まだわずかに残る夕焼けの
おたんじょうび おめでとう
雛子は思い出す。雛子の誕生祝いのために、母が早く帰宅すると言っていたことを。
それなのに、どうして家の中がこんなに暗いのだろうか。
「お母さん? どこにいるの?」
部屋を見回し、雛子は部屋中に良い香りがしていることに気付く。それは雛子の大好きなハンバーグの匂いだ。
雛子は、キッチンを覗いた。
そこに、横たわっていたのは――
***
「――お母さん……?」
覗きこんでいる影に、問いかける。
刹那、ぷはっ、という笑い声。
「やだなあ、僕はお母さんじゃないよ?」
「!」
雛子は飛び起きた。
そこは広い、洋風な部屋の大きなソファの上だった。
大理石のテーブル越しから、五術師教の教祖――京極薫が優美な笑みを浮かべて雛子を見ていた。長い足を組んだダークグレーのスーツ姿。宗教の教祖というより、モデルのようだ。
「さて、さっそくなんだけど」
京極薫はテーブルの上に置いてある、白い布を取った。雛子は息を呑む。
「闇灯籠!」
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