〇第三十一話 呪術師は真相を知る


 刹那、楽しそうな笑い声が響いた。


「雛子ちゃん、この猫鬼びょうきのことクロって呼んでるの? なるほどね、名の呪縛かあ。だから猫鬼は君を助けることに必死なわけだ。ピュアだなあ。まじウケる」


 さらに俯いたクロの様子と京極薫を見て、雛子は瞬時に察した。


「あなた、クロを裏切るように仕向けたのね?!」

「やだなあ、人聞きの悪いこと言わないでよ。僕は何もしてないよ。こいつから話を持ち掛けてきたんだからさ」

《やめてくれ》

 クロが呟く。京極薫は大げさに顔をしかめた。

「なんだよ、今さらカッコつけたいの? こうなったからにはどうせバレるんだからいいじゃん。静だって、たぶんとっくに気付いてたんじゃないかなあ」


 何を言っているのと思いつつ、雛子は何も言えない。クロはなぜ俯いているのか。なぜ京極薫と知り合いなのか。


「こいつはね、最初っから、雛子ちゃんが登場する前から、静を裏切ろうとしていたんだよ」

「そんな……」

「こいつは、もうずいぶん昔から、静のことを憎んでいるからね」

「そ……そんなのデタラメよ! だってクロは妖火を守ろうとしていたし、さっきだって静とあたしを助けに来てくれて」

「まあ嘘だと思うなら、後でゆっくり猫鬼に聞いてみなよ――僕のオフィスでね!」


 京極薫が、何かを空中に向かって投げた。


 部屋の薄闇に舞う、白い短冊。

 奇妙な文字と印が見えた瞬間、それが空中で青く燃えた――刹那。


「あっ!!」


 地面が揺れて回り、またあの感覚に襲われる。

 風景が反転した。

 あの地下牢から出てきたときのような、目の回る感覚。立っていられずに雛子は地面に倒れ込む。地の底へ引きずり込まれるような感覚が襲った。


 必死に顔を上げて抗おうとしたそのとき、割れた窓ガラスの外から怯えて、しかし心配そうに見ている小さな二つの妖の影を、確かに雛子は見た。


(一つ目小僧と座敷童……よかった、無事だったのね)


 あの二匹はここに引き込まれませんように――そう祈りながら、雛子の意識は現実から遠のいていった。





 京極薫と雛子が消えた後、クロは身じろぎもせず、その場にたたずんでいた。

 悄然しょうぜんとと垂れた首は、床に向いたままだ。


 どれくらい経ったか、静寂の中に突然、炎のぜる音がして、クロはハッと顔を上げた。


 静の後頭部で、何かが燃えて、宙を舞っている。

 それは、何か文字と印の書かれた白い短冊だ。

 京極薫が貼ったそのいましめの呪符が床に落ちた瞬間、静はゆっくりと立ち上がった。


「やはり、おまえだったか」


 底冷えのする声に、クロは顔をそむける。

《呪力を封じられているのに、自力で明王金縛みょうおうきんばくの呪符を燃やすとはな。やはり静、おまえはすごいな》


 解呪かいじゅ真言マントラを脳内で唱え続けた静は、あごから汗がしたたっている。それを手袋でぬぐい、静はけわしく目を細めて猫鬼を睨んだ。


「おかしいと思っていた。あの時――最初に、社の結界に裂け目が入ったときから」


 クロは静を見上げた。


「俺の施した結界に裂け目を入れることができる術師など、現世うつしよではまず考えられない。それに、俺が社に展開する結界は、摩利支天まりしてん隠形おんぎょう結界。現世であれを見破ることができる呪術師もいないだろう。が、、話は別だ。それと闇灯籠から妖火ようかがこぼれた件。これも、故意に誰かがやらなければ起こりえない。そして、あのとき妖火の傍にいたのは――おまえだ」


 静は、クロをじっと見た。

 あの日から長い間、共にいた猫鬼びょうき。だからこそ、気付かなかった。どうして気付けたというのか。


「なぜだ。なぜ裏切った、猫鬼。なぜ、五術師教の式神使いを手引きした? なぜ《最後の妖火》を薫に渡そうとした!」

 地の底から響く怒声に、クロは身を縮めて呟いた。

《おぬしにはわからぬ……半分ヒトであるおぬしには……!》

「……!」


 半分ヒト、と言われ、静は凍り付く。

 ハチミツ色の目が、じっと静を見上げた。


《おぬしには、わからぬのだ……我ら妖の苦しみが。あの時もそうだった。なあ、静よ、主様ぬしさまは……主様は、おまえの母なのであろう?》


 クロは念を押すように問う。静は思わず目を逸らした。


「……そうだ」

《ならばあの時、なぜ主様を救わなかった? なぜ紅蓮の炎の中に置き去りにしたのだ!》


 静は仮面の表情を保ちつつ、声が震えないようにクロに問うた。

「猫鬼。おまえはずっと……そんなふうに思ってきたのか」

《主様がおまえに最後の妖火を託したことは知っている。でも、でも……あの時なぜ、主様がめっせられなくてはならなかったのか、我には未だに納得できぬのだ!》


 クロの悲愴な叫びに、静は身動きできないまま、天井を仰ぐ。


 あの時とは――大正二年、十二月の夜。

 その記憶が、静の中にまざまざとよみがえった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る